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2010年9月

エミ子の長いつきあい

マニアックなのかもしれないが、どの程度マニアックなのかわからない。なんせぼくは小学生だったのだから。

でも、昨日、これをYOU TUBEで見つけたときは、誇張抜きに涙が出そうになった。懐かしくて懐かしくて、切なさまで感じた。

つい最近、年齢を重ねるのも悪くないなんて書いたけど、なーんにもわからず、22時から寝るときに流していたHTBラジオから聞こえた中山恵美子の声。毎日毎日、どんな顔してるのかと想像をふくらませていた声。30年以上の時を隔てて、初めて見た中山恵美子の写真。

ああ……。良い。この顔、この表情で良い。まったくぼくの30年以上前のかすかな期待を裏切っていない。

エミ子の長いつきあい/1978.01.10

本当に魅かれて、本当に大好きで、本当に本当に毎晩毎晩聴いていた。

北は北極から南は南極まで、はいるところははいる、はいらないところははいらない……っていう音源はどこかにないのだろうか。

昭和……。

昭和ってのはぼくにとって、いまに比べればずいぶんと不便だったけど、テレビも決まった時間しか魅せてもらえなかったけれど、でもいつもいつも、つねにラジオがあって、ラジオの向こうにぼくの知らない素敵な世界があって、毎夜毎夜そんな素敵に世界を想像しながら過ごすことのできた、そんな時代だった。

「エミ子の長いつきあい」はそんな時代の象徴の一つである。

本当に魅かれて、本当に大好きで、本当に本当に毎晩毎晩聴いていた。

「長いつきあい」って、このラジオ番組用につくられた山野楽器のCMソングだと今日の今日まで思っていた。でも、こんな曲があったなんて……。

これも驚きだった。

本当に魅かれて、本当に大好きで、本当に本当に毎晩毎晩聴いていた。

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季節病

能力がないならば能力をつけてやらねばなるまい。

生徒が相手ならこう考える。そしてその手立ても教師ならいくつかもっている。

しかし、相手が同僚、それもある程度の年齢になっているとなるとこの勢いはどこかへ飛んでしまう。こんなヤツにかかわるまいとかたく決意してしまう。そういう事例をいくつも見てきた。そして自分でもそう思って、かかわりを避けた相手が一人や二人では済まない。

なぜこんなやつが教師になれたのか。

よくもこんなやつが教師になったなあ。コネでもあったのか。

と、こんな台詞を何度聞いたことだろうか。

こんなことを繰り返すばかりで、指導力不足教員も不適格教員もまったく減らない。悪循環である。

しかし、若手ならばともかく、とうに40を超えた年齢の、既に20年も特に非難されることもなくそのやり方でやり続けてきた者に、若手に対するのと同じように指導するのは被害が大きい。こっちが男性、向こうが女性ということになればなおさらだろう。いつセクハラだ、パワハラだと訴えられかねない。

最近の管理職が奇妙なほどに「調和型管理職」を志向するのも、理由は同じなのであろう。聞くところによると、最近の教頭研修には鏡に向かっての「笑顔の練習」なんてものまであるらしい。世も末…と思うのは私だけだろうか。

誤解のないように書いておくが、別に能力がなくて私が困っている、私が怒りを覚えているという同僚が勤務校にいるというのではない。

ただ最近、というか秋になると毎年のことなのだが、ある研究会でこういう声を聞いた。

春はみんなが張り切っていて、今年こそはいい学級経営をしようとか、今年こそはいい学年経営をしようとか、今年こそはいい学校経営をしようとか、今年の職員室のメンツはなかなかいいぞとか考えていたのが、現実はやはり厳しくて……。夏になった頃には少しずつボタンの掛け違いが見えてきて、夏休みが明けて1ヶ月がたった頃から他人のあらばかりが見え出す。

そりゃ人間だから得意なこともあれば不得意なこともある。春にはそれぞれがそれぞれの不得意をフォローし合おうという意欲があったのに、いまではどこ吹く風。少々の不得意なら許せるがあいつはフォローされっぱなしじゃないか……と不満たらたら。結局、その人の得意なところは一切見ずに不得意ばかりが目についてしまう。

しかもだれもに共通するのが、自分の不得意は棚上げするという、なんともわがままな、しかし人間の本質ともいうべき傾向である。

こんな時期だからこそ、みんなで酒でも飲んで騒げばいいのに、この時期には滅多に飲み会も開かれない。そんなこんなで、あいつと飲みたい……とは思わないのだ。行事の打ち上げなんかがあって、一応は多くが参加するものの、疲れもあって一次会でおさらばである。

こんな状態があと3~4ヶ月続く。

年度が終わりに近くなり、さあ、有終の美を飾りたい……とみんなが思うようになった頃、またちょっとだけ人間関係が改善の兆しを見せる。

こんなことを何年続ければみんなその構造に気づくのだろうか。

季節病みたいなものなのだよ、そんなものは……。

改善策は二つ。4月に必要以上に、つまり視野が曇るほどに張り切らないこと。もう一つは1年間を通じて冷静に、同じぺースで、粛々と業務をこなし続けること。職員室の人間関係もまた「業務」の一環なのだから。

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おばはん

詳しく書くとばれてしまうので書かないが、今日、あるとき、ある場所、要するにある場面で、女子中学生5人が会話しているのを30分ほど聴き続ける機会を得た。

中身は噂話。半分悪口。

なんの根拠もない悪口を、「~に見えた」「~と感じた」「普通はこうするよね」「だれでもこうしない?」とエピソードともつかないエピソードで展開していく。しかも、全員が大きく、しかも派手にうなずき、どんどんどんどんそのトーンがエスカレートしていく。

全員がまだ中学生だというのに、その会話は完全に「おばはん」のそれである(笑)。

題材になっている女の子、つまり悪口を言われている女の子は結局、何も悪いことはしていない。少なくともぼくが聴いた限り、彼女のミスはそこにいた女の子たちの前で、少々ネガティヴな表情をしたというだけである。しかもそれは一瞬のことであるらしい。

それだけのことである。

たったそれだけのことである。

だれかを攻撃したわけでもない。嘲笑されるようなミスを犯したわけでもない。だれかに迷惑をかけたわけでもない。

それなのに、その5人は自分たちの感情の共通性、いや、自分たちの感情というものの在り方の共通性とでもいうべきか、それを確認するかのように、どんどんどんどん口調をエスカレートさせていく。そのエスカレートの仕方は「少しずつ」でも「次第に」でも「だんだん」でもない。あくまで「どんどん」である。しかも「どんどんどんどん」とそれを二度重ねなければ表現できないような勢いのエスカレートなのであった。

世のおじさんたちは自分の妻がいつからこんな「おばさん」になってしまったのかと嘆く。しかし、妻は結婚してから「おばさん」になったのではない。十代の頃から、中学生の頃から、既に「おばさん」だったのである(笑)。

二十代のときは女性がそれをうまく隠していたか、男の側が盲目化していて見ていなかっただけだ。

とすれば、噂話とか悪口のエスカレートというのは、女性の特質であって「おばはん」のそれではない、ということになる。

飲み会で女性が別の女性の悪口を言っているのを見て、あまりのおもしろさに腹を抱えることがあるが、女同士のそれはなかなか聞く機会がないのでとてもおもしろかった。

しかし、もう一度そういう会話を聞きたいとはあまり思わないのもまた事実である。こうした会話は、我々の悪いヤツの会話とはどこかが根本的に違う。どこが違うのかについては、もう少し思考を要する(笑)。

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年齢を重ねることも悪くない

プロ野球がクライマックス・シリーズをつくったことによって、確かに日本のプロ野球は盛り上がるようになった。盛り上がるようになったというよりも、より性格にいうなら、最後までひいきのチームを応援する楽しみをファンにもたせるようになった、というべきかもしれない。

今日もおそらく、札幌ドームは満員だろう。クライマックス・シリーズがなければ、札幌ドームも千葉マリンも既に2ヶ月も前から閑古鳥だったはずだ。そういう意味では、需要側にも供給側にも益のある、良いシステムをつくったものだと感心する。

パ・リーグがクライマックス・シリーズによってなんとかファンの興味を持続させているのに比べて、セ・リーグの3チームの混戦はたいへんおもしろい。そのおもしろさはクライマックス・シリーズがなくてもおもしろいはずのものであり、どこが優勝したとしてもクライマックス・シリーズをもおもしろくさせるに違いない、それを決定づけるようなおもしろさでもある。

94年のいわゆる「10.8決戦」、中日今中、巨人槙原を先発に両チームが同率首位で10月8日に対決した、あの年よりもおもしろいかもしれない。あの試合を決めた落合が、現在監督として首位チームを率いて巨人を蹴落とそう闘っていることにも、なんとも因縁的なものを感じる。

長年プロ野球を見ていると、毎年毎年のゲームというものは、或いは一瞬一瞬の一挙手一投足が見事に因縁としてつながっているなあ……と感じることがある。

おそらく長年同じ仕事に取り組み続けていることにも、長年生きていることにも、同じことがいえるのに違いない。若い頃には絶対に感じることのではない感慨である。年齢を重ねることも悪くない……そう思うのはこんなときである。

ぼくは昭和49年以来、中日ドラゴンズとロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のファンである。最近、ロッテファンとして、非国民ならぬ非道民の扱いを受けることに憤慨している。道民として生きづらい世の中になっていることになんともいえぬ不条理を感じている。なにが日ハムファンだ。張本や大杉が活躍していた時代も、背の低いウィリアムスという黒人選手が可愛げにグラウンドを闊歩していたことも、木田がハーラーダビーを仁科と競い合ったことも、ソレイタが4打席連続ホームランで王貞治に並んだことも、何もしらないにわか日ハムファンに、そんな扱いを受けたくない(笑)。

オレは確かにロッテファンだが、おまえたちよりも日ハムの歴史を知っているんだぞォ!と叫びたくなることがある。

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習得・活用・探究

いよいよ新学習指導要領の実施が迫ってきて、小学校では新しい教科書もできて、システム的には「習得・活用・探究」の理念を実現しなければならない時期に来ている。

しかし、今回の学習指導要領改訂には、現場の危機感がほとんどない。前回改訂の教科指導事項の縮減、「総合的な学習の時間」の創設、選択履修枠の拡大といった真新しいことばかりだった改訂と違い、学力向上のために指導事項を「もとに戻す」といったイメージで捉えられているためだ。真新しいことといえば、いわゆる「小学校英語」だけで、これだけは各小学校で盛んに準備が進められているようである。

かくいうぼく自身、今回の〈活用〉を主たる理念とする指導要領の改訂にそれほど現場的意欲も現場的危機感も喚起されていないのだが、それでも授業像だけはちゃんと打ち立ててしっかりと提案しなければ……という気にはなっている。その意味で、今回2週連続で「習得・活用・探究」理念に基づいた提案を整理するための研究会をおこなった。

「ことのは」と「DNA」そして山田洋一くんという6人で、とにかく「習得」と「探究」とを切り結ぶ「活用」の授業像を追ってみたわけである。10月の3連休では、模擬授業24連発の形で「活用」の授業像を集めてみようという企画も予定している。まずは取り敢えず、「活用」研究…というか「活用力」研究に一歩踏み出しているわけだ。

ぼくが教員になった90年代、現場は「新学力観」に沸いていた。猫も杓子も「関心・意欲・態度はどう評価するのか」「支援とは何か」「援助とは何か」に熱狂していた。2000年前後の「ゆとり教育」に対する熱狂もその延長線上にあった。「総合」「選択」のカリキュラムをつくりなさいという文科省の強権発動に踊らされていた感じである。

その頃、ぼくは現場も地教委も一方の振り子だけに沸くのを見て、危機感を募らせていた。そうした経験主義的な授業観に基づいた授業の在り方というものは、指導事項をしっかりと整理し、それらを地道に定着させる努力とセットで考えなければ機能しないのに……といった趣旨だった。そうした思いが当時のぼくを「言語技術」研究に走らせたといってよい。

ところが今回の学習指導要領改訂は、これまた「ゆとり教育」の反動として現れた「学力論争」を経て、「学力向上」一本槍に振り子が振れた感がある。前回の改訂で「総合」や「選択」といった独自カリキュラムをつくる能力など自分たちにはなかったのだということに気づいた現場人たちは、文科省の言うとおり…といわんばかりにちゃんと教えて定着させようというような従来の系統主義的授業観のみに基づいて、子どもたちに強制することに集中しようとしているように見える。少なくとも地教委も校長会もマスコミも、全国学テの点数を上げることを第一義に考えるような気配を見せている。

振り子が逆に振れれば、ぼくの危機感も逆に振れる。今度は、経験主義的な授業観だって大切なんですよと主張し始めた。少なくとも、ぼくの意識としてはそういうことである。

ぼくはこれらの経緯が、すべて地教委や現場やマスコミの勘違いから生じていると感じている。「新学力観」は指導事項の精選とともに提示された。「ゆとり教育」は指導事項の厳選とともに提示された。今回の「学力向上」路線だって「活用」「探究」とともに提示されているのである。

学習指導要領はいつだってバランス論を展開してきたのである。それなのに、前回と比べて真新しい部分にだけスポットを当て、振り子を大きく振ってしまうのが地教委・現場・マスコミの悪癖である。日本人の悪癖といってもいい。マスコミの影響といってもいい。学校教育システムまでが「劇場型」に捉えられている、といってもいい。いずれにせよ、この状況はよくない。

いま、「習得・活用・探究」に取り組もうと考えている教師たちでさえ、指導事項を明確にし、それを実際に使ってみる場面を設定して定着させればよい……というふうに「習得」「活用」を考えている傾向が見られる。しかし、それでは「探究」にはつながらない。何かレポートを書こうというときに、「スキルはあるが書くことがない」という子どもたちをまた大量に産み出すだけである。

スキルの定着とともに、課題の発見を志向する授業像として、「活用型授業」を構想すべきである。先週・今週と2回の研究会を通じて、こうした基礎的なことに課題があるのだということに気がついた。

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今日は酔っぱらっているので…

今日は酔っぱらっているので、昨夜の続きで、ぼくらの世代にとってスキャットといえばこれです。

スキャット1

スキャット2

「夜明けのスキャット」ならぬ、「夜更けのスキャット」といったところでしょうか。

ついでに、これも懐かしいはず。

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ルルル…ラララ…

阿木燿子の「夢一夜」に比べて、音楽とか声とかの凄味をぼくの人生で最初に味わわせてくれたのは、由紀さおりの「夜明けのスキャット」だった。

愛し合うその時にこの世はとまるの

時のない世界に二人は行くのよ

夜はながれず 星も消えない

愛の唄 ひびくだけ

愛し合う二人の時計はとまるのよ

時計はとまるの

山上路夫が作詞したのはたったこれだけである。詩だけをみると、どうということもない愛の賛歌である。

しかし、由紀さおりの「ルルル…ラララ…パパパ…アアア…ルルル…」に聴くものは完全にやられてしまう。もう躰の芯からやられてしまっているので、こんな月並みな歌詞が心の奥底まで浸みこんでくる。すごい曲である。

ああ、由紀さおり……。

【参】 夜明けのスキャット/由紀さおり/1969 

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床に広がる絹の海

何年振りだろうか。

テレビドラマの再放送で阿木燿子を見た。独特のスローテンポの口調になんともいえない素人っぽさを感じるものの、彼女の演技には見入ってしまう。この人の演技は外面的にはこんなだが、内面にはとてつもない美しい言葉がひしめいている、どうしてもそう思ってしまうからである。

山口百恵や郷ひろみの全盛期を支えた作詞家。あのジュディ・オングの「魅せられて」の作詞家。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「想い出ぼろぼろ」「カリフォルニア・コネクション」「DESIRE-情熱-」といったところが代表曲だろうか。研ナオコの「Tokyo見返り美人」なんていう隠れた名曲もある。

しかし、ぼくが阿木燿子に惚れて惚れて惚れ込んだのは、1978年秋、小学校6年生のときに聴いた、こうせつの「夢一夜」である。

素肌に片袖 通しただけで

色とりどりに 脱ぎ散らかした

床に広がる 絹の海

着ていく服が まだ決まらない

苛立たしさに 口唇かんで

私ほんのり 涙ぐむ

あなたに逢う日のときめきは

あこがれよりも 苦しみめいて

ああ 夢一夜

一夜限りに咲く花のよう 匂い立つ

このワンコーラスは“完璧”である。一つは日本語の美しさとして完璧であり、今ひとつは日本男児を萌えさせる女の形象として完璧であり、更に一つは不倫女性を描いたいかなる文学よりもその心象を描き切った点で完璧である。

当時のぼくはこれが不倫の歌だということもわからずに、ただこの詩の中に理想の女性像を見ていたように思う。ああ、美しい女性の内面とはこういうものであると。まさに「匂い立つ」というひびきが似合う。

かつて梶くんがこれに賛同し、二人で握手したのを覚えている(笑)。

直感だが、池田修も賛同してくれるのではないだろうか(笑)。イメージでしかないが、あのおっさんはこういう世界にじわっと来るタイプだと思う。

いずれにしても、阿木燿子はこの一曲を書いたことだけで、ぼくの中では「天才」である。

ただし、ツーコーラス目はいただけない。和語が美しい連鎖を見せていない。言葉が乱れてしまっている。「天才」にしても同じ質の言葉で二度まで世界観をつくりあげることはできなかったのだろう。まあ、仕方がない。

最後の仕上げに 手鏡見れば

灯の下で 笑ったはずが

影を集める 泣きぼくろ

というフレーズに近い質の高さが見られるけれど、しかし、ワンコーラス目にはかなわない。まあ、仕方がない。

ああ、阿木燿子……。

【参】 夢一夜/南こうせつ/1978

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半分終わればまあ満足…

目が覚めたらもう午後2時をまわっている。昨日寝たのが朝方だったから仕方ないのだが、半日損した気分である。こういうのは久し振りだ。

取り敢えず明後日の研究会の準備を急いでする。講座が一つに模擬授業が一つ。8年前の宿題をやり終えた。説明的文章の言語技術体系が完成したのである。これで、文学的文章・説明的文章・古典・音読・話すこと・聞くこと・書くことのそれぞれの言語技術体系がある程度見えた。全部で132技術になる。まあ、00年代の仕事として、それなりに誇っていいだろう。

しかし、講座は完成しない。この手のものができると、全体像を説明したくなってしまうからだ。しかし、講座は50分。これでは全体像は提示できない。もちろん、抽象的に説明することならできる。教材を使って具体的に提示することができない、ということである。具体的に説明できなければ伝わらない。そういう経験をいやというほど味わってきた。まあ、年が明けてから「言語技術体系」を提示する研究会をもつことにしよう。

講座準備は中途半端なままに、夕食後は学校祭のビデオ編集にとりかかる。CMを模した映像を4本。どれもまずまずの出来である。出演した生徒たちはそれなりに喜ぶだろうが、ぼくにとってはそろそろビデオ編集はルーティン・ワークになってきている。やればできるし、それなりの効果もあるのだが、あまりやりたいとは思わない。いまは頭が国語のほうに言っているらしい。

取り敢えず今日やらなければならないことの半分くらいは終えたようだ。最近、半分終わればまあ満足……仕事のペースがそんな感じになってきている。

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愚か者(笑)

愚かな女は時にはかわいい

愚かな男はただ愚かだね

これは沢田研二の「ロンリー・ウルフ」(1979年秋/作詞:喜多條忠)の歌詞の冒頭だが、中学校1年生のときからこのフレーズはぼくの中で一つの哲学として位置づいてきたように思う。愚かで許されるのは女だけであると。

かくいうぼくは自他ともに認めるまったくの愚か者なのだが、理想態として「愚かでない自分」になりたいとの思いは昔から強くもって生きてきたように思う。

また内田樹の「街場のメディア論」の話になるのだが、書棚の記述についてぼくは「わかるわかる」と肯きながら読んだ。端的に言えば、書棚とは「いつかこうありたい自分」という理想態の体現であると。ぼくもまたこの穴の狢である。

一方で、80年代から民間教育界を席巻している「名人モデル」という教師像にぼくはずっと違和感を抱いてきた。法則化運動に参加する教師が「向山洋一先生のようになりたい」と言ったり、野口流に憧れる教師が「野口芳宏先生のようになりたい」と言ったりする〈あれ〉である。ぼくはただの一度もだれかのようになりたいと思ったことがなかった。

いま「ロンリー・ウルフ」を聴いていて、ふと思った。ああ、ぼくの理想は具体的モデルではなく、抽象的な言葉によって理想態が定められてきたのだと。

理想態が言葉によって形成されているということは、それは理想態が具象であったり形象であったりするわけではないということである。いわば、ぼくの理想態は常に〈ベクトル〉として、つまり〈方向性〉として意識されてきたのだと。

例えて言えば、「愚か者」にはなりたくない、「愚か者」とはかくかくである、「愚か者」とはしかじかでもある、するとかくかくしかじかを禁じればよい、しかしかくかくもしかじかも時と場合によって異なる、ということはかくかくもしかじかも場合分けで考えねばならぬ、Aという場合ならばかくかくは……といったふうである。

かつて吉本隆明が自分の思考は頭の中で〈書き言葉〉として現出してくると述べていて、「ああ、オレも同じだ」と感じたことがあった。

ぼくは何か思考をめぐらすとき、或いはだれかと会話しているとき、更には研究会で登壇しているとき、常に頭の中に〈書き言葉〉が浮かぶタチである。〈書き言葉〉で浮かんだ言葉を瞬時に〈話し言葉〉に翻訳して発話する傾向がある。もう数十年もそんなことを続けているから既に慣れっこになっているのだが、どうもこれは一般的でないらしいということに最近気がついた。

例えばいま、ブログを綴っていても、ブログというものは〈書き言葉〉と〈話し言葉〉との中間くらいのスタンスで書くべき媒体であろう……という理由で、頭に浮かぶよりも少し〈話し言葉〉に近づけるという思考を経てキーボードを叩いている。

いままでそんなことは思ったことさえなかったのだが、こんな面倒くさいことをしなければならない人間は、きっと「愚か者」である。

もう30年以上考え続けている、「愚か者」という語を構成する要素がまた一つ増えた。それがこんな真夜中にこの駄文を綴ろうと考えた直接の動機である(笑)。

と……ここまで書いて、ぼくが前の文の最後に(笑)とつけたことのニュアンスは多くの人にとって理解できないのだろうなあ、という気がしてきた。こういうことが腹の底から気になるタチだというのも「愚か者」の要素である(笑)。

ここで最後に(笑)とつけるニュアンスは多くの人に伝わるだろう(笑)。

現在、1時55分である。

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新しい芸術性

学校祭の集中準備期間が始まった。要するに午後カットにして学校祭の準備時間とする期間が始まったわけである。勤務校の学校祭作業は「総合」にカウントされており、厳密にいうと午後カットなわけではない。しかし、生徒の意識からしても教師の意識からしても現実的には午後カットである。

さて、ここ5,6年だろうか、学校祭に対する生徒のノリが悪くなっているような気がする。

「気がする」という言い方は少々遠慮がちに言っている。本音は、気がするどころではない。明らかに悪くなっている。もはや確信に近い。いや、「確信に近い」という言い方も実は遠慮している。本当は確信している。「確信している」というよりも、「学校祭に対する生徒のノリが悪くなった」と本当は言い切りたい(笑)。

おそらくここ10年で、学校行事を支える文化の質に変化が見られている。それも圧倒的な変化である。しかし学校はそれに気づいていない。気づいていたとしても気づかない振りをしている。学校はいまそういう現状にある。

学校行事には3種類ある。「儀式的行事」と「旅行的行事」と「その他の行事」(中学校では「生徒会行事」)である。

「儀式的行事」は以前に比べて、つつがなく成立している傾向がある。現在は昔のように警察を入れての卒業式とか、保護者がガムを噛みまくりの入学式とかいうのは減ってきている。

おそらく世の中の右傾化が従来以上にこれらの行事を成立させる傾向にあるようだ。そういえば、ひどい成人式の報道も沈静化してきている。儀式は儀式、こうした儀式にミソをつけるような行為は社会が許さない、そういうメッセージを、21世紀になってからぼくらはずいぶんと享受し受容してきたように思う。

「旅行的行事」は以前とほとんど変化することなく楽しまれている。泊を伴った非日常空間の成立がこの行事を支えて続けている。修学旅行に行きたくないという生徒が保護者の賛同を得て実際に参加しないという事例もあるにはあるが、それはあくまで「超」のつく少数派である。大多数の生徒たちは修学旅行を楽しみにしており、それなりに充実した想い出を抱いて帰路に就く。

一時期、これだけ豊かな時代になったのだから、旅行など家族旅行でたくさんしているのだから、修学旅行などいらないのではないかという議論もあったが、最近はほとんど聞かなくなってきている。昔は修学旅行といえば酒を持ってきたり煙草をもってきたりということがよくあったものだが、最近はそれもめっきり減った。

せっかくの修学旅行なのだから違反行為などせずに楽しい想い出づくりをしようというのがコンセンサスのように見える。わずかに携帯電話を持ち込んで叱られる生徒がいるにはいるが、それも文字通りのわずかである。先生の目を盗んで夜中に携帯で連絡を取り合おうよ……という生徒が主流とはとうてい思えない。

「その他の行事」は、強引に二分類すれば「体育的行事」と「文化的行事」とに分かれる。

「体育的行事」は近年のスポーツイベントの流行が従来以上に生徒たちのモチベーションを盛り上げる傾向にある。かつてのように運動神経のにぶい生徒を徹底的に非難するということも見られない。イチローも中村俊介もミスした選手を決して責めない。むしろ全員で勝利したことを、或いは全員で一生懸命取り組んだ結果として惜しくも敗退したことを、紋切り型の言葉で満足げに語る。マスコミもミスした選手個人を責めない。今年のワールドカップでPKをはずしたなんとかいう選手がいい見本である。

「体育的行事」は間違いなく、かつてよりも学校教育が望む方向に進んでいる。もちろんうわべだけなのだが。それでも従来通りに、或いは従来以上に成立させることのできる学校の構成要素がほとんどないという現起用をみるとき、成立しているだけでよいではないかということになる。多くの教師にとっては検討の対象にもならない。まあ、それはそれでよい。

問題は「文化的行事」である。これだけが間違いなく生徒の意欲喚起に成功していない。年々目に見えて、生徒にとって消化行事と化している。

ごくごく単純にいえば、「文化的行事」はみんなで一つのものをつくりあげる、創造するという思想の体現の場として設定されている。学校祭や合唱コンクールはそうした目的を達成する場として用意されている。

しかし、それに対する生徒のモチベーションが上がらない。まずは90年代後半から2000年頃にかけて、「合唱コンクール」が大変な行事になってきた。担任教師はまじめに取り組ませることまず四苦八苦し、3日前くらいになってやっと軌道に乗り始める。しかしそれもまずまずの担任がまずまずのクラスを受け持ったときの話であって、ついに最後まで生徒たちのモチベーションは上がらなかったという学級もよく見られるようになった。

そしてここ5年ほど、「学校祭」である。学校祭もその企画を「先生が決めてよ…」といった雰囲気の濃度が上がってきている。少なくともその傾向がある。進歩的な教育学者や学校に批判的なマスコミ関係者などはそれは学校教育の在り方の問題であり、教師が生徒の主体性・創造性を摘んできたからだと批判しそうだが、その論理は既にあまりにも古い。或いは教師にモチベーションを高める力量がなくなっているという指摘もあり得ようが、特別活動を得意としている教師の学級にもその傾向が見られることに、その見解は少なくとも我々教師の教育的実感とはかけ離れていると言わねばならない。

教師の言葉として出てくるのは、「最近の子はみんなで一つのものをつくり上げることの価値がわかっていない」との子ども批判の声。しかし、果たしてそうだろうか。子どもの変容のみの責任に期すその論理は、「旅行的行事」や「体育的行事」はもちろん、「儀式的行事」までがかつて以上に成立している現実との間に齟齬がないか。

学校行事全般で見たとき、「帰属意識」とか「協働的な創造」といった次元のものはそれなりに高まっているのではないか。「儀式的行事」で今日はきちんとする日だとか、「体育的行事」で今日は得手不得手にかかわらずみんなで頑張ろうとか、そうしたモチベーションはかつて以上に高まっているのではないか。

なぜ、「文化的行事」だけにそのモチベーションの高まりが見られないのか。

実は「文化的行事」には、「帰属意識」や「協働的な創造」といった理念のほかに、もう一つ重要な要素がある。それは「芸術性」である。

「文化的行事」の目的の一つとされる「芸術性」は、「文化的行事」における発表物に「リトル芸術」或いは「プチ芸術」を求める。もっと平たくいえば、本物の芸術をモデルとして「学校祭」や「合唱コンクール」はつくられる。

本物の芸術とはすなわち「文学」「演劇」「合唱」「器楽」といったものである。

今日、ある同僚がステージ発表をダンスだけで構成することにしたら、ほとんど担任が指示しなくても指導しなくても生徒たちがどんどん進めていく、といっていた。その教師は、楽だ楽だと笑っていた。

ぼくはさもありなんと感じていた。

変わったのは生徒ではないのではないか。「芸術性」のほうなのではないか。つまり、「芸術」というものが「文学」や「演劇」や「合唱」や「器楽」であるというコンセンサスのあった時代が終焉したのではないか。その代わりに、「演劇」は「映像」に、「合唱」は「ダンス」に、「器楽」は「バンド演奏」に取って代わられたのではないか。そう思うのである。

冷静かつ真摯に考えてみていただきたい。ある学級が全員でひとつの完成度の高いダンスパフォーマンスをつくりあげたとする。それはある学級が全員でひとつの完成度の高い合唱をつくりあげることよりも価値が低いといえるだろうか。「帰属意識」の醸成や「協働的な創造」の要素はダンスにだって充分にある。それが学校教育の目的にあわないとなぜいえるのか。いえないとすれば、「合唱コンクール」は実は「ダンスコンクール」でも目的を達することができるのではないか。少なくともその可能性は検討されてよいはずである。

これはぼくが「演劇」や「合唱」や「器楽」を否定していることを意味しない。学校祭や合唱コンクールを時代に合わないからやめてしまおうという意味でもない。

ただ、ぼくらの世代が知り得ない、教師の世代には今ひとつ理解できない、「新しい芸術」概念が既に生まれてしまったということではないのか、と言っているだけである。つまり、ぼくら教師は、「文化的行事」を企画し取り組むときに、こうした「新しい芸術性」を念頭に置いて企画しなければならない時代が来たのではないか、と言っているだけである。

例えば、2000年代に入って、文芸評論の世界が、本気になって「エヴァ」や宮崎駿を論じているのをご存知だろうか。総理大臣がエックス・ジャパンを好きだと言い、サミットのテーマソングをそのメンバーがつくったのはもう一昔前の話なのである。現在の中高生がそういう時代に育ち、そういう空気の中で感性を育んできたことにぼくら教師は無関心であるべきではない。

「新しい芸術性」を本気で取り入れ、どのように「従来の芸術性」と棲み分けさせるか。両者をどのように折衷するか。両者をどのように止揚させるか。学校教育がそういうことを本気で考えなければならない時代が到来している。

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世論・道徳・倫理

「街場のメディア論」(内田樹/光文社新書474/2010.08.20)を読んでいたら、「世論」という語の見事な定義があった。

揺るがぬ真実であるのだが、自分の生身を差し出してまで主張しなければならないほど切実な真実ではない。(p102)

なんとも見事な定義ではないか。思わず笑ってしまう定義でもある。

この後、メディアがこの無責任気質的世論性に蝕まれており、医療や教育といった本来経済合理性・等価交換性でその是非を断じてはいけないものにまでその断罪欲を伸ばし、結果メディアが医療崩壊・教育崩壊への主要因となっている……とまあ、内田らしい展開にもっていくわけだが、その論理はもう読み飽きた。

それより、最近の内田の魅力は、こうした冗談とも本気とも窺い知れないような、それでいて自らの言とは論理矛盾するような、なんとも読者の無責任気質的世論性をくすぐるような定義を持ち出すところにある。言葉は定義して使うべきであるとは学問の常道であるが、言葉を楽しみ、言葉を世界観を形づくることに意識的な者にとって、日常的に用いる語に対してこうした世界認識の触媒となるような定義を施すこともまた大変有意義なことである。

かつて宮台真司が「道徳」と「倫理」を次のように定義したことがあった。

道徳とは、時代や場所によって変容しうる、共同体に基づいた基準

倫理とは、自らが逮捕・拘束されようとも、或いは処刑されようとも貫き通す個人ないにある基準

この二つは、いまぼくが理解しているままをあくまでぼくの言葉で語っているものであって、宮台その人の言葉ではないのであしからず。出典を忘れてしまったので、仕方なくこんな書き方をするのをお許しいただきたい。

いずれにせよ、内田の「世論」の定義と宮台の「道徳」「倫理」の定義とを敷衍すれば、結局「道徳」とは内田のいうようなレベルの低い「世論性」に帰結してしまう。

学校教育における「道徳」という語も「倫理」とした方がいいのかもしれない(笑)。だって多くの道徳の授業は、内田「世論」を言葉にしてみる作業であることが多いもんね。

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問いと答え・2

先日の講座の7曲。すべてYOU TUBEにありました。

い・に・し・え/日暮らし

あの日にかえりたい/荒井由美

哀しみ本線 日本海/森昌子

SNOW DANCE/DREAMS COME TRUE

一番綺麗な私を/中島美嘉

あなたに逢いたくて/松田聖子

あなたのキスを数えましょう/小柳ゆき

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忘れないことである

最近、よく森田を想い出す。

森田茂之は私の師匠である。2001年12月30日、心筋梗塞でこの世を去った。54歳だった。明けて1月3日に葬儀があって、私は弔辞を読んだ。こんな弔辞だ。

「潟沼先生の御退官の折には、卒業生をたくさん集めて御苦労さん会を開かなくちゃなぁ」
ビールをあおりながら、あなたとこんなことを語ったのは、つい半年ほど前のことです。

そう言っていたあなたが、なぜだか今、かくも多勢の卒業生を集めてしまっていることを、私たちはどう理解すればいいのでしょうか。潟沼先生の御退官にはまだはるかに間があるというのに、早すぎるではありませんか。

思えば、あなたは学生を大切にする教官でした。あなたの研究室には、かつて四研に所属した学生の写真が初代から順に並んでいます。そして、どの写真でも、あなたは中央にドンと陣取り、どこか満足げな笑顔をたたえているのです。私たちは卒業後も四研におじゃまする度に、その写真を眺めて「おお、また増えた」と、四研の短い歴史に、どこか得意げな想いを抱いたものでした。

私たち四研所属学生は、俗に「森田ファミリー」と呼ばれ、まるでマフィアのファミリーのように鉄壁の連帯を誇っていると揶揄されたりもしました。私たち四研OBは、卒業してなお、森田が困っているのなら、森田が一声かけるなら、「いざ鎌倉」の用意も持っておりました。それなのに、私たちが馳せ参ずべきあなたは、既に帰らぬ人となってしまいました。こんな日は、二十年も三十年も先の話だと思っていました。

あなたが永眠した夜、私は学生時代の写真を見直しました。どの写真も、あなたは中央に陣取り、そして笑っていました。水ゼミ合宿では、浜益の海辺の民宿岩浅で焼き肉を食べながら笑っています。木ゼミ合宿では、支笏湖畔でジェンカを躍りながら笑っています。新歓コンパでは、多くの学生に囲まれて、やはりあなたは中央で笑っているのです。

浜益での水ゼミ合宿では、民宿の庭で焼き肉パーティをしながら、カラオケを歌う習わしでした。私が大学一年のとき、点数つきカラオケで高得点を挙げた折、それを見たあなたは、「よーし。堀君には負けられませんから」と選曲を始めました。選んだ曲は『哀しみ本線 日本海』。二点差で私に負けたあなたは、まるで子どものように、庭のコンクリートを叩いて悔しがっていました。先日の紅白歌合戦で森昌子が一六年振りの復帰を果たしたのを見た折、私はこの合宿での出来事をはっきりと想い出しました。私は元日からCD屋に走り、森昌子のCDを求め、一日中、『哀しみ本線』を聴き続けました。すると、聴けば聴くほど、あなたの低く、太い歌声が甦ってくるのです。もう一五年も前のことだというのに、はっきりと聞こえてくるのです。

私が大学三年のとき、私たち四研生は、あなたと、あなたの家族とともに、四研ドライヴと称して小樽に行きました。八九年七月一六日のことです。その中に、伊藤整文学碑の前で、私が京君を、梶が章君を肩車している写真があります。私たちが「先生も入って」と言うのに、あなたは「いや、私はいいです」と傍らに避け、自らシャッターを切りました。数枚の写真を撮る間、あなたはなんとも満足げな表情で目を細めていましたね。私が小馬鹿にして、「森田も人の親ですなぁ」と言うと、あなたは「それはそうですよ」と応じました。そのときのあなたの表情がはっきりと想い出されます。こんなことが想い出されるのも、あの日、私たちが二人を肩車したように、今後の京・章を支えてくれ、というあなたのメッセージでしょうか。

あなたとの想い出は、挙げれば切りがありません。ゼミの納め会で一気をし過ぎて国研横のトイレで一緒に吐いたこと、特製原稿用紙に手書きでびっしりと書き込まれた講義レジュメ、教育実習でもないのに学生の私たちを現場に連れて行き、年に六本もの授業をさせてくれたこと。そして、私たちが水ゼミ・木ゼミの歴史を、延ては四研の歴史を築くために創刊した『礎』『はまます』『幻像』の三誌。そのどれもが、いまなお私たちを根底から支えている宝です。

そして何より、私たちが現場に出て以後、十年以上にわたって月一で例会をもってきた共同研究、実践研究水輪。この水の輪と書く「水輪」という名称も、水ゼミの輪という意味を込めて、三ヶ月にわたってみんなで考えた末にできあがった名前でした。

私が最後にあなたに会ったのは、一二月二六日。あなたが帰らぬ人となるわずか四日前、水輪の二○○一年最後の例会です。場所はやはり四研でした。会が終わったのは、夕方六時頃だったでしょうか。帰り道、私たちの前を走っていたあなたは、岩見沢インター手前で左ウインカーをあげて、ゆっくりとガソリンスタンドに入っていきました。思えばあれが、あなたと私との最後になりました。あのとき入れたガソリンは、おそらく使い切られることなく、いまなおあなたの車のタンクの中で、あなたをいずこへかと運ぶためだけに、静かに待っていることでしょう。

あなたの口癖は、「人生、太く短く」でした。この言葉を、他ならぬあなた自身の口から何度聞いたことでしょう。いま思うと、あなたは本当に、太く短い人生を送りました。戦後の混乱期に生まれ、七○年安保闘争に学生時代を送り、あの校内暴力吹き荒れる中に現場時代を過ごし、大学改革急激に進む中、毎日、奔走を続けていました。しかし、そんなあなたの人生を、武田泰淳とドストエフスキーをこよなく愛し、西尾実、荒木繁、大河原忠蔵を敬愛して止まなかったあなたの人生を、他ならぬあなた自身がまったく後悔していなかったということが、弟子の私にはよくわかります。

思えば、私とあなたの師弟の契りは、わずか一五年に終わりました。確かに現世では一五年でしたが、いつの日か、来世で、私は再びあなたの門を叩きます。私だけでなく、桑原も、北山も、梶も、山下も、竹美も、ヤスも、賢治も、再びあなたの門を叩くでしょう。そして、来世には、現世になかった、悠久の時間が流れていることでしょう。その日まで、私たちはあなたの研究を継承するのみならず、大いに進化させましょう。再びあなたの門を叩くときには、両手に抱えきれないほどの手土産を持って伺います。そしてまた、ホッケの開きとイカの一夜干しで、熱燗をキュッとやりましょう。

その日まで、しばしお別れです。安らかにお眠り下さい。

平成14年1月3日

教え子を,そして「実践研究水輪」を代表して/堀  裕 嗣

思えば、私が書いた幾千の文章の中に、これほど思いを込めて書いた文章はないのではないか。35歳。元旦の夜にバーボンを煽りながら綴った記憶がある。ハーパーを一晩に2本も空けたのに、ちっとも酔わなかった。酔いたいのに酔えない。精神はこれほどまでに強い影響を肉体に与えるのか、薬物の影響さえ最小限に止めてしまうのかと、馬鹿げたことを考えながらひたすら原稿用紙に向かっていた。

それから9年経って、私の中で何かが変わっているのを感じる。その変化を無理に言葉にしてみれば、森田は精一杯生きたのだからいいではないか……といった趣である。最近、私の中に現れる森田は学生時代に私たちといっしょに大笑いをしている姿ばかりである。輝いていた森田ばかりである。

つい最近、同い年の知人が亡くなった。この世を去るには30年早いなと感じた。

昨年、一つ年下の元同僚の女の子が交通事故で亡くなった。そのときもこの世を去るには40年早いなと感じたのを覚えている。

21世紀になって、どうも同世代の死を経験することが多くなった。森田が亡くなったときも若いなと感じたものだが、それとは少々異なるショックが私を捕らえている。

高校時代の同級生も何人も亡くなっている。中には自殺した者も少なくない。そのうちの二人は私が高校時代に懇意にしていた友人である。毎日のようにゲームセンターに入り浸り、金と女の話ばかりしていた。十数年後に彼らが自殺するなんて想像だにしなかった。いや、彼ら自身、自らが死を選ぶなどということを想像していなかったに違いない。遺された者は「死ぬくらいなら、なんとでもなっただろうに」とか「死ぬなんて馬鹿だ」とか「遺された家族のことを考えなかったのか」などと言った。

しかし、私にはそうした台詞がどこか死者への冒涜に聞こえたものだ。その程度のことを自ら死を選ぶ者が考えなかったとはとても思えないのである。そんな一般人が思いつく程度のことなら、彼らだって考えたに違いないのだ。むしろそれでも死を選ぶと決意させたものがあったのだ。

死者の死の理由を論じるべきではない。論じたって始まらない。死の動機を抽象的で月並みな言葉で括るべきではない。遺された者にできることはただ悲しむことだけである。

ただ悲しみ、淋しがり、残念に思えばよいのである。死の理由を論じたり、彼の分まで生きようと思ったり、遺族に必要以上の憐憫の情を抱いたり、これすべて死者への冒涜に過ぎない。もう一つだけできることがあるとすれば、それは彼らを忘れないことである。

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正しすぎる論理

教師が陥りがちな病理に「正しすぎる論理」があります。

「絶対なんてありません。人それぞれですから…」というのがそれである。この論理は正しい。正しいだけにだれも反論できない。しかし、正しすぎるがゆえに何の役にも立たない。役に立たないばかりかマイナスにさえなる。それは、この論理を持ち出した途端に、すべての思考がストップしてしまうからだ。

何かを思考しようとするとき、何かを議論しようとするとき、「絶対なんてない」という論理は取り敢えず括弧に括らなければならない。括弧に括って、もっといいものはないか、いま自分が考えているよりも高次の見解はないか、こういう構えで思考したり議論したりしないことには、すべてが現状維持である。しかもレベルの低いままの現状維持である。この「正しすぎる論理」は思考の敵、議論の敵なのである。

しかし、教員世界には思いの外この論理を持ち出す人が多くいる。特に研究畑の教師に多い。更にいえば、国語教育に携わっている者に顕著に多い。おそらく、あまりにも諸派諸説が乱立しているため、対立しないために編み出された詭弁なのだろう。また、自分の主張へのこだわりが大きいために、対立する主張から自分の身を守るために弄される詭弁という側面もある。前者は〈止揚〉を、後者は〈成熟〉を拒否している点で百害あって一利なしである。

百歩譲って、こうした態度が自分自身のみのこだわりから発祥しており、他に迷惑をかけないでいるのであれば、それほどの実害はない。しかし、こうした人々の多くは、他の人にもこの論理への帰依を要求する。そしてそこでの議論をストップさせ、高次の見解へと到達していく可能性をつぶしてしまうことが多い。その場の空気を支配しているような、地位のある年配者にこういう人が多いのも特徴である。だからその場にいるメンツが成長しない。

更に言うと、こういう地位のある年配者は官製研に多い。「絶対などない。人それぞれである。」と言いながら、その「人それぞれ」の所以たるその他の見解には一切目を向けない。だから、官製研の多くは、身内の狭い範囲の実践を紹介し合い、それらを褒め合って、それらだけから学んでお門違いの教材にお門違いの手法を用いて自己満足している……なんていう実践になってしまう場合がある。

「絶対などない。人それぞれである。」とは、多くの場合、「私は正しい。だれに否定されるべきものでもない。」という意味である。そして、そういう人は身内の実践群と理念的に合致しない「異質な主張」が出てくると、否定する側にまわる。「絶対などない」という正しすぎる論理は、形而上を離れ形而下で用いられた途端に「詭弁」と化す。

かつてこんなことを考えて、ぼくは官製研から距離を置いた。この見解はいまでもほとんど変わっていない。

議論というものは、「こちらの見解の方が高次だ」と信じて疑わない者同士が、本気になって論じ合ったときに生産的になる。こうした理念がどんどん教員世界から、いや、この国から失われてきているようだ。とても残念に思う。

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問いと答え

「失恋してもまだ想い続けている」という女性の心象を歌った次の7つの詩のうち、〈文学的価値〉の高い詩である、つまり文学言語として質が高いと考える順に並べ、その理由を述べなさい。

【A】 あなたに逢いたくて
    逢いたくて
     眠れぬ夜は…
       あなたのぬくもりを
       そのぬくもりを思い出し…
       そっと瞳 閉じてみる

【B】 ハラハラ舞う雪になって
     あなたのホホをそっと撫でて
     サヨナラサヨナラ歌って
     街を渡ってどこへ行こう 吹かれて行こう
     1900年代最後の夏は行って
     思い出だけ食べて秋は過ぎて
       会えなくなった月日はひそやかに
       輪を描いて積もる

【C】 あなたのキスを数えましょう
        ひとつひとつを想い出せば
        誰よりそばにいたかった
        without you but you were mine

【D】 青春の後ろ姿を
    人はみな忘れてしまう
      あの頃のわたしに戻って
    あなたに会いたい

【E】 一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう
      あの日心は震えてた だけど今溢れ出す
      一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう
      時を超えるこの想いは 愛の他何があるでしょう

【F】 遠いいにしえの恋の想い出に
      眠れずに昔の写真をこっそり出して見る
       はるか町を見下ろして
       木陰に座り風に吹かれた
       あの時のあなたの横顔の甘さ

【G】 私には戻る胸もない
      戻る 戻る 胸もない
       もしも死んだら あなた
     あなた泣いてくれますか
       寒い こころ 寒い
       哀しみ本線 日本海

この問いを16人にアンケートをとったところ、次のような結果になった。ちなみに内訳は男性11名・女性5名。年代は20~60代である。

1.GBEAFDC/2.BEDCGFA/3.FDEABCG/4.ECGDBFA/5.DBFAECG/6.DCEGBAF/7.FGDBAEC/8.ECBFAGD/9.GECBDFA/10.BFDCGAE/11.ECFGADB/12.GBAEFDC/13.FBDEAGC/14.BEGDFAC/15.DGBCEFA/16.DAFGCEB

1位はA・Cがゼロ、Bが3人、Dが4人、Eが3人、Fが3人、Gが3人である。一方最下位はAが4人、Bが2人、Cが5人、Dが1人、Eが1人、Fが1人、Gが2人。

1位が7点、2位が6点……7位が1点としてそれぞれを点数化してみたところ、1位がBで74点、2位がEで73点、3位がDで72点、4位がGで67点、5位がFで65点、6位がCで53点、7位がAで41点である。

目を引くのはAが他を圧倒して点数が低いこと。「文学言語として質が高い」という基準でみたとき、日常語のみで構成され、それぞれの言葉同士においても特殊なつながりが見られない、つまり作者自身の独自の物の見方・捉え方が見られないという点で妥当な結果だと考えられる。これを1位にした人はいなかったわけだが、これも妥当な結果である。もしもこれを1位にしたり高く評価したりした人がいるとすれば、それは文学的センスがない、といえる。言葉がきついが、この詩は女子高生でも書ける詩である。昔、「My詩集」なんかによく出ていた、少女趣味の詩と同質であるという言い方もできる。

では、文学的価値の高い「文学言語としての質」とは何だろうか。

第一に、一般的な人々が日常世界で気づかないようなことを、それでいて具体性の高い形象性(目に浮かぶような表現)として提示しているかどうかという点である。

この観点で考えると、「あなたのキスを数えましょう」という表現は日常的に一般の人々が考えにくい感覚である。かつての恋人を想うとき、公園でのデートの形象や旅行の想い出やレストランでの食事を想い出すことはあっても、「キスの形象」を想い出し、しかもその回数を数えようという発想は生まれない。しかし、一度それを数え始めると、かつての恋人との形象が次々に想い出されるはずである。この表現は文学的に「形象性に優れている」といえる。それを数えることによっていくつもの場面が想い出され、「だれよりそばにいたかった」という嗚咽的な心情が湧いてくる。それによって「キスを数えることによって生まれる心情の深まり、新たな世界観」を謳っている。この詩はそういった詩である。アンケートに答えた人たちはおそらく最後の英語のフレーズに抵抗をもったのであろうが、詩的言語が英語ではいけないということはないので、それは論理の外に置くべきだろう。ぼくはこの詩は基本的に文学言語として質が高いと思う。

また、「一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう」というフレーズも同様である。「あの日心は震えてた/だけど今溢れ出す」という表現から処女性として「一番綺麗な私」を捉えた人もいたが、それではいかにもつまらない。これは一般的によくいわれる「恋する女性は美しくなる」という通念をもじって、「最も私を綺麗にしたのはあなただ」と言っているのである。つまり、この女性は何人もの男性と恋愛の経験を重ねてきたのだけれど、自分が最も綺麗になったときはあのときであり、その「あなた」との恋愛こそ「実は愛だったのだと気づいた」と歌っているのである。これも新たな世界観を作り出している。こうした発見を「一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう」と歌う在り方は、文学言語として質高く成立していると思う。

この観点で他の5つの詩を見てみよう。Aは日常語のみで新たな世界観はなし。Bも日常語のみで構成され、高い形象性もない。Dもだれでも使えるような日常語のみで構成されている。FもAに近い。だれでも経験しているような出来事をだれでも思いつくような言葉で語られているだけである。Gは日常語であるばかりか、表現が芝居がかっており、大袈裟に構成されている。その分、文学言語としての質は低くなってしまう。

第二に、使われている言葉は日常語でしかないのだが、それが独特のつながり方を示すことによって新たな世界観を創り出してしまうという在り方がある。まど・みちおや北川冬彦、谷川俊太郎によく見られるタイプの詩的言語である。たとえば、「消しゴムの哀しみ」のように、「消しゴム」も「哀しみ」も直接的な日常語だが、これをつなげて「消しゴムの哀しみ」という表現にしてしまうと、どんどんすり減っていく消しゴムは実は哀しんでいるのではないか……という日常的には考えにくい世界観を広げることになる、といった文学性である。

この観点で見ていくと、突出しているのはBである。まず話者が雪になる。しかもかつての恋人のほほをそっと撫でて「さよなら」と伝えるためである。更にその後は「どこへ行こうか」とあてのない自分の心象を歌い込む。「1900年代最後の夏」「想い出だけを食べる秋」という叙述のあと、冬を迎えて風で舞い上がり、輪を描いて積もる、厳冬と自分の心象とを重ねる。しかも「寒い」とか「悲しい」とか「寂しい」とか、そうした手垢のついた日常語を一切使わずに世界観を創り出している。国語教育界では「なりきり作文」とか「変身作文」などといって培おうとしているタイプの創造性を一つの作品として完成させている詩である。これも文学言語としては質が高い。

これに次ぐのは「青春の後ろ姿」と、二つの日常語を連鎖させることで新たな心象を産み出しているEだろうか。この「青春の後ろ姿」という世界観を「人はみな忘れてしまう」と一般化することで、読む者に「自分にも覚えがあるなあ…」と原罪意識を喚起するしかけである。そこにさらに追い打ちをかけて「あの頃のわたしに戻ってあなたに会いたい」とごく普通の、先の表現でいえば「女子高生でも思いつく表現」を重ねることで、この表現を引き立たせてしまっている。つまり、読む者に原罪意識を喚起していることによって、この表現が「女子高生でも思いつく表現」を超えて受け入れられるようにしている、意図的なしかけなのである。

この観点で他の5つを見ると、こうした特殊な言語連鎖はほとんど見られない。ただ一つ見られるのはGの「哀しみ本線 日本海」だろう。もちろん、日本に「哀しみ本線」なる鉄道はないだろう。しかし、この言葉を造語することによって、しかも「哀しみ」と「本線」という日常語同士を連鎖させることによって、メタファ(比喩的表現)として成立させているのは確かである。しかも最後に「日本海」とつけることによって、裏日本の寒さ、雪、風といった形象をも重ね合わせようとしている。その意図は明確である。ただし、これはこれらの裏日本に対するイメージという既習知識をもたない者には通じない言語連鎖である。コンテクストに寄りかかり過ぎている傾向がある。文学言語の質としては判断の分かれるところである。ただし、恋を失った女性の女心を大袈裟に歌い、最後に「哀しみ本線 日本海」なんていうコンテクスト依存ばりばりの造語にすべてを凝縮させてしまう、この歌詞の在り方は圧巻である。演歌に多い手法であるが、こういうのに日本人のおじさんは弱い……という傾向がある(笑)。

この7つの詩を用いて先の問いを発し、ファシリテーションをおこなったのが昨日のぼくの模擬授業だった。しかし、こうした文学言語の象徴性ではなく、技法ばかりに目がいっていた参加者がいたのは少々残念に感じた。

もう一つ、文学的文章教材を国語科授業で教える目的は、こんな些細な歌の歌詞の中にも、こんなに文学的に感動するような世界観や発見があるのだということに気づけるような認識力をもつことだと考えている。こうした言語感覚をもっているからこそ、書くときにも話すときにも具体例や比喩を効果的に使えるようになるのである。日常的に目にする看板のキャッチコピー、日常的に耳にする歌の歌詞、こういうところに目や耳を傾けていない人たちは、文学的センスに欠けると断じたい。もちろん、Aのような直接的な日常語に感動している人たちにも文学的センスはない。ぼくは本音ではそう思っている。(ただし、これらの詩はあくまで歌詞なので、これらの詩が曲に載せられたときには別の観点が生まれる。だから、松田聖子の「あなたに逢いたくて」という楽曲そのものに価値がないと言っているのではない。あしからず……。)

最後に、ぼくならBECDGFAと並べる。

ちなみに出典は以下のとおり。

A:あなたに逢いたくて/松田聖子/作詞:松田聖子

B:SNOW DANCE/DREAMS COME TRUE/作詞:吉田美和

C:あなたのキスを数えましょう/小柳ゆき/作詞:高柳恋

D:あの日にかえりたい/荒井由美/作詞:荒井由美

E:一番綺麗な私を/中島美嘉/作詞:杉山勝彦

F:い・に・し・え/日暮らし/作詞:武田清一

G:哀しみ本線 日本海/森昌子/作詞:荒木とよひさ

本当に最後に、ぼくが曲として好きな順番は、FDGBEACといった感じでしょうか(笑)。ぼくは日暮らしの杉村尚美の声がなんとも言えないほどに好きなんです。

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活用力への第一歩

「第12回国語科授業改革セミナーin札幌」が終わった。「研究集団ことのは」と「教育実践サークルDNA」が共同で進めていく形になった研究会である。国語教育界の今日的な課題について、実践的に提案していくことを旨としている。

今回のテーマは新指導要領の「活用力」と「言語活動例」とを意識した授業モデルの模索。「ことのは」の堀・山下、「DNA」の南山・高橋・山口のほかに「北の教育文化フェスティバル」の山田洋一くんを加え、6人で新指導要領国語科の授業モデルを次々に提案していった。

山下くんは詩歌の活用力に培う学習活動の在り方の提案を、「DNA」の3人は視点の転換によって文学作品に描かれている世界観を広げることに重きを置いた提案を意識したようである。山田くんは文学的文章教材の授業をいわゆる「発信型授業」に転換していく場合に、子どもたちにどのように見通しをもたせるかということに力点を置いた。どれもこれからの国語教育、新指導要領の国語科授業像を考えていくときに、かなり重要になる視点ばかりである。

隠れたテーマとして、「プレ教材」をどのように位置づけるか、発展的な活用力育成の学習活動のバリエーションをどのように広げていくか、という2点が色濃く反映されていた。これも今後、取り組んでいかなければならないテーマであることを実感した。

さて、この日のぼくの役割は、第一に、文学的文章教材における「習得・活用・探究」の授業像について基調提案すること、これが50分。第二に、山口・高橋・山下の3本の模擬授業を解説すること、これが15分程度。第三に、「活用力」育成に培っていくために学習者に意見交流させる方法をいくつか紹介すること、これが模擬授業形式で45分。三回の登壇場面があった。

基本的に今回のぼくのコンセプトは、学習者に全員参加を保障しつつ、確実に意見交流させるシステムについて、実感的に理解してもらうことに重きを置いた。そのために、「バズ・セッション」「グループ・ディイスカッション」「ファシリテーション」「ワールド・カフェ」「ギャラリー・トーク」を2本の講座の中にふんだんに盛り込んだ。その分、文学教育観に関することとか、文学教材をどう読むべきかとか、そうした理念的なことを一切捨てた。新たな文学的文章教材の授業モデルを提案していくうえで、必要な段階の一つだと割り切っての提案である。

夜は、またまた「悪いヤツ」の飲み会になった。

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動き続けること

どうしようもない現実的な現実と現実的に格闘し、なんとか現実的にこなすことができた、そんな一日だった。

今朝出勤するときはかなり絶望的な気分だった。絶望的…は大袈裟かもしれないが、とにかく面倒だった。

第一に明日の職員会議資料を6枚作って印刷しなければならない。

第二に授業が3本のうち二つが小テストである。

第三に昼休みに漢字テストの追試があって採点に追われることになる。

第四に放課後には生徒会役員といっしょに来週の学校祭関係の動きに目鼻をつけなければならない。

第五に白石区中学生の主張大会関係の事務仕事をしなければならない。

第七に読書感想文関係の提出締め切りを迎える。

第八に学校祭関係の買い物に行かなければならない。

第九に夜19:30からPTAの環境パトロールがある。

第十にこの合間を縫って研究会準備をしなければならない。

息つく暇もなく動き続け、すべてこなした。第九以外はぼくにとっては「こなす系」の仕事である。こうしたことどもをこなすためには、働き続けることではない。動き続けることである。

こういう日がある。ただただ動き続けて、なんとかこなさなければならない現実的な一日というものが。こんな一日がそれほど嫌いではない。オレにもまだ瞬発力がある…ということを確認する一日であるからだ。

環境パトロールの帰り道、ハンドルをにぎりながら鼻歌を歌っている自分に気がついて嗤ってしまった。

もう一度言おう。現実的な現実をこなすのに必要なのは働き続けることではない。動き続けることだ。

実は研究も同じである。研究をするために働き続けることなどできない。とにかく動き続けることである。言葉を換えていうなら、変化し続けることである。これを体得している者とそうでない者との間には10年も経てばいかんともしがたい大差が生まれる。世の中はそういうふうにできている。

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誘惑言語

一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう……

久し振りにしびれるフレーズだ。このしびれ方は「あなたのキスを数えましょう」以来である(笑)。「一番綺麗な…」にしても、「あなたのキスを…」にしても、どこから、どんなふうにこんなフレーズが湧いてくるのか、2泊3日くらいの合宿でご伝授願いたいものである。そのくらい「うまい!」と呻ってしまう。

女性にとって「一番綺麗な私」とはいつごろのことなのだろうか。男性から見れば「○○歳くらい…」とすぐに言えてしまうに違いない。しかし、女性の立場なら…と考えると、想像力が起動してしまう。まあ、現在の中島美嘉の年齢ではないような気がする。

一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう/作詞:杉山勝彦

あなたのキスを数えましょう/作詞:高柳恋

双方ともに男が書いた、男の想像力を喚起するフレーズである。女がこんなことを考えることはまずないだろう(と思うが、自信はない)。いずれのフレーズにもそのフレーズの意味だけにとどまらない、失恋した女の性(さが)を彷彿させる趣がある。女性を完璧に描いたとされる有島武郎でさえ、こんなにも短い言葉で、こんなにも威力のある〈誘惑言語〉を書き得なかったのではないか。

いつだったか、寺田透が詩的言語のメタファ論で〈誘惑言語〉という語を用いていて、いたく感銘を受けたことがある。おそらく大学生の頃だったと思う。詩言語における比喩性はその誘惑性の高さの如何によって評価されるとの論理であるが、言い得て妙とはまさにこのこと。

あなたに逢いたくて 逢いたくて 眠れぬ夜は

あなたのぬくもりを そのぬくもりを想い出し

そっと瞳閉じてみる

松田聖子の書いたこのフレーズと比べてみれば一目瞭然である。同じ失恋を描いていても、この詩は男を誘惑しない。直截すぎて、具体的すぎて、ひねりがなくて、したがって女々しいだけである。

ところが、「あなたのキスを数えましょう」と言われた日にゃあ、男の感じる罪意識はキラウェア級に大爆発。更に、「一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう」と来たら、それはもう一気にビックバン級である。この誘惑度は形容しがたいメガトン級である。世にこれがわからない男性も多いだろうが、それはその男性の言語能力が低いのである。

ぼくの感慨は中島美嘉や小柳ゆきのルックスや歌唱力とは何ら関係のないところでクラッシュしている。この二人のシンガーはぼくの嫌いタイプのシンガーであり、これまで一枚もCDを買ったことがない。あくまで感慨の対象は言葉である。

この二つのフレーズはスゴい。

ただ一つだけ気になることがある。高柳恋さんって男ですよね? もしこの人が女だったら、ぼくのこの論理はすべてハジョウ……いや、破綻してしまいます(笑)。

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気概と丁寧さとしつこさと…

2年4組で漢文の小テスト。

返り点・送り仮名を指導しての30点満点である。

平均点が28.1点。これは一昨年上篠路中学校1年1組の29.3点には及ばないものの、まずまずの点数である。

あの上篠路の1年1組は出来過ぎた。女子生徒で満点ではない生徒が二人だけ。しかもその二人も29点。女子の最高点が30点で最低点が29点という、ものすごい学級だった。ありえない。あんな学級は二度ともてない。だいたいあの学級は学級編制を間違えたのだ(笑)。

さて、今回の2年4組。満点が7人。あとは一桁と十点台公判が一人ずつ。この二人を除けば最低点は23点。学級の85パーセントが25点以上である。

実はこのテストは十数年前につくったもので、これまで19学級でおこなっている。今回が゜20学級目である。この平均点は歴代2位。全市的にも成績のよくない学校といわれているのだが、たいしたものである。このテストは決して簡単なテストではない。つくったぼくがいうのだから間違いない(笑)。

やるべきことがはっきりしていて、丁寧に教えれば、いまどきの子でも、できない子と呼ばれるような子でもできるようになるという証拠である。問題は教える側の「一人も置いていかない」という気概と、授業の丁寧さと、もう一つはしつこさである。

できれば小学校の算数にこの3つが欲しいなと思う。せめて九九や通分には同じような気概と丁寧さとしつこさが欲しい。最近の九九や通分の習熟率の低さには深刻なものがある。できるだけ小学校の悪口は言いたくないのだが、ここ10年くらいで目に見えて深刻化しているのを肌で感じる。

ゆとり教育のせいなどではない。子どもの変容のせいでもない。ここに気概と丁寧さとしつこさを発揮しなければならないというコンセンサスが、この10年間、小学校で落ちてきていたのだと思う。義務教育のシステム改変でも行わない限り、その後の学年でこの遅れを取り返すことは不可能に近い。

正直、ぼくは国語科でよかったなと思うことがある。数学科の教師たちにはどこか諦めが感じられる。そんな諦めの表情をもう10年近く見続けているような気がする。

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不まじめをまじめに行う

学校祭まであと2週間。準備に使える登校日は今日を入れてもあと7日しかない。そういう切羽詰まった状況で、なんとか今日から撮影に入った。

CMを模したおちゃらけである。「中学校・学級経営セミナー」ではお馴染みの論理なのだが、ぼくはこうした「教師としての同調力の発揮」を意識的におこなっている。とは言っても、こんなおちゃらけをまじめにつくるのがぼくのやり方である。不まじめにつくるとだれてしまい、悪影響が大きい。不まじめな内容をまじめにつくるのである。これはぼくの教育信条の一つである。

生徒会役員がみんな汗だくになりながら、16時45分から17時45分まで、ちょうど1時間ほどの撮影。この時間になるまで学級分担のステージ練習で場所が空かないのだから仕方がない。それでも18時前には終わるところがぼくの生徒会である。学校祭準備が始まって17時を過ぎたのは今日が2回目。生徒会優先時間が16時以降と定められているにしてはまずまず頑張っていると思う。

あと6日。なんとか質を確保して完成させたいものである。

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求刑を上回る判決

毎日新聞社によると、横浜地裁の裁判員裁判で求刑の懲役18年を上回る懲役20年の判決が出たらしい。いくら三審制で控訴審・上告審があるといっても、これがまかり通っていいのだろうか。

確かに被告は被害者を刃物で26回も刺して失血死させた。その意味では残酷な殺人事件ではある。また、公判では無表情で「記憶にない」を繰り返し、法廷での態度からは反省の色がまったくうかがえなかったとも言う。その結果、判決文を読んだ高橋裁判長は「無表情で人ごとのような法廷での態度から反省は全くうかがえない。求刑は軽すぎて受け入れがたい」と指摘したとも言う。

しかし、有期刑というものは被告を更正させる立場から与える刑である。更正が無理と判断されたり、あまりにも残酷な、主に複数の被害者を殺害したりした場合に際してこの国では死刑がある。それなのに、裁判員の評決が検察側の求刑を超えた刑期を決定するということがあってよいものだろうか。刑事裁判の意義が根本から覆らないだろうか。裁判員にそこまでの権限を与えていいものだろうか。

おそらくこの被告の法廷での態度は、だれが見ても不遜と思われるような態度だったのだろう。裁判員はそれを見ているのもいやになるような、そんな態度だったのだろう。それは間違いなかろうと、ぼくにも信じられる。しかし、だからといって、求刑以上の刑期という判決は少々感情論が過ぎないだろうか。

これは国民的な議論に発展させるべき案件である。

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ズルいデブ

みなさんは「ズルいデブ」という言葉をご存知だろうか。

メタボという言葉はご存知だと思う。メタボの定義はある医者によると、ウエストが85センチ以上で、体重が標準体重を大きく上回っており、血圧・善玉コレステロール・悪玉コレステロール・血糖値のうち2つが危険値にある状態をいうのだそうだ。

そしてこの基準に照らして、ウエストが85センチ以上で標準体重を大きく上回っているにもかかわらず、血圧・善玉コレステロール・悪玉コレステロール・血糖値のどれも引っかかっていない……こういう人を医者は陰で「ズルいデブ」と呼んでいる、というのである。

実は今日、ぼくは健診だった。

医者はぼくの個人票を見るなり、「先生、ズルいデブだねえ」(笑)。

「なにがズルいんですか?」とぼく。この問いに答えてくれた説明が先の説明だった、というわけである。

ほう!それはそれは……。悪い気はしない。

喜んでいるぼくに向かって医者は、

「でも、もうすぐですよ。3年計画くらいで30キロくらい落としたほうがいいですねえ……」

そんなことはいわれなくてもわかってる。

話は変わって赤坂真二の今日のブログ

赤坂が珍しく愚痴ってる。何があったのか知らないが、ぼくの知る限り赤坂がこういうネガティヴなことを書いているのを初めて読んだ。「愛と勇気」とはちょっとイメージが離れている。でも、人間なんだから仕方がないけどね。それに対して、赤坂の相棒の真理さん(11月にお会できるのをぼくも楽しみにしている。なにせ赤坂と会うとこの人の話題ばかりだから……。赤坂によると「情念の女」なのだそうだ。)が「よくわかります」と書いているのも印象的である。その前の「やったね!」はどう解釈すればいいのか、しばし悩んだ。

さて、赤坂は年をとってくるとこういうことを考えるようになる……的なことを書いているわけだが、ぼくが年をとって考えていることはこうである。

何より健康を第一に考えて、酒も飲まず煙草も吸わず喰いたいものも喰わない、そんな生活をすることが果たして幸せなのだろうか。ぼくも44才である。残りの人生は節制をしてもあと40年。ぼくの師匠である不節制の塊森田茂之は54歳で亡くなったから、それと同じ死に方をするとしたらあと10年。この30年の差に何があり得るか。

まあ、「ズルいデブ」でなくなったときに真剣に考えよう。

でも、今日の医者の言はぼくの去年のデータを見て言ったことである。こんなふうに調子に乗っていると、数週間後に4つとも引っかかりました……なんていう報告が来るものなんだよなあ。なにせ部活をもたなくなって2年目。職体に出られなくなって3年目。間違いなく運動不足なのだから。

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第5回石川晋・堀裕嗣「ふたり会」featuring桃崎剛寿

○第4回の上條晴夫先生に続き、第五回は、『「中学生を変えた」奇跡の道徳授業づくり』や『中学版 とっておきの道徳授業』シリーズの編集代表として著名な、道徳・学級経営の達人桃崎剛寿先生をお招きします。

○今回のテーマは、ずばり、学級経営の基本的な考え方を学ぶ、です。中学道徳のトップリーダーととして発信を続ける桃崎先生は、ご専門は数学で、数学のジャンルでの『数学脳』(実業之日本社)などの著作で知られています。教科経営と学級経営との関わりについても、お聞きするチャンスです。小学校の、特に高学年の指導に悩む先生方にも、大いに役立つお話をお聞きできます!もちろん、初来道! です。

※ふたり会は、石川晋、堀裕嗣の二人の中学校教師が、毎回全国有数の実践者・研究者をお一人お呼びして、ふだんの研修会ではなかなか取り上げられることのない、授業づくりや教室づくり、あるいは様々な今日的な教育課題について、本音で語る研修会です。

【テーマ】: 学級経営の基本的な考え方を学ぶ
【主 催】:  教室実践力研究会
【講 師】: 桃崎剛寿・堀裕嗣・石川晋
【日 時】:  2010年10月17日(日)
【場 所】:  札幌市白石区民センター1F多目的室
【定 員】: 40人
【参加費】:  4,000円
(なお、前日の中学校学級経営セミナーとの両日参加者は、両日ともに3000円です)

【プログラム】

9:00~9:10 受付
9:10~9:15 開会セレモニー

9:20~10:20  講座1/桃崎剛寿
学級経営講座「信頼を築く」

10:30~10:55 講座2/堀 裕嗣
学級経営のポイントを語る

10:55~11:20 講座3/石川 晋
学級経営のポイントを語る

11:30~12:20 講座4/鼎談/桃崎剛寿&堀裕嗣&石川晋
今、学級経営に求められていること

昼食

13:10~15:40 講座5/対談/堀裕嗣&石川晋
今、一番話したいことを話しつくす(ファシリテーター:山下幸)

15:40~15:50 閉会セレモニー

【お申し込み方法】
以下の7点をお書きの上,葉書かFAXがEメールにて下記まで御連絡ください。
1.氏名/2.勤務校/3.郵便番号/4.住所/5.電話番号/6.FAX番号(ない場合には「なし」と明記)/7.メールアドレス(なし場合には「なし」と明記)
對馬義幸(つしま・よしゆき)
FAX (011)812-4563
E-mail: yontsussy34@K3.dion.ne.jp

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夜明けの街で/東野圭吾

夏休みとか冬休みとか、長期休業日に本を読まない。おそらく21世紀になってずっとそういう生活になっている。

この夏休みもそうだった。なぜそうなるかといえば、長期休業はまとまった時間が得られるので、どうしてもインプットよりもアウトプットの生活が中心になるからだ。だから長期休業中の読書というのは原稿を書いたりPPTをつくったりするための〈調べ読み〉というか〈つまみ食い読み〉というか、どうしても情報を得るための読書になる。

本を読まない生活が数週間続くと、長期休業が終わってもなかなか本に手が伸びない。そんなこんなで、8月に入ってから一昨日まで、ぼくはただっの一冊もまとまった読書をしていなかった。

金曜日に上條さんを迎えに札幌駅に行ったことは前に書いた。そこで街行く人をウォッチングしたり、ドトールのバイトの姉ちゃんに「そりゃねえな…」と感じたことも。実はもう一つしたことがある。それは本を物色したことである。

とは言っても、本屋に行ったわけではない。札幌駅東改札口に弘栄堂書店の支店というか、キオスクに毛の生えたような本屋がある。雑誌・文庫・新書を中心に、せいぜい2千冊くらいしか置いていないだろう、小さな小さな大衆書店である。

時間があったので暇をつぶしているうちに熱中し始めた。特に欲しい本など一冊も置いていないような本屋なのだが、東野圭吾の文庫を1冊と新書を1冊買った。東野圭吾の方は本から離れた1ヶ月半のリハビリとして軽い文体のミステリーでも……と思ったからであり、もう1冊の新書はタイトルに惹かれたからである。

51sdvopesl__sl500_aa300_ さて、東野圭吾のほうを昨日の夕方から読み始めた。7月下旬に出た「夜明けの街で」(角川文庫)という新刊である。3頁ほど読み進めたところで、「これは読んだことがある」ということに気がついた。文庫化される以前、おそらくは単行本が上梓されたと同時に読んだのだろうと思う。それでもまずまずおもしろかったので、ついつい最後まで読んでしまった。390頁ほどのそれなりの長編なのだが、夕方から読み始めてその日のうちには読み終えてしまった。

ずいぶんと前のことになるが、ぼくは東野圭吾の文体について「人間が描けていない」と批判したことがある。古いタイプの文学青年のような批判の仕方だが、東野には確かにそういう傾向がある。でも、この「夜明けの街で」は割とよく人間が〈描写〉されている。細かな心情の起伏とか、情景の移り変わりによって主人公の視点の動きを表して心情を浮き立たせるとか、そんな〈描写〉群が適度に配置されている。いわゆる純文学ばかり読んできたぼくのような者でも、読んでいて退屈しない。

ただ人間が描かれているなあ……と感じたこの本では、東野の得意とする「どんでん返し」がガサい。ありきたりなのである。しかも無理がある。犯人…というか、犯罪を犯した登場人物が登場してきた時点で、それがわかってしまう。それもかなり物語としては前のほうでである。たぶん東野としては人間を描くほうに重きを置いた作品なのだろうなとの感触を抱いた。

さて、昨日の夜にこんなくだらない(といっては申し訳ないのだが)ミステリーを1冊読むと、脳が活字に慣れてしまったらしい。慣れたというよりも、元に戻ってきたらしい…というべきか。いつもよりちょっとだけ早く起きたので、朝からもう1冊の新書のほうを読み始める。

うーむ。おもしろい。

この本については、読み終わってからね。

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第16回・中学校学級経営セミナーin札幌

学級担任必須アイテム/学校行事と道徳授業

「とっておきの道徳授業・中学校」編著者

桃崎剛寿先生 北海道初見参!

昨年度、10回連続講座で好評を博した中学校・学級経営セミナー。今回は年4回開催の3回目。今回のテーマは2学期の大きな行事「合唱コンクール」、そして道徳授業。特に今回は道徳授業のベストセラー『とっておきの道徳授業・中学校編』(現在、8巻まで刊行/日本標準)の編著者桃崎剛寿先生をお迎えして、道徳授業の在り方、道徳授業のつくり方についてみっちりと学びます。どうぞお誘い合わせのうえご参加ください。

講師 桃崎剛寿・堀 裕嗣・石川 晋・山下 幸

日 時:2010年10月16日(土) 9:10~16:50

会 場:札幌市白石区民センター3F集会室A

参会費:4,000円/定員:40人

【 日 程 】

9:00~ 9:10 受 付/9:10~ 9:15 開会セレモニー

9:15~10:45 講座1/石川 晋
報告:今年度、合唱コンクールをどう指導したか
一足早く合唱コンクール指導を終えた石川晋先生が、今年度の合唱コンクールにおい
て、学級に指導した内容のすべてをビデオ映像を交えながら報告します。
10:45~11:15 講座2/石川 晋/司会:堀 裕嗣                                             
合唱コンクール指導・Q&A
参加者からの質問に石川晋先生が応えます。合唱コンクールに向けて、
最後の1~2週間で何をすべきか。具体的に学べます。

11:30~12:15 講座3/山下 幸
模擬授業:道徳授業をどう作るか                     
13:15~14:00 講座4/堀 裕嗣                        
講座:道徳授業の年間計画をどう作るか               
平成17~18年度、文部科学省指定研究「生命を尊重する教育」を経験した二人が「生命の尊重」の道徳授業をどのように作ったか、具体的に報告します。
                                                  
14:15~15:45 講座5/桃崎剛寿
中学校道徳の授業改革~その方向性と実際                                 
『とっておきの道徳授業・中学校』(日本標準)の編著者桃崎剛寿先生が、中学校の道
徳授業をどのように構成するのか、その実際について具体的にレクチャーしてくれま
す。道徳を苦手とする先生にもわかりやすい、模擬授業を交えた講座です。

16:00~16:45 講座6/桃崎剛寿・石川 晋・堀 裕嗣/司会:山下 幸
Q&Aで学ぶ・道徳の授業づくりのイロハ
桃崎剛寿先生の講座5を踏まえ、参加者からの質問、石川先生・堀先生からの質問に   桃崎先生に応えていただく中で、日常的に道徳授業を充実させていく手立てを考えて
いきます。

16:45~16:50 閉会セレモニー

【講師紹介】

桃崎剛寿(ももざき・たけとし)/熊本市立江原中学校・教諭
昭和63年熊本大学教育学部数学科卒業、平成2年熊本大学大学院教育学研究科数学教育専攻代数学専修修了。本渡市立本渡中学校、熊本市立北部中学校、熊本市立武蔵中学校、熊本県立教育センター指導主事(道徳担当)を経て、現在熊本市立江原中学校に勤務。教育サークル「道徳教育改革集団」に所属。団長兼中学代表。著書にベストセラー『中学校編とっておきの道徳授業』Ⅰ~Ⅷ(日本標準),『「中学生を変えた」奇跡の道徳授業づくり」(日本標準)がある。また、熊本県中学校数学教育研究会の事務局長として数学教育でも県のトップとして活躍している。教育月刊誌『数学教育』(明治図書)に執筆多数。埼玉大学岡部恒治教授との共著『数学脳』(日本実業出版社)は台湾版、韓国版がある。
「道徳数学桃崎剛寿道場」http://www2.infobears.ne.jp/athome/momochan/

【お申し込み】

□お申し込み方法は以下のとおりです□
以下の7点をお書きの上,葉書かFAXがEメールにて下記まで御連絡ください。
1.氏名/2.勤務校/3.郵便番号/4.住所/5.電話番号/6.FAX番号(ない場
合には「なし」と明記)/7.メールアドレス(なし場合には「なし」と明記)

小木恵子(こぎ・けいこ)
FAX (011)866-6422 E-mail : YFA39060@nifty.com

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強制力が生む当事者意識

ストップモーション授業検討&ライフ・ヒストリー・アブローチという構成の研究会も7回目を迎えた。ある程度、この研究会の構成の仕方にもこなれてきた感じがあり、ほとんどよどみなく進む一日となった。

それでいて、ライフヒストリーのインタビューの仕方について細かな点で新しい手法が開発されたり、シェアリングの仕方としてワールド・カフェとギャラリー・トークをミックスする手法を取り入れてみたりと、研究手法の面でも新たな発見があって有意義な一日となった。

参加者の感想を読むと、まずまず満足度の高い一日になったようで、何よりである。

一日のキーワードは〈バランス〉であったように思う。一斉授業とワークショップ型授業とを対立的に捉えるのをやめよう、教師として授業者として生き残るためには一斉授業ワークショップ型授業なのだ、〈バランス〉に視点を置いた〈観〉の構築・〈手法〉の構築・〈年間計画〉の構築が必要なのだ、こういった論理が飛び交った。

ぼくはぼくなりに、こうした話を当然のことだと感じながらも、この論理を現場の先生方に実感的に伝えることの難しさ、浸透させることの難しさ、更には実践させることの難しさ、難しさばかりに目が向いていた。

いったいどうすれば、この論理構造を実感的に捉えてもらえるのか。

ワークショップ型授業を構成するためには、ワークショップを成立させ、実質的に機能させる〈フレーム〉が必要である。〈フレーム〉がきつすぎるとワークショップの良さを生かし切れないし、ゆるすぎると機能しない。〈フレーム〉の設定をどの程度の基準で行うのか。それも〈環境調整型権力〉の発動として、参加者に意識させないままに、或いは参加者に心地よい緊張感を与えながら〈フレーム〉を設定する。ワークショップ型授業はまさにここは命である。

例えば、昨日のぼくの出番は最後の1時間ほどのファシリテーターだった。ワールド・カフェとギャラリー・トーク、更にはプレゼンテーションの原理をミックスさせて、かなり〈フレーム〉をきつくして臨んだ。

第一に、各4人グループの個々人に1番~4番までの出席番号のようなものを与える。参加者は自分の何番なのかを認識する。そして1番は何をしなさい、4番はこうしないさいと、指示していく。これは明らかに一斉授業で効率的に進めるための技法である。しかし、全体を一度に、一遍に動かしていくためには不可欠な〈しかけ〉である。

第二に、壁に貼った模造紙にウェビングを描かせながら、今日の学びを3点ずつプレゼンさせる。しかもここでは、1番~4番まで順に持ち時間2分程度とフォーマットをつくる。その後5~7分間のフリー・ディスカッションである。これもかなりきついフォーマサットであろう。しかし、順番も時間もプレゼンツールの書き方も設定してかなりきついフレームを与えられているのに、参加者はきつさを感じない。公平性があり、効率性があることを参加者が感じ取れるからである。しかも、最後のフリーディスカッションにはかなり自由度が高い。と同時に、フォーマットのきつさについて考える前に、参加者の思考はプレゼン一人2分という規定があるので、どこまで話せてどこからは話せないかという発表の思考、優先順位の思考へと誘われる。これが計算されている。これも〈しかけ〉である。

第三に、4番の人を残して、1~3番の人は他のグループに移る。これは4番の人だけが強制されているように見えながら、実は4番の人は自分がこれまで話してきたことをもう一度話せばいいだけであり、実は一番楽なのである。その他の3人は別のグループに行って、最初のグループを代表して他グループのプレゼンツールを充実させなければならない。更には後に、元のグループに戻ったときに、責任をもってその交流内容を報告し、自グループの交流を充実させなければならない。この責任感をもつことを強制しているのである。これも〈しかけ〉である。

第四に、元のグループに戻ってのギャラリー・トークである。他のグループの交流内容をシェアするという意味合いもあるが、なんと言っても、ここでは他グループで交流をしてきた1~3番の人たちの報告のしやすさを保障している。このギャラリー・トークがなかったとしたら、模造紙に書きながら交流した内容について、音声のみで報告しなければならなくなる。それがギャラリー・トークであることによって、そのシートの前で、つまりプレゼン・ツールを見せながらという形で報告ができるのである。しかも全シートの前でプレゼンが行われるので、ここでも参加者全員が、責任をもって、必ず一回プレゼンをするという機会が与えられる。もちろんこれは、逆に言えば強制されるということだ。これも〈しかけ〉である。

第五に、これらのすべての活動を受けて、元グループのシートを充実させ、そして教師の学びの構造というテーマについて、更に充実した交流を行う。発表者を決めて、最後には全体で交流内容をシェアする。これも1グループ1分という時間の目処を与えててある。これも〈しかけ〉である。

〈環境調整型権力〉はこのように発動されている。しかしこういうことがぼくに見えるのは、ワークショップを学んだからではない。強制と強要によって進んでいく一斉授業の論理の中から、最低限必要な強制だけを残して他の部分はすべてあずける……という発想でつくっているからである。最低限の強制とは、〈責任感〉をもたせることと〈時間意識〉をもたせることの2点である。それも参加者個々人に、しかも一人残らず全員にもたせなければならない。

結局、この原理は処女作『全員参加を保障する授業技術』に書いたことと何も変わっていない。適度な強制力の発動が学習者の当事者意識を生むという原理である。変わったのは強制力の発動のさせ方が〈規律訓練型〉から〈環境調整型〉に移行させているという一点である。

ぼくなりに理解した〈学びのしかけ〉とは、〈環境調整型権力〉を発動させるためのしかけと同義である。

※ちなみに、〈環境調整型権力〉はぼくの造語である。一般には、〈規律訓練型権力〉に対置されるのは〈環境管理型権力〉(東弘紀)と呼ばれている。〈管理〉という言葉が教育界で使うには概念的に重いと感じ、ぼくはここ数年〈調整〉という言葉を使っている。

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意味

仕事のあと、札幌駅に上條さんを迎えに行く。余裕をもって出たので、電車が着くまで少し時間がある。久し振りに北口に座り込み、街行く人を観察する。

まず驚いたのは、ネクタイをしている人の少なさ。午後7時。帰路に就くサラリーマンが大挙して歩いていたのだが、9割以上がノーネクタイ。クールビズってこんなに浸透しているか……と改めて実感させられた。

実は先月東京に行った際にも、同じようなことを感じたことがある。そのときは東京はこんなにクールビズが浸透しているのだなあ、札幌ではネクタイしている人をまだまだたくさん見るのに……なんて考えていたのだが、実はこの認識は間違っていたということである。考えてみると、通勤片道1時間の上篠路から片道6分の北白石に移って以来、市井に働く人々をちゃんと見たことがなかったのだということに気がついた。

第二に驚いたのは、パンツやスカートをウエストではく人の少なさ。30分ほど街行く人を眺めていたのだが、パンツやスカートをウエストではいている人をたった二人しか見なかった。しかも一人は70代とおぼしきおじいちゃん、もう一人は60代後半とおぼしきおばあちゃんである。二人とも上半身がものすごく短く見えて、周りの人たちとくらべてなんともアンバランスな印象、周りの風景と明らかにミスマッチなのである。

第三に、スーツでバシッと決めている女性の少なさ。昔、キャリアウーマンとかいわれた、スーツでバシッと決め、胸元や首のあたりにスカーフその他でちょっとだけ華やかなアクセントを施している……そんな姿はたった一人。40代とおぼしき女性だけ。それもファッションになどまったく関心のないぼくから見ても、明らかに時代遅れの印象だった。

そういや、最近は飛行機に乗っても、キャビンなんとやらがどこか野暮ったく見える。昔はスチュワーデスといえば、背筋を伸ばして颯爽と、足早に空港を歩いていたものだが、いまはどこか背中に丸みを帯び、数人でけらけら笑いながら、ゆっくりと、タラタラ歩いている印象がある。……先月、空港でそんな感想をもったことを想い出した。

ぼくらが生きてきた時代にはまだ垣間見られた職業的なアイデンティティ、それを身にまとう職業的な「型」とでもいうべきものが壊れてしまったのだな……そう感じた。それがいいことなのか悪いことなのか、ぼくには判断がつかない。伝統・文化を重んじる論者たちであれば大声で嘆くところなのだろうが、ぼくには嘆かわしいという感触も感慨もない。ただ、変わったなと思うだけである。

途中、北口のドトールでアイスコーヒーを買った。「テイクアウトで一番大きいやつを」というと、「かしこまりました」「ガムシロップとミルクはお使いでしょうか」とマニュアルどおりの言葉が次々に浴びせられる。

そのうちに、おもしろいことがあった。店頭の女の子がコーヒーの注がれた透明のプラカップに蓋をしめる。紙に包まれたストローを取り出し、口をつける箇所にだけ包み紙を残して蓋にさす。ストローを差し込んでから、ストローの残りの包み紙をとって渡そうとする。しかしその瞬間、彼女はストローの先端を飲みやすいように少し傾けるという作業を忘れていたことに気づいた。そして何の疑問も抱くことなく、素手でさっと折ってぼくに渡してくれた。

おいおい。それじゃあ、これまでの苦労が水の泡じゃないか。なんのためにこれまでストローの飲み口に直接触れることなく作業を進めてきたんだい……。

別にぼくは彼女の手が汚いとか、他人のさわったものを絶対に口にしたくないとかいった潔癖性はもっていない。だから、ぼくの立場から見ればそんなことは実はどうでもいいことである。最初から彼女がべたべたさわったストローを出されたとしても、おそらく何も思わないし、気にもならなかっただろう。

しかし、マニュアル通りとはいえ、これだけ直接ストローに触れるのを避けて作業を進めてきた中で、最後に小さなミスを取り返すために何のためらいもなくストローに直接さわるというのは、それも飲み口にさわるというのは、このマニュアルの意味を彼女が理解していないことの証なのではないか。ぼくはむしろ、この「マニュアルの〈意味〉を理解していない」というアルバイト店員の存在ということがやたらと気になる。アルバイトでもそこは理解していないとダメでしょう……と叫びたくなる。もちろん、ほんとうに叫んだりはしないけれど……。

アイスコーヒーをもって喫煙所に行き、そこから再び街行く人たちを眺めていると、だんだんと「自分の仕事の意味を一つ一つ考えながら仕事をしている人が、この中に何割いるのだろうか」という疑問が頭をもたげてきた。

上條さんを迎え、途中で加藤さんを拾い、熱々を囲んだ酒悦のおでんは、意味なんか考えさせる暇もないほどに美味かった。

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冬へと……

日中の最高気温こそ27度とか28度とかになるけれど、朝晩は寒くなってきた。窓を開けて寝ると風邪をひいてしまう。先週までの暑さが嘘のように、北海道らしさが戻ってきた。

陽の照っている間はぽかぽかしているけれど、陽の落ちた途端にぶるっと来る。それが北海道の夏であるはずなのに、陽が落ちても暑さが続く、挙げ句の果てに熱帯夜も続く。そんな時期はもう完全に過ぎ去ってしまったようだ。おそらくもう、最高気温が30度を超えることもないだろうし、窓を開けて寝ることもないだろう。昨日今日と学校で仕事をしていても汗をかかなかった。こんなことは何ヶ月振りだろうか。

また、冬へと一歩一歩近づき始めたな……、実感した二日間だった。

なんのつながりもないが、昨日の夜も今日の夜もこのビデオを何回も見た。

渚でシャララ/JULIE with THE WILD ONES

最高にいい。

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鈴木宗男

鈴木宗男氏の上告が棄却され、実刑が確定した。今日のインタビューでは、この時期に自分の上告棄却を決定することは、民主党代表選において小沢一郎候補に不利益を与えるために、意図的に「政治と金」問題を再び浮上させようとした「ドロドロとした意図」が垣間見られる……と、鈴木氏本人が明確に言葉にしていた。

確かにここ数年、検察にも法務省にも司法にも、こうした印象を与える判断やリークが多いのは確かである。実質的な国政選挙や政党の代表選挙といった大きな政治闘争さなかの逮捕やリーク。世論を席巻するような大事件が起こる度に、過去に似たような印象の事件を起こした死刑囚に施される刑の執行。そしてとうとう、司法までがこんなタイミングで上告棄却を決定するようになってしまった。

ぼくのような法律の素人でさえ、大袈裟に言えば「この国に民主主義はあるのか」と考えてしまうような〈何者かの意図〉を想像してしまう。

昨年夏の衆院選後、政界において我が北海道はボロボロである。

鳩山由紀夫が北海道選出議員初の総理大臣になったと喜んだのも束の間、十勝の石川議員の逮捕、北教組からの不透明な選挙資金の流れを指摘された小林議員、実母から政治資金収支報告書に記載されていない資金をもらっていたとされた鳩山首相、いまだ謎に包まれている(と言っておこう)中川昭一氏の死去、よくもまあ、こんなに悪いことが続くものだとぼやきたくなるような道内政治家の状況である。そして今回、これらに続いての鈴木宗男氏の上告棄却……ということになる。

今日のインタビューで鈴木氏は「新党大地は活動を継続。後継者が……」と話していたが、この状況で北海道が沸くためには、もう補欠選挙か知事選に松山千春でも出るしかあるまい。しかしこれとて諸刃の剣。確かに沸くには沸くだろうが、賛否両論が吹き荒れ、松山千春が30年をかけて築き上げてきた顔にもきな臭い匂いが漂うこと間違いなし。

ここまでを読んで、読者の皆さんは、ぼくがなんとなく鈴木宗男氏に親近感を抱いているように感じられたかもしれない。実はぼくは、高校1年のとき、十勝のあるホテルでアルバイトをしていたことがある。ホテルでパーティがあったときなどに、厨房から水割りやビールを運んだりする仕事、まあボーイみたいなものである。

ある日、そのホテルの大宴会場で中川一郎のパーティがあって、ぼくらバイトは300人くらいの出席者にたった8人でせっせと酒を運んでいた。政治家主催などという大人数のパーティに慣れていないぼくらは、「やれ遅い」だの「やれ皿を持ってこい」だのと言われ続け、裏ではぶつぶつ文句を言っていた。政治家のパーティとはいえ、出席者の多くは地元のおじさんたちである。酔えば言葉が荒くなる。

中川一郎は満面の笑顔で常に輪の中心にいる。中川昭一はどことなくすました顔でビールをつぐ。出席者のおじさんたちの言葉は荒い。そんな中で、酒を運ぶぼくらに「お兄さんたち、ご苦労さんだねえ…」とつばを飛ばしながら満面の笑みを向けてくれたのが鈴木宗男氏だった。いまよりもう少し前髪があって、いまよりもう少し髪が黒くて、ただ人としての印象はいまと何も変わらない。田舎くさいけど、いいおっさんだな……と感じたのを覚えている。

いまひとつ記憶が定かではないが、昭和57年の夏だったと思う。確かその数日後、中川一郎は札幌パークホテルで自らの命を絶ったのではなかったか。

ぼくがこの話を書くことは、決してぼくが政治的に鈴木宗男氏を支持していることを示すわけではない。そもそもぼくは、ここ数年の「新党大地」に対する比例代表以外、鈴木宗男氏に対する投票権をもったことがない。従って必然的に、鈴木宗男という政治家個人に投票したことはない。「新党大地」と書いたことがあるか否かは書くべきではないので、書かないでおく。

ただぼくが選挙権をもって以後もそのまま十勝に住み続けていたとしたら、高校時代のこの経験故に、投票用紙に「鈴木宗男」と書き続けたかもしれないな……とは思う。その可能性は否定できないな……と思う。ぼくが鈴木宗男という政治家に親近感を抱いていることは確かなことなのだろう。

こんなことを考えながら、やはり政治とか、選挙とかというものに、こうした親近感がかなりの重要性をもっているということに、今更ながら気づかされた次第である。

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1978年のヒロリン

どうでもいいことといわれそうですが、そして、さっきのブログと矛盾するともいわれそうですが、ぼくの一番好きな岩崎宏美は1978年の岩崎宏美です。「二十才前」から「あざやかな場面」、さらに「シンデレラ・ハネムーン」を経て「さよならの挽歌」と続くこの年。

後年に残るヒット曲は「シンデレラ・ハネムーン」しかありません。それも岩崎宏美の功績というよりはコロッケの功績……。岩崎宏美にとってはそんな目立たない年ではありますが、この年は岩崎宏美が二十歳になって、日を追うごとに美しくなっていった年でした。

ぼくはこの年小学校6年生でしたが、どんどん綺麗になっていくヒロリンにドキドキしながら、テレビにかじりついていたものです。

そんな、この年のヒロリンの変遷をご覧ください。

二十才前 → あざやかな場面 → シンデレラ・ハネムーン → さよならの挽歌

「シンデレラ・ハネムーン」の最後の表情、そして「さよならの挽歌」の大人びた、それでいて少し背伸びをしているように見える伏し目がちの表情がたまりません(笑)。

だれですか? 4本とも見たけど大差ないなんていってるのは……。それはぼくのいっていることが問題なのではなく、あなたの美的感覚に問題があるのです。

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都と鄙

今日は岩崎宏美の25周年記念ベストを聴きながら仕事をしています。

1984年のシングルに「20の恋」という曲があります。「はたちのこい」と読みます。作詞は康珍化さんです(ちなみに作曲は財津和夫)。

街で偶然に ねえ出会った時に

青いオフィスの制服に マニキュアの爪かくした

何も飾り気が ねえなかったころの

そんな私をいつまでも 覚えててほしいから

こんな曲です。ちょっとだけ、この歌詞の部分だけでいいので聴いてみてください。あまりにも美しいヒロリンの映像とともに、美しい歌声を聴くことができます(笑)。

これを聴いていて、ふと思ったことがあります。こうした「純な若者が外見を飾るようになったら、内面まで変わってしまったことを意味する」或いは「外見的に飾らない者こそ純である」といった、信仰にも似た歌詞を最近聴かなくなったな……、いや、最近などという話ではなく、岩崎宏美ファンたるぼくの個人的な感触でいえば、この曲以来、聴いていないな……という気がしたのです。

これはどうしたものか……。

それ以前、例えば70年代なら、「人ごみに流されて変わってゆく私をあなたはときどき遠くでしかって」というユーミンの歌声とか、「恋人よ いまも素顔で くち紅も つけないままか 見間違うような スーツ着たぼくの 写真 写真を見てくれ / いいえ 草にねころぶ あなたが好きだったの でも 木枯らしのビル街 からだに気をつけてね」という太田裕美の歌声とかがすぐに耳に聞こえてきます。

こんな歌詞を想い出していて気がつきました。

おそらく、80年代に「都と鄙」という対立が崩壊したんですね。考えてみると、田舎の純な若者が都会に出て変わっていくとか、子どもの頃の純粋さを失って物理的世界が広がったために飾り気が出てくるとか、かつてのこの手の歌はそんな世界ばかりが語られていました。こうした世界観の前提となる「都と鄙」という構造が崩壊すれば、こうした世界観自体がなくなってしまうのも当然のこと……というわけです。

そういや、ぼくが子どもの頃から聴いてきたふきのとうとか、松山千春とか、中島みゆきとか、北海道のフォークシンガーはこんな世界観ばかりを歌っていました。要するに「鄙の歌い手」だったということなのでしょう。

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バリバリ

腰……というか、背中がバリバリである。

頭……というか、後頭部がくらくらする。猛暑の疲れが出ている感じ。

学期はじめの2週間。実習生にはそれほど苦労しなかったのだが、なにせあの暑さ。中年の暑がりおじさんにはものすごくきつかった。

今夜は涼しい。久し振りに扇風機も休暇をとっている。犬も元気だ。

野中さんが血気盛んに「学級づくり」の必要性を叫んでいる。もっともである。中学校に身を置くぼくらは、授業づくりと学級づくりが異なるということを身をもって実感している。この二つが異なると言った小学校教師に初めて逢ったのが野中さんだった。

もう何年も前になるが、「そうだよねえ」と握手したのを覚えている。

還暦を過ぎてもバリバリ働き、バリバリ提案し続ける野中さんには頭が下がる。やはり最後は健康の勝負なのだろう。

小学校は中学校の生徒指導をシステムで動かす、学級をシステムで動かすという発想を学ぶべきである。中学校は小学校の授業づくりの在り方、授業技術の細かさを学ぶべきである。そう考えて、もう15年が経つ。小学校も中学校も、自らの古い慣習からなかなか抜け出せないでいる。そういうことだ。

それにしても背中がバリバリである。

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函館

函館はそれほど暑さを感じることもなく、過ごしやすい2日間だった。

金曜日、午後から年休をとってゆっくり運転していった。高速のパーキングの度にホットコーヒーを買い、一つ一つの味の差を感じながら。「なつかしのフォーク」という2枚組のCDが2000円で売っていたので購入。フォーク・クルセダースとか、かまやつひろしとか、トワエモアとか、自分が本当に幼少の頃に流行っていた曲を口ずさみながら、100キロを出すこともなく、本当にゆっくりと運転していく。かまやつの「我が良き友よ」を聴きながら、梶くんを想い出す。学生時代に二人で、よくこの曲をカラオケで歌ったものである。

そんなこんなで、17時過ぎに函館着。

ホテルに「あれ」があった。木製の4つのピースで10種類程度の指定の形をつくる、あの昔ながらのパズルである。あまりに懐かしくて、夢中になって取り組む。すべてをクリアしたときには1時間ほどが経っていた。

その後、今回ぼくを招いてくれた「函館教師サポート研究会」の事務局の皆さんと小宴。ゆっくり寝て、土曜日は4時間の講座。ここにも熱心な若手教師、ベテラン教師の方々がいた。特に、20年以上の建築会社勤務のあと、志をもって46歳で高校教師になったという方のお話が印象的だった。46歳で初任研、57歳で10年研を受けるんですよと笑っておられたが、おそらくぼくらには想像のできない大変さがあるに違いない。

講座修了後、すぐに帰路につく。伊達でブラッシュの日だったので、途中伊達によって、事務局の面々の小宴に顔を出す。伊達にも「悪いヤツ」が集まっていた。特に女性の「悪いヤツ」は手がつけられない(笑)。初めて講座をもった若手・中堅がそれなりに満足感を得ることができたようで、雰囲気のいい小宴だった。

帰宅は23時30分。犬2匹に大歓迎を受けた。

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せたなと管理職

また、せたな町である。

また、管理職である。

せたなの学校教育への不信感はぼくらには想像できないようなレベルになっていることだろう。前回の殺人事件が2008年の1月、今回の校長の盗撮が2010年の8月。たった2年半の間に、2件も全国ニュースの不祥事である。いや、これらはもう「不祥事」なんて呼べるような代物じゃない。両者とも、明確に意図された「犯罪」である。

一方、管理職の「不祥事」も続いている。あの星置の買春・投稿魔教頭以来、パチンコのパッキーカードを盗んだとか、30キロ以上のスピード違反で捕まったとか、札幌市でもやけに管理職の不祥事を聞く。そしてまた今回、札幌市の管理職ではないものの、盗撮だというじゃないか。しかも、現場は札幌。「アリオ札幌」という、ぼくの家から車で10分ほどの大型ショッピングモールである。

うーん……。

どうもなあ……。

オレ、昨日、生徒会の女子生徒二人といっしょに「アリオ札幌」に行ったなあ……。学校祭の買い物に。

あんな身近なところで管理職が、しかも校長が盗撮なんかするんだなあ。

家族といっしょに札幌に出てきて買い物してたって言うけど、奥さんとか子どもたちとか、青天の霹靂で可愛そうですよねえ。

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「実習生実質的に終了、学校祭が本格化」の一日

実習生の授業を3時間参観。うち一つは授業研。実質的に教育実習において「やらなければならないこと」は、今日ですべて終わった。

残りの2時間は、1時間が自習監督。子どもたちが提出しなければならない理科のワークをやっているところに、いろいろと話しかけてじゃまをする。もう1時間は3年生の技術科のコンピュータの授業に入って行って、いろいろと話しかけてこれもじゃまをする。なんせPC室は涼しい。いまの学校では、ここだけが天国である。

放課後は全校協議会のあと、学校祭の練習。9月の声を聞くと同時に、昨日から本格的な練習に取り組み始めている。暑くて暑くて、生徒も教師もやる気のない毎日が続いているが、こういうときこそ、楽しいことをしたくなる。その意味では、今回の学校祭の企画はいい。

明日の夜は函館である。

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いよいよ9月である

なにせ暑くて寝られない。そんな日が数日続いて、さすがに昨日は夕方から扇風機を全開にして寝床に倒れ込む。夕食もとらずにそのまま朝まで寝てしまった。

5時過ぎに起きて、まずは一昨日中に送ると約束していた雑誌原稿をささっと書いて送信。実習生の授業記録メモをPCに保存し、メールをチェックしてブログを更新したら7時。昨日やろうと思っていた仕事は一応すべて終わらせる。

朝の2時間。この2時間を毎朝とることができたら、きっと仕事が充実するのだろうなあ……とらしくないことを考えながら、そんな気はまったくもっていない自分に気がついて自らを嗤う。

いよいよ9月である。

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