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リーダーのいなくなった最近の学級・2

2 生徒の視点

昨今、「リーダー生徒」が不登校に陥る事例が増えている。学校行事でリーダーとなり、中心的に学級をまとめようとした末に学級の生徒たちの軋轢が生じ、俗に言う「浮く」という状態になる。そうした人間関係トラブルに耐え切れずに不登校傾向を示す、そうした事例である。こうした現象が「リーダー生徒がいなくなった」「リーダー生徒が弱くなった」という教師の実感を後押ししている現実がある。

学級集団を構成する子どもたちが、時代とともに変容してきているのは確かであろう。現代の子どもたちは、〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉の総合力としての「コミュニケーション能力」の高低を互いに評価し合いながら、自らの「スクール・カースト」の調整に腐心していると見て良い。「スクール・カースト」は別名「学級内ステイタス」とも呼ばれ、学級への影響力・いじめ被害者リスクを決定し、子どもたちを無意識の階級闘争へと追い込んでいる、重要な概念である。ここでは、森口朗(1)の提案を軸に「スクール・カースト」概念を見ていくことにしよう。

二十一世紀に入って、教育界から政財界に至るまで、これからの人間に必要なのは「コミュニケーション能力」であると声高に主張している。しかし、この「コミュニケーション能力」の具体が何であるのかという説得力ある論述はなかなか見られない。森口朗は、これを子ども達が〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉の総合力と捉えていると分析した。〈自己主張力〉とは自分の意見を強く主張する力、〈共感力〉とは他人を思いやる力、〈同調力〉とは周りのノリに合わせる力である。更に詳しく言うなら、次のようになろうか。

自己主張力…自分の意見をしっかりと主張すること ができ、他人のネガティヴな言動、ネガティヴな態 度に対してしっかりと戒めることのできる力。八十 年代以降、世論によって大切だと喧伝されてきた能 力であり、臨教審以来の教育政策の根幹として位置 づけられてきた能力でもある。

共感力…他人に対して思いやりをもち、他人の立場 や状況に応じて考えることのできる力。従来から学 校教育で大切と考えられ、リーダー性にとっても絶 対的に必要とされ重要視されてきた能力。多くの教 師が「いい子」「力のある子」と評価する要素にも なっている。

同調力…バラエティ番組に代表されるような「場の 空気」に応じてボケたりツッコミを入れて盛り上げ たりしながら、常に明るい雰囲気を形成する能力。 子どもたちによって現代的なリーダーシップには不 可欠と考えられている、現実的には最も人間関係を 調整し得る能力。

この三つの総合力を「コミュニケーション能力」と呼ぶ。毒舌タイプの級友にツッコミを入れて逆にオトしたり、大人しい子やボケ役の子をイジじって盛り上げたりしながら、「場の空気」によって人間関係を調整していく、そうした高度な能力である。

この三つの力の総合力を子どもたちが「スクール・カースト」(=学級内ステイタス)を測る基準としている、というのである。森口はこれをマトリクスとしてまとめ(『いじめの構造』新潮新書・45頁)、三つの力といじめ被害者リスクとの関係を示した。そこで分析されているのは、現代の学級が以下の八つのキャラクターによって構成されている、ということである。

 ①スーパーリーダー(自己主張力・共感力・同調力  のすべてをもっている)
 ②残虐なリーダー(自・同をもつ)
 ③栄光ある孤立(自・共をもつ)
 ④人望あるサブリーダー(共・同をもつ)
 ⑤お調子者・いじられキャラ(同をもつ)
 ⑥いいヤツ(共をもつ)
 ⑦自己中心(自をもつ)
 ⑧何を考えているかわからない(自・共・同のどれ  ももたない)

これをもとに「スクール・カースト」の高低を図示するなら、次の図(略)のようになる。しかも、ここで言う「スーパーリーダー」は、現在の学級にはほとんどいない。それに対して、「お調子者」「いい奴」「自己中心」はかなりの数がいる。また、「残虐なリーダー」も一定程度いる。この集団構成が現在の学級集団の統率を著しく難しくしているのである。

さて、ここで教師の立場として考えておかなければならないことは、実はこの「スクール・カースト」が、決して子どもたちだけが対象になっているわけではない、ということである。実はこうした階級闘争のまなざしは、担任教師にも向けられているのである。もしも、担任教師が「自己主張力」と「共感力」しかもたず、「同調力」をもっていないとすれば、それは「スーパーリーダー」以下、「残虐なリーダー」と同等程度のカーストと見なされる。「共感力」「同調力」はあるが、「自己主張力」が弱いという場合には、「残虐なリーダー」以下の「人望あるサブリーダー的な教師」と見なされている。「自己主張力」だけなら「自己チュー教師」、「共感力」だけなら「いい奴だけど、いじめのターゲットになり得る教師」とさえなるのである。

おそらく最近の小学校高学年において頻出している学級崩壊は、担任教師のカーストが低く、それ以上のカーストとして認められている子どもたちの影響力の大きさによって引き起こされている。こうした現状に鑑れば、現在、学級担任が「残虐なリーダー」タイプや「お調子者」タイプと対立しながら学級を統率していくことは至難の業なのである。その意味でも、子どもたちのノリ、時代的なノリに対する、教師の「同調力」が重要になる。他人を思いやりましょう、規律を守ることが大事だ、といった真面目一辺倒の路線では立ちゆかないのが現代的学級の特徴なのである。

教師はいま、〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉という三つの力の総合力としての「コミュニケーション能力」をもたねばならない立場に置かれている。ベテラン教師、お母さん教師、優しいお兄さん・お姉さん教師が、学級を統率することができずに崩壊させる要因がここにある。

私が本節冒頭に挙げた「行事を機に不登校傾向を示すリーダー生徒」は、もともと学級担任によって「いい子」と目されるような生徒たちだった。こうした生徒たちはスクール・カーストでいえば、「人望あるサブリーダー」か「いいヤツ」キャラの生徒だった。こうしたカーストの生徒たちが、行事で学級集団をまとめ、リーダーシップを発揮しなければならない立場に追い込まれ、学校システムに対応した動きをしようとしたとき、「残虐なリーダー」の抵抗とそれに同調する「お調子者キャラ」たちの圧力に屈し、自分の居場所を失ってしまったということなのである(2)。

学級担任はいま、学級にスーパーリーダーがいない場合、学級運営や行事運営のリーダーとして「残虐なリーダー」を指名し、「残虐なリーダー」との関係を維持しながら運営しなければならない立場にある。それができない教師の学級が学級崩壊へと向かっていく。そうした現状にある。

このような学級集団の構成にどのように対応していくかについては、別の機会を待ちたい。

 (1)森口朗『いじめの構造』新潮新書・二○○七
 (2)土井隆義『友だち地獄』ちくま新書・二○○八

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