1Q84 BOOK 3
午前中で『1Q84 BOOK 3』を読み終えた。
面白かったが、心惹かれるということはなかった。特に、所々に語り手が生の形で語りかけてくる叙述には閉口した。ぼくにとっては必ずしもその必要を感じさせない叙述であり、素人に読みやすくさせるための叙述としか見えなかったからである。つまり、語り手の語りかけが主張ではなく、解説であり説明であるに過ぎないのである。これはどうも……。
この本が売れているという。
物語はとてもおもしろい。『アンダーグラウンド』を読んだ人になら、この物語はなおさら面白いはずだ。古くからの村上ファンにも、決して読み応えのないものにはなっていない。
しかし、100万部以上売れているということは、そんな村上フリークばかりに読まれているのではないということだ。彼らはこの突拍子もない物語をどんなふうに読んでいるのだろう。村上春樹特有のパラレル・ワールドの幻想性、世界系にも通じる主人公たちの開眼、それらが多視点から描かれた謎解きというミステリーの手法を原動力に物語が進んでいく。彼らはこれらの要素にどんなリアリティを感得しているのだろうか。それともただ物語のカタルシスに酔っているだけなのだろうか。
きっとネット上にはたくさんの感想が寄せられているのだろう。暇ができたら、サーフィンしてみよう。まあ、暇など訪れないかも知れないけれど。
思えば、ぼくはこれまで、村上春樹の作品をリアルタイムで、つまり発売と同時に読むということをしたことがなかった。『1Q84』が初めてである。初期三部作の時代、ぼくはまだ高校生で本なんかまったく読まなかったし、『ノルウェイの森』を読んだのは発売から10年が経過した頃だった。『ダンス・ダンス・ダンス』に至っては、手に取ったのは21世紀になってからだった。そういえば、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だけは80年代のうちに読んだような気がする。そうそう。『アンダーグラウンド』だけは発売と同時に読んだったけ。
簡単に言えば、ぼくがいわゆる文学を読み始めて以来の20世紀の15年間、ぼくは村上春樹が嫌いだった。『限りなく透明に近いブルー』と『コインロッカーベイビーズ』を読んで、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』と『羊男の冒険』を読み比べた20代の頃、ぼくは村上龍のほうが上だと判断したのだった。いまとなってはその判断が誤りだったとは思うのだけれど、1980年代をリアルタイムでしっかりとつかんでいたのは、まぎれもなく村上龍のほうだったと思う。『コインロッカー…』はそれほどの傑作だった。
まあいい。いまとなってはどうでもいいことだ。
『1Q84』は間違いなくBOOK 4が出る。最後の3章に新たな世界観が示唆されているし、いくつもの謎も積み残されている。数ヶ月のときを隔てて、また夢中になって読む日がくることは確かである。少々楽しみでもあり、少々辟易もしている。
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