Twitter革命・2
この本を読んで、一箇所だけ頁を折ったところ。
【引用開始】
もちろん、震災の今を伝えるために、神戸の外からテレビ局や新聞社が大挙してやってきた。ただし、彼らが向いていたのは震災の外の世界であって、被災しているボクたちの方ではなかった。
途方に暮れるお年寄り、泣き叫ぶ乳児、炊き出しの行列に並ぶ人々。テレビは神戸の惨状を配信した。「かわいそうな被災者」の現状をインパクトのある映像で見せる技術は、ボクなどとうてい太刀打ちできない。
もっとも、彼らが見せる「衝撃の映像」は「食事時でも見せられる」という条件が付く。糞まみれのトイレ、野ざらしになった遺体などは決して表に出ることはない。また、当時の神戸では、いわゆる「マル暴」の人々がボランティアで活躍したり、お風呂に入れない人たちのために、市内のソープランドが浴場を無料で開放したことがあったが、そのようなエピソードは絶対に伝えられることがない。子ども達が「まっきんきんのお風呂、おもしろーい」とうれしそうにはしゃぐ様子は、ステレオタイプな“美談”の定義には入らないようなのだ。
【113~114頁/引用終了】
| 固定リンク
« 朝青龍とテレビと大衆と | トップページ | 定義 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 「結びつき」の強いクラスをつくる50のアイデア(2016.03.11)
- 著作一覧(2016.03.05)
- 『若手育成 10の鉄則・100の言葉がけ』(2016.03.05)
- 国語科授業づくり10の原理・100の言語技術 義務教育で培う国語学力(2016.03.05)
- 「THE 教師力」シリーズ関連(2016.12.31)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント