破綻をハジョウと読むこと
「いやあ…授業で予定していた計画がすぐにハジョウしちゃうんですよね」
今日、勤務校の若手教師と話をしていて、彼がまじめな顔をして言ったひと言。ぼくはすぐに「ああ、破綻の言い間違いだな……」とわかったのだが、こういうのを指摘されると恥ずかしいものなので、指摘しようか指摘するまいか迷っていた。
ぼくが迷っているうちに、彼は「ハジョウ」という言葉を4回使った。彼はいつから「ハジョウ」という言葉を使っているのだろう。いつ覚えた言葉なんだろう。少なくともその言葉は活字で読んで覚えたに違いない。音声言語なら「破綻」とちゃんと読めているはずだ。
では、この若者は「ハタン」という言葉を知らないのだろうか。いや、そんなはずはないだろう。「ハタン」という言葉を20年以上一度も聞くことなく生きてくることはできないはずだ。理解語彙どころか、もしかしたら使用語彙にもなっているのではないか。
そこまで考えたとき、ぼくは彼に訊いてみた。
「ハジョウだけどさ、似たような言葉にハタンって言葉があるよね。ニュアンス的にどう違うのかな。」
彼は言った。
「授業みたいにその場が壊れるのはハジョウです。結婚生活とか友情みたいに人間関係が壊れるのがハタンじゃないですかね。」
なるほど。ぼくにはまったく理解できなかったが、言葉を間違って覚えると、間違ったなりの語感が形成され、新しい言語世界が生まれるのである。ぼくは彼をバカにしてこう書いているのではない。言葉とはまさにそういうものなのだ、ということである。
かつて内田樹が英語の「devil fish」を引いて、エイとタコをまとめて「devil fish」と呼ぶ英語圏では日本人のもたないこの概念をもっている、言語が異なるとこういうことが多々あるわけで、やはり言語こそが世界をつくっているのだ、というようなことを述べていたが、この若者にも同じ構造が見て取れる。もちろん次元が違うと言ってしまえばそれまでだが、確かにぼくとは異なった概念をもっているのは確かである。少なくとも彼は「ハジョウ」と「ハタン」とを使い分けているのである。
さて、ここで迷った。「破綻」は「ハタン」なのだと教えることは簡単である。しかし、それを教えたとたん、間違いなく彼は「ハジョウ」と「ハタン」の使い分けの概念を失う。間違ってるんだからそれでいいじゃん……というのもわかる。しかし、しかしである。このつまらない規範とは異なる、ほんの少しの別世界をもってる彼に対して、ぼくが、国語教師だからとか先輩だからとかそんなあまりにもつまらない理由によってあまりにもつまらない指導をし、彼が数年かかって築いてきた「ハジョウ」と「ハタン」との使い分けの言語感覚を奪われてしまうとしたら……、果たしてそれは良いことなのだろうか。
結局、ぼくは彼の言葉を「なるほどね。そうかもね」と引き取って、彼の世界を壊さなかった。ぼくのしたことがいいことなのか悪いことなのか、それはわからない(笑)。
しかし、彼はこのブログを読んでるから、いずれ知るはずである。本人はブログにまで書かれてバカにされたとしか思わないだろうが、ぼくはいたってまじめに考えて書いている。
| 固定リンク
「書斎日記」カテゴリの記事
- なぜ、堀先生はそんなに本をたくさん書けるんですか?(2015.11.22)
- 出会い(2015.10.28)
- 神は細部に宿る(2015.08.20)
- スクールカースト(2015.05.05)
- リーダー生徒がいない(2015.05.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント