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新しい「教育格差」

「新しい『教育格差』」増田ユリア/講談社現代新書/2009.06.20

Image572苅谷剛彦と共著を書いたこともある著者なので、期待して読んだのだが、結論から言うとイマイチ。

言いたいことはよくわかるし、結論にも整合性はある。従って、増田ユリア自身の立ち位置はよくわかる。ただ、教育を俯瞰して論じるには、著者の経っているステージが狭すぎる。

読み物としてなら、要するにエッセイとしてなら認めても良いが、これが教育論として普及するとなると、少々問題である。著者の親戚というM君のいじめられ事例は現実にもありそうだが、教師の指導姿勢や保護者の我が子を守りたいという姿勢を批判するのもけっこうであるが、なぜ、このような体制になってしまうのかという分析が欲しい。それがないと解決には向かわない。教師も保護者も黙り込むだけである。

全編を通じて数々のデータが掲載されているのだが、この分析も甘い。文科省の公表しているデータをそのまま用いて、校内暴力が増えていると結論づけたり、進学率のデータをそのまま用いて内実の場合分けをしないなど、こうしたデータの用い方が災いして現実から遊離した分析に陥っている箇所が多い。

「第三章 教員間の格差」において非常勤講師の立場からのみ格差を論じる視点には目も当てられない。これで「教師という仕事が好きだから」という感情論を随所に論拠にされても、現場感覚としては閉口させられる。

この書がAMAZONのレビューでずいぶんと高評価を得ていることも、本当に教育論ってのは「何でもありなのだなあ」と実感させられる。そういう意味では、すべての教員に読んで欲しい書である。

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