空き時間の授業観察から見えてくる
糸井さんの昨日のブログ「仕事の流儀」が私には大変おもしろく読めた。次の箇所である。
何で、みんな、職員室での談話が中心なんだろう。
私たちの現場は教室なのに。
汚いままの教室で年を越し、そのままの状態で明日を迎えるなんて、信じられない。
ゴミ出しをするついでに、各教室を覗いて見て回る。
誰もいない休み中の教室にこそ、見るべきものがある。
つまりは、仕事の流儀である。
是非、若い先生は、誰もいない放課後の教室を見て回ってほしい。
私は、若い頃は、ウロウロと見て回り、勉強させていただいた。
私は糸井さんのような誠実な「仕事の流儀」をもたないけれど、各教室を見て回ることだけは続けている。あるときは感心しながら、あるときは批判的に見ながら、そしてあるときは何かおもしろいものはないかとネタ探しをしながら。
一つ目。
新卒の4月のことだから、もうかれこれ19年前のことになる。学年の宴会二次会である年配教師が私に言った。もう時効だろう。私が最初にお世話になった学年主任の先生である。ずいぶん前に還暦を迎え、いまはもう退職されている。
「堀さん、学級経営がうまくいっているかどうかをはかるには、放課後の教室を見るのが一番いい。床にゴミは落ちていないか、机・椅子はちゃんと並んでいるか、窓の鍵はどうか、カーテンは整えられているか、そういうところに学級経営が出るんだ。」
私はこの話を感心しながら聞いた。なるほど、そういうものかと。
翌日、言われたとおり、私は放課後の教室を見てまわった。新卒で赴任した学校は当時25学級。私は2階の3年生の教室から一つ一つ見て回った。確かに昨日、あの先生が言ったとおりだった。黒板の消し方が乱雑だったり、明らかに放課後に黒板に落書きをして遊んでいた形跡があったり……。はずれかけた掲示物が放置されていたり、掲示板が破れているのに修復されていなかったり……。机・椅子が乱雑に並んでいたり、机に大きな落書きがあったり……。ガーテンがまとめられていなかったり、乱雑にまるめられていたり、ひどいものは破れているものがそのまま放置されている。
これはよいことを聞いたと思い、3階の2年生へ、4階の1年生へ、と時間をかけて見まわっていった。私のクラスはさすがに昨日の今日で、担任の私が意識していたので、整然とした美しい教室になっている。うんうんと自己満足にひたりながら、学年主任の教室に足を踏み入れたときだった。
ひどい……。
カーテンがまとめられていない。黒板の消し方は汚い。掲示物は一カ所留めでひらひらしている。机・椅子も、並んでいないわけではないのだが、微妙にずれている。90度がない。各列の合間も均等化されていない。広い通路と細い通路がある。
私は思った。口だけだったのだ。頭でわかっていても、やっていないのだ。しかも新卒に説教した次の日くらい、付け焼き刃的にでも実践してみてはどうなのか。いや、酒席で自分がそんな説教をしたことさえきっと覚えてはいないのだ。1年生の4月である。最初からこんなことでは、3年生の教室がああなるのも無理はない……。これからいったいどうなってしまうのか。私はこれから3年間、この学年でやっていくことを不安に思った記憶がある。
二つ目。
これも新卒の年のことである。勤務校はその年、開校8年目。当時の職員会議では、開校以来勤務している教務主任と生徒指導主事がだれも否定できないような理念的な演説をぶって、話をまとめるのが習わしになっていた。
中学校には空き時間がある。放課後の教室を見てまわって以来、私は授業の空き時間も急ぎの仕事がないときには各教室を見てまわるようになっていた。戸の窓から教室をのぞくだけでも、なんとなく授業の雰囲気というものは伝わってくる。体育や音楽で生徒たちがいない教室からはいろんなことが垣間見えた。前の時間の板書が残っている場合には、それを見ながらどんな授業が展開されたのかを想像することが楽しみにもなっていた。
ある日、3年生の授業をのぞいてみて、戦慄が走った。
教室の後ろの方で3人の男子生徒が花札をしていた。学校でもだれもが名を知っているような3人である。他の生徒たちは前を向いてノートにペンを走らせている。何の授業だ?と視線を教卓にむけて驚いた。生徒指導主事なのである。しかも、後ろの3人が目に入らぬかのように淡々と授業を進めている。
おいおい。これが3年生か。職員会議であれだけいっぱしのことを言っている生徒指導主事の現実はこんなものなのか。
私は思った。口だけだったのだ。頭でわかっていても、やっていないのだ。自分はとんでもない学校に来たものだ。大荒れではないか。中学校とはやはりこういうところだったか。
後日談。この生徒指導主事は次の年、教頭に昇進した。生徒指導主事がかわった。新しい生徒指導主事は厳しい先生だった。生徒にも厳しいのだが、教師にも厳しい人だった。それでいて、最後にはさりげなくフォローする優しさも兼ね備えていた。どうなることかと思った最初の勤務校には7年いたのだが、2年目から7年目までは特に大きな問題もなく、授業に乱れもなく、落ち着いた雰囲気が維持されるようになった。私にとって、この経験はいまだに大きな教訓となっている。
三つ目。
それから14年経って、私は小さな学校の学年主任になった。掲示物や給食、清掃に割とうるさい学年主任だったと思う。放課後には各教室を見てまわり、空き時間には授業に入っていくことも多かった。授業のまずさを細かくメモに書いて指導することもあった。これらのことが学年の生活規範の維持にどれだけ大切かということを知っているからである。
四つ目。
今年、再び大規模校に転勤した。24学級である。副担であることもあって、空き時間はよく授業を見てまわっている。同じ学年の授業なら欠席者の席に座っていっしょに授業を受け、他学年の授業なら、授業が上手いなと思う教師の授業は1時間廊下に座って聞いていることもある。いろんなことがわかる。
最近、野中先生が初任者指導の立場になって、授業をやる側から見る側になっていろいろなことに気づき、驚いたということを盛んに書いている。話によると、小学校は研究授業があると、自分の学級を自習にして見に行くことがあるという。どうせ自習をつくってまで見るのなら、研究授業などではなく、普段の様子を見てまわったほうがいい。いろんな学びがある。
自分はこの感覚をもつことができたというだけで、中学校教師でよかったなと思う。
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