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退屈じゃないところ

4月から教職20年目を迎えます。教職20年目を迎えるということは、実は森くんや對馬くんに出逢って20年目を迎えることを意味します(ちなみに山下くんは大学時代の一期後輩なので、出逢って23年が経過しています)。「研究集団ことのは」の結成は我々が出逢ってから数年を経過してのものですが、その前身「ポプラの会」の数年の活動を実質的な「ことのは」の活動と見れば、「研究集団ことのは」もまた20周年と言って差し支えありません。まったく長くやってきたものだと改めて感慨を覚えます。

こういう活動を長く続けていると、しかも同じメンバーで続けていると次第にだれてきて、離脱者が出たり喧嘩別れをしたりというものがあるものですが、不思議なもので、堀・森・對馬・山下の間にはなぜかそういうことがありません。ある時は馬鹿みたいにいろんな研究会を行脚して夜の論評会を続けたり、ある時は馬鹿みたいに本を年に5冊も6冊も出したり、ある時は馬鹿みたいに5年も6年も連続して大きな研究会を開催し続けたり、去年のように馬鹿みたいに小セミナーを開催し続けたり……。

どれもこれも「馬鹿みたいに」やるのがぼくら流なのです。しかも、数年は続けるのですが、すぐに飽きてしまってやめてしまうというのも共通しています。ぼくらなりに理屈があって、おそらく普通の人が10年くらいかけてやることをぼくらは3年でやってしまって、密度の濃さを体感するのだろうと思います。そうすると、何か次にやりたいことが見えてきて、それが見つかったらすぐに企画を立ててまた密度の濃い3年間を過ごす。その繰り返しです。最近、ぼくらは結局、刺激が欲しいのだな……と思うことがあります。なにせ80年代に青春期を過ごした、80年代的な人間の集まりですから。

なんだかんだ言って、ぼくらは刺激的で、楽しいことしかしてきませんでした。やるかやらないかは楽しそうかそうでないかという基準だけで決めているところがあります。そんな餓鬼みたいな基準で動いていますから方々と軋轢を生んできましたが、年を追うごとにもうやめられなくなっています。

それは楽しいか。

それは実入りが大きいか。

それは密度が濃いか。

こんな基準で動いていますから、いろんな団体に所属しても、いろんな活動に参加しても、どこかルーティンの匂いがしてくるとすぐに離れてしまうのです。

ちゃんとやってないからちゃんとやろうよ。

ちゃんとやらないならやる意味がない。

ちゃんとやらないなら俺たちは抜ける。

ぼくらは常に様々な団体に対して、そんな脅しをかけ続けてきました。これは官民問わず、子供が秘密基地をつくるように、暴走族が暴走に生きている証を見出すように、躍動感のないところに興味を持ち続けることが難しいのです。何かを生み出す研究だけが研究の名に値する、何かを生み出す研究会だけが参加するに値する、そんな餓鬼臭い心持ちを今なお抱き続けている。そんな学生サークルのノリをいまだにもっている。そんな団体なのだと思います。

20年たって、ぼくらの行動原理は常に「〈退屈じゃないところ〉に向かっていく」にあったような気がしています。

「どこかに〈退屈じゃないところ〉はないか……。」

教師の力量形成において、だれもが「アンテナを高く」と言いますが、ぼくらにとって、いいえ少なくともぼくにとって、それはいつも〈退屈じゃないところ〉を探しているということと同義なのです。

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