大傑作である
「天使のパン くめさゆり・さんびか集」
久米小百合の13年振りの新譜を聴いた。久保田早紀の新譜かと思われるほどにポップに仕上がっている。ああ、『回想録(メモリーズ)~午後の頁から』で吐露していた葛藤をとうとう乗り越えたんだなあ……という印象を抱いて、正直、感動してしまった。
「テヒリーム33」(1987)や「はじめの日」(1996)に比べても、ボーカルが久保田早紀に近づいてきている。久保田早紀名義の最後のアルバム「夜の底は柔らかな幻」に収録されていた「見えない手」を初めて聴いたときの感動と同じ質の、それでいて何千倍にも何万倍にも深みのある感動を覚えた。
久米小百合はぼくより確か8つ年上だったはず。たぶんいま、50歳か51歳だ。
二十歳そこそこで、「異邦人」というその後30年以上聴かれ続けている名曲を偶然にもつくってしまい、自らにこびりついてしまったシルクロードとかオリエンタルエキゾティックとかエスニックとかいったイメージに戸惑い、そのイメージ具現化の期待に押しつぶされた久保田早紀。
ファドを取り入れてもアイドル的なポップスを取り入れても、どこか自らにこびりついたイメージを払拭できなかった久保田早紀。
「夜の底は柔らかな幻」という圧倒的な傑作を最後に結婚して、突如引退した久保田早紀。
数年後、再びぼくらの前に姿をあらわしたとき、彼女はゴスペルシンガーとして、いや、というよりはあまりにも日本的な音楽伝道者に方向転換していた。ぼくは彼女のその頃の葛藤を『回想録』というエッセイで読んで以来、キリスト教には縁もゆかりもないけれど、「彼女の歌だけは聴き続けたいな」と思ったものである。
久し振りに、一人の人間の「人生」を感じさせてくれるアルバムを聴いた思いがする。まだ50そこそこだというのに、これからどうなっていくんだろう。また、10年待たされてもいいから、次回作に期待してしまう。
それにしても、あの頃の久保田早紀とその後の久米小百合をよくもここまで止揚したものである。おそらく今回、自分の名を「くめさゆり」とひらがな表記したのはそういう意味なんだろうな。久保田早紀のアルバムでも久米小百合のアルバムでもない、「くめさゆり」のアルバムなんだろうな。そんな気がする。
大傑作である。
1. アメイジング・グレース |
2. 聖なる 聖なる 聖なるかな |
3. 天使のパン |
4. 丘の上に立てる十字架 |
5. イエスはそばに |
6. いつくしみ深き |
7. 道化師の夜 |
8. 少年 |
9. Pane e Pesce |
10. グリーンスリーブス |
11. 主のまことはくしきかな |
12. ああベツレヘムよ |
13. 主われを愛す |
14. イエスはそばに (English vrsion) |
15. イエスはそばに (Korean version) |
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