テストは事前につくるべし
3年生の学年末テストが完成した。ちょうど1ヶ月後のテストである。
いっしょに3学年国語を組んでいる若手教師が、「言葉の力」や「故郷」で何を教えればよいのか不安だというので、先にテスト問題をつくって渡し、少なくともそれらの問題は確実に扱うようにとの意図でつくったものだ。
中学校教員となって20年近く、3年生を担当するのは11回目になるが、さすがにこんなに早く学年末テストをつくったことはない。
しかし、実際につくってしまうと、これほどスッキリするものはない。こんな単純なことで、こんなにもスッキリ感を味わえるとは予想していなかった。組んでいる若手教師に感謝である。
しかし、考えてみれば当たり前である。
評価項目が事前に立っているということは、授業がそれにあわせて行われるわけで、いつものような「あれも教えなきゃ、これも教えておいた方がいいかな…」に陥らなくなる。これは3年生の学年末だけではなく、同一学年を複数教師で担当しなければならない大規模校では、すべての学年で、すべての学期でこの方式をとった方がよいのではないか。そう感じた。
前任校では、小規模校だったため、常に同一学年を一人で担当していた。思えば、その4年間、授業をしながらも常にテスト問題のイメージをもっていた。常にテスト問題を想定しながら、テストで測れないような評価項目(例えば「話すこと・聞くこと」とか「書くこと」とか、「読むこと」では全文の構成をどうとらえているかとか、読み取った情報内容を図示するとか)についの評定資料をとって、評価・評定のバランスを確保していたのである。考えてみればそれが当たり前の在り方なのだ。
大規模校に転勤してきて切に感じるのは、ペーパーテストで測れる学力と測れない学力というバランスの問題の他に、いっしょに学年を組んでいる国語教師の出題傾向の分析とか、どのような授業観をもっているかという分析とか、どうしてもそういう点にまで配慮を重しながら授業を展開しなければならない、ということである。
行政は「事前に緻密な打ち合わせを……」というのだろうが、いくら「緻密な打ち合わせ」をしても、そこは異なった人間同士。どうしても齟齬が生じる。これはどうしようもないことである。しかも、それがテスト問題になったときに初めて明らかになる、というのでは最悪だ。少なくとも、テストを事前につくっておくという方法は、教師全員が評定資料の筆頭とするものについて、全員が一致してそれを前提に取り組むことができる。
二人で一つの学年をもつのならばまだいいが、場合によって、3人、4人でもつということもある。ぼくに近しいある国語教師は、今年度、一つの学年を5人で担当しているという。これは異常な例であるにしても、1学年9学級を超えれば、そんなことさえないとは限らないのである。
テストは事前につくるべし。
これが一つの有効策であることは間違いない。
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