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荒れた学校

「荒れた学校」という表現がある。戦争の傷跡生々しい50年代、学生運動の影響から学校というシステムそのものに疑問が呈された60年代、校内暴力吹き荒れる80年代、確かに学校は「荒れた」といわれた。ぼくがいま勤務している学校も、かつては札幌市内有数の「荒れた学校」といわれていた学校である。前任校だって、決して落ち着いた学校ではなかった。

しかし、「荒れた学校」といわれている学校の生徒も、実は生徒の97%は荒れない。

この言い方は語弊があるかもしれない。関東地方を中心に、生徒の50%が荒れているといわれる学校がたくさんある。ぼくの知っている元中学校教師が講座の中で、「かつて勤務していた学校は半分が荒れていて、もう半分はもっと荒れていた」と、冗談めかして言っていたことがある。そういう現実というのは確かにある。

だが、ぼくが言いたいのは、どんな学校でも、だれが指導しても荒れる、つまり、だれが指導しても警察権力や司法の力を借りなければどうにも手立てがない生徒というのは、どんなに大きく見積もっても3%を超えることはないだろう、ということだ。残りの97%が「荒れ」の兆候を見せるのは指導の在り方の問題であり、学校が敷くシステムの問題であり、その意味で回避できるものに過ぎない。要するに、3%は先天的な要因として生徒のせいにしてもいいが、残りの97%は環境要因として、教師は批判の目を自分に向けるべきだと思うのだ。

ここまでを読んで、賢明な読者の方には伝わると思うが、ぼくは内心、先天要因をもつ3%だって最大限の数字であり、実際には1%を切ると思っている。ただし、どこかの人権派のようにそれがゼロだとは言うつもりはない。そういうスタンスである。

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