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説明力/上達の場

野中さんがすぐにぼくの「説明」に関する分析を取り上げてくれている。

おそらく「説明」の研究にとって最も大切なのは、ぼくが挙げた問題点の三つ目である。以下の点である。

更に更にやっかいなのは、「説明」というものは、「発問」や「指示」に比べてコンテクストの影響を受けやすい性質をもつということである。学校というところは基本的に、子供たちが少なくとも1年間は同じ教員の指導を受け続けることが多い。その場合、教師の指導言(指導言に限らず指導全般、もっといえば言動のすべてにおいていえることだが)が多少下手でも、子供たちがその下手な指導言に慣れ、教師の意をくんでくれるという現象が起こる。早い話、教師の指導言が下手くそでも、夏くらいにはほとんど以心伝心で通じるようになるという傾向が強いわけだ。そしてこの傾向は、「発問」より「指示」、「指示」より「説明」に顕著な傾向なのである。(2009.12.10)

このコンテクストの影響に「説明」というものは大きく呪縛されてしまう。

自分の「説明」を上達させようと思えばどうするか。自分の学級ではなかなか訓練にならない。他学級に入れてもらって授業をさせてもらうのが一番いいわけだが、一度や二度ならともかく、そう何度も機会をいただけるものでもない。

そこで、「説明力」をアップさせようと思えば、研究会での登壇…ということになる。

研究会で模擬授業をやったり、ワークショップ型の講座をやったりというときに、慣れない者がやっていてもっとも陥る落とし穴は、説明が、特に作業の仕方の説明がなかなか受講者に通じないとていう現象である。何を言われているのかわからない受講者が質問をし、その質問によって登壇者ががちがちになってしまって、更に何を言っているのかわからなくなっていく……こういう場面をもう100回以上見た。

こうした場面を体験したことがあるという方も多いことと思う。

しかし、実は、これこそが「説明力」の問題なのである。

「説明力」とはごくごく簡単に言えば、「常に聞いている側にとってどのように聞こえているかを意識しながら説明する」ということに尽きる。「説明」の内容を一度でキチッと通すことのできる人間は、自分が説明したいことを語ると同時に、自分の説明の仕方を聞き手として聞いている。この感覚を身につけている。

そしてこの感覚を身につけた者は、もうこの感覚が失われることはない。

言葉で言うとあっさりといえることだが、この感覚を身につけるには、どうしても自分一人でコンテクストの一致していない多数の聴衆に一発で説明を通さなければならない……という強制された場が必要である。そのためにもっとも適した場が研究会での登壇機会なのである。

校内ならば、保護者集会とかPTA総会とか、或いは全校集会とか、そういった場面くらいしかない。

つまり、いくら自分の学級で「説明」の訓練を…と頑張ってみても、学級という構造が、学級担任という構造がそれを許してくれないのである。

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