地図をもっていますか
BRUSH合宿でもっとも有益だったのは、たぶん2日目の昼休みだったと思うのですが、山下・對馬・藤原・石川と5人で〈地図〉の話をした10分程度の時間。廊下のソファにゆったりと座りながら、何の気なしに雑談をしていた折のことです。
最近の若者は〈地図〉をもたなくなっている。一つ一つの具体的な事象は、ぼくらにとって〈地図〉に置かれた〈ドット〉になっている。つまり、〈ドット〉を認識するとき、それは〈地図〉のどこに置かれるかという認識とセットになっている。でも、最近、職場でも研究会でも、若者と話していると〈ドット〉を〈ドット〉のみで認識しているようなところがある。
でも、問題は、なぜ、ぼくらの世代が若い頃から当然のように〈地図〉が大事だという認識をもつことができ、いまの若者がなぜ、〈地図〉をもつことができないのかということである。
思えば、ぼくらの世代は、青春期がニューアカ・ブームのど真ん中にあった。ニューアカ・ブームとともに、西洋・東洋の思想家達をマトリクス上のドットとして解説する本がたくさん出ていた。ぼくらニューアカを気取った馬鹿な学生たちは、みんなそんな思想マニュアルみたいなものを見ながら「ふむふむ」とやるのを日常としていた。
いま、ネットで情報を集めようと思えば、そこにはそれぞれに〈ドット〉があるだけである。ネット情報をマトリクス上のドットとして解説するマニュアル本はあり得ない。検索した情報をどのように整理するかは、〈地図〉が大きい人ほど上手いという構造がある。いや、検索するワード自体、大きな〈地図〉、立体的な〈地図〉、等高線まで細かく描いてある〈地図〉をもつ者ほど上手くそのワードを選択できるという構造をもっている。〈地図〉をもたないままに〈ドット〉時用法を連続的に浴びることは、世界観の作り方を変容させてもちっとも不思議ではない。
そんなことを語り合った10分でした。
あなたは自分なりの〈地図〉をもっていますか?
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