「第9回国語科授業改革セミナー」終わる
年末の予定がまた更に一つ、終わりました。それも「ああ、若手を育てるための研究会の持ち方に一つの典型ができたな…」という印象をもてる、そんな会になりました。
第一講座はぼくだったのですが、提案の仕方をかなり「帰納型」にしました。ほんの短い、10分から15分程度の模擬授業を3本体験してもらって、それらがどのような意図、どのような構成でできているのかを提示する。更に、〈指導事項〉と〈学習活動〉との関連、端的に言えば授業の〈目的〉と〈方法〉との関連をどのように考えるべきなのかをマトリクスで提案。最終的には「学習意欲」「思考力」「言語技術」「国語教養」「言語感覚」という5つの学力が密接に関わり合って国語学力が形成されているのだという構造論を展開しました。
内容的にはかなり難しい内容なのですが、若い人、というかこんなことを考えたこともない人には模擬授業で授業のつくり方の基本発想だけを学んでもらえばよし、ある程度力量のある参加者にはそれなりに骨太の理論提案を理解してもらう、そんな二兎を追う講座構成にしたつもりです。
第二講座は斉藤佳太先生の説明文「森を育てる炭づくり」、第三講座は太田充紀先生の「川とノリオ」、それぞれ30分の模擬授業について、それぞれ90分かけてストップモーション授業検討するというもの。二人ともそれなりに実力があり、そしてそれなりに甘さのある、お二方には悪いのですが、題材としてはかっこうの模擬授業提案でした。終了後は二人ともへこんでいましたが、「この場に立つ」というだけで間違いなくすごいことなのであり、もう既に一般の先生とはまったく違う場所に立っているのだということに、彼らは気がついていない、そんな感じがしました。
ストップモーション検討ではここには書ききれないくらい多くのことが検討されましたが、この検討の最も大きなポイントは、授業というものがどこまで想定されてできあがっているのか、どこまで想定してつくるべきものなのか、その視点を提示することができたことでしょう。参加された若い先生方には、「ああ、力量の高い先生方ってのは、小さな手法の一つ一つにまでここまで広く考えて授業づくりをしているのだな」と思ってもらえればそれで良い。一つ一つの指導言、授業行為には必ず理由があり意図がある、それさえわかってもらえればそれで良いのです。
このストップモーション授業検討には、指定討論者として堀・森のほか、南山潤司先生と大谷和明先生が参加されましたが、この4人がそれぞれにキャラが立っていることも会を盛り上げた大きな要因でした。それでいて歯に衣着せぬ批判、更にはちゃんと愛情をもっての発言、こういうことは長い付き合いの者同士だからできることだなあ、とも改めて感じました。
たぶん、齋藤先生も太田先生もとても怖かったと思いますが、二人はこれを一つの契機として間違いなく伸びていくでしょう。
第四講座はQA型のシンポジウム。参加者が質問項目を個人的に設定、4人で交流して価値ある質問を全体に出し、それに4人の講師が応えていくという展開。ストップモーション授業検討をやっている分だけ、参加者に共通した題材があるため、講師の応えも決して空中戦にならない、そんな受け答えが続きました。
夜は店に向かう途中、一部の宴会参加者がはぐれてしまうというアクシデントもありましたが、総勢13人で楽しい宴会でした。なつかしい人、遠くから来た人、教え子、そして日常的な仲間たち。ぼくにとってはなんとも心地よい空間でした。その後、5人で二次会に行って日本酒。20年近い教員生活を振り返るような話、いま現場の実践研究はどこにあるのかというような話。そんな話を聞きながら、ぼくは官製研究会にも民間研究会にも「かつての研究」がなくなったのだなと感じていた。ぼくらの研究会も「研究」というよりは「教師教育」の色合いが濃くなってきている。ふとそんなことも感じていた。これもまた心地よい小宴だった。思えば、ぼくにとっては、時間軸と空間軸とが交差する、そんな二次会だったのでしょう。
帰宅後、感想・質問記入用紙に目を通すと、驚くほどの高い評価。特に、最近、割とよく顔を出してくれているS田くんとかN野くんとかH井くんとか、若い先生たちが驚嘆とともに感想を寄せてくれている。今度は模擬授業者としてあの場に立ってみるといい。きっと世界観が変わるはずである。そういう失敗に学びながら、怖い経験に晒されながら、ぼくらだって世界観を少しずつ広げてきたのである。
超えても超えても更に高いハードルがある。それに気がつくと、もうやめられなくなります(笑)。
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