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蛮族

ネットワーク東京大会の事務局から、感想用紙が送られてきた。ぼくの講座に対する感想と質問が数十枚である。

ぱらぱらとめくっていたら、次のような感想があった。

「私は○○の中学校教員です。修学旅行でよく京都・奈良方面に行きますが、旅館の方々が口々に言うには『北海道の中学生は一番悪い』。だから先生の学校の映像を見たときには驚きました。子どもたちが実にいい顔をしていたし本当に可愛い。(後略)」

うーん…。これを読んで、はたと考え込んでしまった。もしも旅館の人たちが本当にこう言っているのだとしたら、けっこうな問題だな、と。どう考えても嘘だからだ。北海道の中学生は、京都・奈良には行かない。せいぜい東北止まりである。行かない生徒たちに、良いも悪いもないはずではないか。

この虚言は差別意識ではないか。

京都・奈良と北海道は対極にある。いにしえから文化・政治の中心として栄えた京都・奈良、そして伝統・文化をもたぬ新しい開墾地蝦夷地。二次大戦で沖縄が皇国からはずされ、国土防衛線からはずされたのは、沖縄が日本人の無意識に異国として捉えられていたからだといわれるが、北海道もまた日本人にとってそういう土地なのである。

北海道はだれがどう見ても、学級崩壊率は低い。関東の大都市や大阪にくらべたら、多くの学校が安定している。そういう地域である。保護者のクレームも少なく、学校が顧問弁護士をもとうなどという話ともまだまだ無縁である。良くも悪くも、古い学校風土がまだまだ残っている。それが北海道である。全国学テの成績が良くないのは、子どもたちの頭の出来や学校教育の不備不足というよりは、土地柄の影響である。一次・二次産業の遺る北海道は、他県に比べて学歴によって生きていくという意識がまだまだ低い。学力を高めて欲しいとの生徒や保護者の期待も他県に比べてまだまだ低い。

北海道の高校生が悪い…というなら、まだわからなくもない。北海道の高校生は多くが京都・奈良に行く。北海道には国の文化財を大事にしようという意識は希薄である。そもそもそういう文化財のない土地柄であるから。それが大事なものであることを頭では理解できても、心では理解できない。流れている空気が違うから。だから、おそらくは北海道の高校生は京都・奈良の深みを理解しようとはしないだろうし、それを教えたところで理解できないだろう。そういう運命なのだ。

その代わり、北海道には、江戸時代以来の身分制度による差別はない。従って、同和教育なんて概念もない。アイヌ民族に対する差別もぼくらが子供の頃に比べたら、ずいぶんと見られなくなってきている。そういう土地柄である。

京都・奈良と北海道。

京都・奈良から見れば、北海道民がまだまだ蛮族であるということを思い知らされる出来事だった。

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