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すべての〈授業行為〉には〈意図〉がある

すべての〈授業行為〉には〈意図〉がある。

時間が足りなくて、まだまだある具体例を端折らざるを得なかったが、言いたいことは伝わったのではないか、そう評価している。

なぜ、その発問が選ばれたのか。なぜ、このレベルの説明がなされたのか。なぜ、ここであくまでこの指示なのか。すべて理由があるのだ。逆に言えば、理由のない、或いは授業者がその理由を語れない授業行為ならば、それは授業者が自らの授業行為に無自覚だということだ。無自覚な授業行為は偶然成功することがあったとしても、その授業行為は授業者の力量形成にはつながらない。再び「偶然の当たり」が出るまで、待つしかない。そんな山師的な授業をしていてはいけない。そういうことだ。

例えば、今日のぼくの授業。

考えていたことは、次のようなことだ。

1.今日の最初の授業なので、参加者に抵抗感を抱かれないような教材であること。難しすぎず、むしろ簡単な題材に思えながらも本質的な問題をはらんでいる、そんな教材であること。

2.道徳を題材とした1日の最初の授業なので、一般的な道徳授業イメージを逸脱しないこと。つまり、飛び道具的な授業構成を採らず、道徳然とした授業であること。

3.最初の授業なので、参加者にとってアイスブレイキングの機能をもつこと。つまり、小グループ交流等を入れて、近くに座っている知らない人たちと意見交換をすることへの抵抗感をなくすこと。

4.道徳然とした授業、一般的な道徳的な授業形態を採りながらも、他人事として考えるのではなく、いかに〈当事者意識〉をもたせるかという視点をもつ必要があるという、道徳授業の基本中の基本を模擬授業の中で体験的に実感させること。

クリアしなければならない必須の事項として、この4つは絶対にはずせない。それが研究会のトップで提案する人間の責任なのである。2本目以降とはその意義と責任が異なる。1本目でフォーマットが決まれば、あとは多少の飛び道具が出ても、多少の失敗授業が出ても、それなりに意図をくんでもらえるようになる。

〈授業行為〉にも〈意図〉があるが、〈研究会行為〉にも一つ一つに〈意図〉がある。

その後、飛び道具的な授業、直球勝負ではない変化球授業も多々あったのだが、ちゃんと受け入れられていた。責任を果たせたな…と、割と満足感の大きい1日だった。

このことは、授業における〈導入〉で意識しなければならないことと、ほぼ同じ原理である。要するに授業技術とは、その時々、その場面場面に求められる役割を意識し、それを機能させることなのだといえる。そして、そうした機能の連続でできあがった授業のことを、我々はよい授業というのである。

久し振りに、というかほとんど初めて、自分が主役から退き、完全に脇役に徹した1日。こういうことができるのも、メンバーに力がつき、主役をはれる人間が出てきているからである。かなり演劇的な考え方だが、これが、「研究集団ことのは」の一つの現実である。

とにかく楽しい1日だった。

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コメント

今回も、濃縮ウランのような講座をありがとうございました。
堀先生の模擬授業からは、ネタだけでなく授業の展開の仕方を学びました。道徳はあのように展開する方法があるのだと、唸りました。他の授業でも生かすことができると思います。模擬授業終了後にいただいた論文、読み返しています。
山下先生のマイクロディベートを使った模擬授業の始まりと終わりで、自分の考えが変わっていることは、実は嬉しいことでした。自分の考えは変わらないと思っていたからです。
森先生の模擬授業に、自分の提案をまっすぐに出すことの潔さを感じました。帰りの飛行機で、僕は腰骨を立ててセミナーの資料を読んでいました。今も腰骨を立ててキーボードに向かっています。本当です。
道徳についても、現場のニーズは高いです。少なくとも年に1回ぐらいは、「ことのは」の皆さんから学べる機会があるといいのになあと思っています。
それにしても、毎回毎回、こんなクオリティの高いセミナーをなさるということ、驚きです。

投稿: 早坂 | 2009年10月27日 (火) 19時04分

現場にいたとき、
指導主事が授業参観をして、15分ぐらい指導助言をして帰っていくという楽ちんパターンに物足りなさを感じていました。

それで、今年度、自分がそういう立場になって、
学校さんに受け入れてもらえるときは、話し合って様子をうかがってから、
その学校の研究主題にそった模擬授業や演習をさせてもらっています。
それを自分に課しています。

今日と一昨日、訪問した小学校では、僕の模擬授業の検討もしてもらいました。必ず改善点も指摘するという条件付きで。

その動機付けになっていることに、
「ことのは」の皆さんからいただいている刺激があります。
自分なりに皆さんに少しは近づきたいという願いや自分なりにこれまで学んだことを整理したいという思いからです。

独り言のような報告でした。

投稿: 早坂 | 2009年10月29日 (木) 19時27分

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