駐車場
勤務校の校舎が平成24年度から新しくなるらしい。
いまの校舎は傾いているので、新しくなるのはよいことである。ここでいう「傾いている」は比喩ではない。地盤のゆるい地域に立つ勤務校は、文字通り「傾いている」のである。この校舎が建てられて39年目を迎える。この間、玄関前の階段が十段近く増やされているという。基礎をかためた校舎はあまり沈まず、まわりの地盤はどんどん沈む。その結果、玄関と地盤との段差がどんどん広がった、というわけだ。ほんとにほんとに「傾いている」のである(笑)。
ここ数年、新しい校舎が建った学校には駐車場スペースがつくられない。市の保有する土地である学校の敷地内に、職員の駐車場スペースがあるのはおかしい、との理由からである。道庁も市役所も、職員の駐車スペースなどない。学校だけが当然のように職員の駐車場スペースを確保しているのはおかしい、というわけだ。確かに一理ある。
当然、勤務校の新校舎建設予定の図面を見ても、当然、駐車場スペースはない。私も基本的にそれが正しいだろうと思う。
しかし、正しいことに悪影響がないとは限らない。
駐車場スペースがなくなるということは、職員に公の交通機関で通えということである。職員が交通機関で通うということは、これまで当然のように行われていたことが行えなくなるということだ。
例えば、家庭訪問。結論から言えば、これは廃止するしかないだろう。学級担任が車で移動できないということは、これまでの日数では家庭訪問週間が終わらないということである。家庭訪問による午後カットの日数をこれ以上増やすということは、授業時数確保の観点から考えてできない話である。しかし、広い校区を歩いて3日や4日でまわるのは不可能である。廃止するしかないだろう。
地域から苦情の電話がかかってくる。或いは生徒の非行目撃といった情報が寄せられてくる。これまでならば、すぐに教職員が何台かの車に便乗して数分で駆けつけていた。これもできなくなるだろう。歩いていく、走っていくとなると、もう既に苦情の対象はどこかに散逸しているにちがいない。
隣の学校の生徒が勤務校にやってくる。こうした場合、すぐにその学校に電話をかけて引き取りにきてもらう。隣の学校には駐車場スペースがあるから、隣の学校の先生方は車で来る。電話をしてから数分で引き取りにくる。逆のことが起こった場合、つまり、勤務校の生徒が隣の学校にいき、隣の学校から引き取りに来てくれと電話が入った場合、我々は歩いていくことになる。おそらくこの程度のことでタクシーを使うことは許されないだろうから、きっと歩いていくことになる。隣の学校からは数分で来るのに、こちらの学校からは30分かかる。でも仕方がない。足がないのだから。
体育的行事があると、その運営をつかさどっている教師は、朝5時台に来て雨天中止にするかどうかを決定している。これもできなくなる。公の交通機関はこの時間には動いていないからだ。どうするのだろう……。一人や二人なら、タクシーを使わせるだろうか。
おそらく、機動力を必要とする生徒指導畑の教師、部活動を一生懸命やっている教師、遠くから通っている教師、こういった人たちはきっと勤務校から逃げていくだろう。札幌市のすべての学校から駐車場がなくなるのなら、勤務校を出る理由はない。しかし、隣の学校に転勤すればこれまでどおりの動きができるのである。だれが好き好んで勤務校に残るだろうか。生徒指導をするにしても、部活指導をするにしても、研究活動をするにしても、車があるとないとでは大違いである。きっと人材が逃げていく。いい人材ほど、機動力を必要とするからだ。
この裏返しとして、いい人材がはいってこない、ということも起こるだろう。勤務校は決して、交通便のいいところにあるわけではない。そんな学校への通勤に自家用車が使えないとなると、その学校に勤めることは避けたいと思うのが人情である。
まだまだデメリットがあるが、このくらいにしておこう。
一番の問題は、学校というものがもともと交通便のいいところには建たない運命をもっている、ということだ。子供を遠くに通わせるのを避けたいと思う地域住民が、地方公共団体に陳情に陳情を重ねて建ててもらう。それが学校である。道庁や市役所、警察署や税務署とは、そもそも設立される条件が異なるのである。
もう一つ、こうした駐車場を不必要とする最近の学校構想が、実は東京をモデルにしているということである。あの狭い地域にあれだけの交通網のある東京都なら、確かに私も車通勤などしない。しかし、札幌は地下鉄が南北線と東西線のみ、JRは札幌を北西から南東に走るのみ。バスは頻度の高い路線で1時間に3本である。東京なら、バスは5分に1本来る。この違いが想定されていない。
しかし、まあ、こんな愚痴を言ったところで、計画が変わるわけもない。転勤を考えるしか手はなさそうである(笑)。せっかく気に入っていた学校だったのだが、まあ仕方がない。まったく住みにくい世の中になったものだ。
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