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自分に何ができるか

自分に何ができるだろうか。

多くの人はこう考えがちです。例えば、気の毒な境遇にある生徒がいたとき、多くの教師はこの子に何をしてあげられるだろうかと考えます。しかし、ぼくはこれを欺瞞だと思います。ほとんど何もしてあげられないのが現実なのですから。

仮にこの子の気の毒な境遇が経済的な苦境だとしましょう。多くの教師はこの子を経済的な苦境から救い出してあげることはできません。修学旅行の代金を保護者が出せなかったとして、その代金を支払ってあげようなどと、多くの教師はしません。せいぜい準用保護の対象となるかどうかを調べて、その手続きの仕方を教えてあげるのが関の山です。ぼくはかつて、担任している教え子の修学旅行代を支払ったことがあります。女の子でした。彼女は発ボーナスでそれを返しに来て、ぼくもずいぶんと嬉しく思ったものですが、こういう例はよほど珍しい例のようで、ぼく以外の教師からは聞いたことがありません。ぼく自身、その子以外に修学旅行代を支払ってあげたことはありません。

仮にこの子がリストカットの常習者だとして、親身になってこの子の家に家庭訪問をするとします。しかし、そういう子は多くの場合依存性が強いですから、次第に起用しに依存するようになってきます。真夜中に電話がかかってきたり、ひどいときには真夜中に呼び出されたり。一度や二度なら対応できますが、三度、四度となってくると、いやになってきます。家族に迷惑をかけますし、何より次の日の仕事に支障が出ます。そうして何回目かの呼び出しを断ることになります。そしてそのリストカットの生徒は、「先生に裏切られた」とよけいに孤独感を強めるのです。そういう事例を何度も見てきました。

ぼくは教師に限らず、人というものは、「自分に何ができるか」ではなく、「自分には何ができないか」を最初に考えるべきだと思っています。数万円の金を担任している生徒のために支払ってあげることはできません。何度も真夜中に呼び出しを受けるのも迷惑です。そんなことはできないのです。

できないことをやるうとしてそれがうまくいかないと、かえってやらなかったときよりも、他人を傷つけることがあります。できることはしてあげなければなりませんが、できないことには取り組み始めないことが重要です。

「挑戦」という言葉は、自分のために「挑戦すること」を言うのであって、他人のために「挑戦すること」などあり得ないのです。そういうことがわかったとき、生徒との〈距離感覚〉の大切さがわかってきます。

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