セミナーとイベント
夏休み最後を締めくくる二つのセミナーが終了。
昨日が中学校・学級経営セミナー。今日が中学校・国語科授業づくりセミナー。両日とも想定していた以上の参加者があって盛会。
それより何より、堀の演劇型ステージ発表の演出論と指導論、石川晋の合唱コンクール指導論、森寛の説明文の言語技術体系、堀の物語・小説教材の言語技術体系、山下幸の韻文教材の言語技術体系と、これまでいろいろ発言しながらもおっくうがって整理してこなかった、そういったコンテンツが整理されたことが大きい。もちろん、細かなところは訂正し修正していく余地があるが、この第一段階の整理というのがなかなかできないものなのである。この二つのセミナーを夏休みの最後に設定しておいた意図が、成功した感じである。
参加者の方々には申し訳ない話になるが、ぼくらの開くセミナーはお客さんに何かを伝えようということ以上に、こういう機会をつくってぼくらが自分自身で自分自身を追い込み、理論や実践を整理することを自らに課すという趣が強い。これがぼくらの中で、実は明確に自覚されている。だったら自分たちのサークル定例会でやればいいじゃないかと普通の人は発想するかもしれないが、ぼくらは自分たちの怠惰な性格をよく知っている。サークルでやっているとどうしても甘えが出て手を抜く。忙しかったんだ、ごめんね、で許されてしまう。しかし、一般のお客さんが一人でもいて、しかもその方々からお金をとっているということになると、この甘えをかなり大きく払拭することができる。ぼくらの目的の一番は、実はこれなのである。
こういうふうに開発した実践研究が、お客さんにとって少しでも役立つのならば、どうぞ使ってください。こういうスタンスなのである。
だからぼくらは、研究会に50人とか100人とかを集めようとはしない。顔を見て目線を合わせて提案が伝えられ、質問されても答えることができ、しかもぼくらがいわゆる「登壇している遠い人」にならないような距離感覚で提案できる、そういう人数である30人以内という規模を好むのである。ペイラインはほぼ20人。会場費と宣伝費で毎回約60000円がかかる。21人以上集まったときには、登壇者と事務局の昼食としてお弁当とお茶(約600演相当)を買う。ああ、今回は多くの方に来ていただいたなあ…とお弁当をいただく。そんな感じである。
20人をペイラインに設定しておくと、10人集まれば赤字は30000円、15人集まれば赤字は15000円、25人集まっても黒字は15000円、30人の定員を満たしても黒字は30000円である。このくらいだと、黒字のイベントと赤字のイベントとがトントンになる。最近は20人を超えることが多いので、お弁当をいただけることが多くなった。宣伝も広くまけるようになった。赤字の心配をしながらストレスを感じることもなくなった。そして何より、30000円たまると、ちょっと人が集まらなくてもいいから、マニアックな企画をたてて実践を整理してみようか…というような冒険ができるようになる。だって、30000円もっていると、10人集まればいいよっていうような、すごい狭い問題意識をテーマにかかげて、みんなが興味を持っていないけど実は大事…というタイプの研究会企画をたてられるわけですから。これまでにも、池田晶子の説明文「言葉の力」の教材研究だけにしぼった研究会とか、絶対評価を実際にはどんなふうにみんなやってるの?っていう現実的な対応の研究会とか、そんなものを何度もやっては、それまでの黒字を吐き出してきたのである。
こういうスタンスが、実に心地いい。
そしてそれは、心地いいだけではなく、ぼくらが割と細かいところまで考え込んで提案をつくることができる原動力にもなっているわけである。だってマニアックな研究会を開いて、真剣に提案を考える経験を何度もやっているわけだから。
もうひとつ。よく研究会のアンケートの希望欄に、「あのときにやったあの話をもう一度聞きたい」とか、「あのとき用事があって参加できなかったので、来年の同じ時期に同じような研究会を開いてもらえないか」というようなことを書かれることがある。でも、ぼくらは同じような研究会は二度と開かない。それは、研究会の主たる目的が自分たちの実践の整理にあり、その整理をやらざるを得ないように自分自身を追い込むことだからである。一度自分が整理してしまったことをもう一度…という必要はないのだ。つまりそれは、ぼくらにとって必要がないのだ。だからやらない。そういうことである。そんな時間があったら、ぼくらは次の一歩を進もうとする。それが現実的でない挑戦であっても、普通の先生には理解されないマニアックな視点であっても。このスタンスを壊してしまったら、「研究」ではなくなる。「金儲け」とか「売名」になっていく。ぼくらはそれだけはしないという決意を抱いている。
ぼくらのその時々の問題意識だけをテーマにして研究会を開く。そんなぼくらの問題意識にちょっとだけ興味を抱いてくれた方々が足を運んでくれる。ちゃんと顔を見て語ることができ、休憩時間には質問に答える余裕があり、ぼくらが「遠い人」にならない人数で。それが定員30人なのだ。
教師ならわかるはずだ。学級経営をしていても、教科経営をしていても、30人を超えたときから、一気に一人一人との関係がうすまってしまう。
15人しか集まらない時もあった。20人のときもあった。25人のときもあった。かつては7人なんてこともあったっけ。
もちろん、反対に、定員の30人がすぐに埋まることもある。
でも、ぼくらは、31人目を決して受け付けない。それがぼくらの小セミナー哲学だ。
ぼくらがたくさんの人を集めようとするときは、ぼくらが外に、つまり北海道以外に学びたいと思う人ができ、その人を呼んで直接学ぼうとするときだけである。そういうときには、その講師の先生の旅費と宿泊費と接待費と講師料が150000~300000円かかる。申し訳ないが、こういうときにはイベント運営をちゃんとやって、お客さんをちゃんと集めて、講師に渡すお金をつくる。こういうことなのだ。これをぼくらは「セミナー」ではなく、「イベント」と呼んでいる。かつては年に1回は必ず、多いときは年に2~3回の「イベント」をやっていた。でも、もう4年間も「イベント」はおこなっていない。
最近、ぼくらの視野が広がってきて、道外に学びたい人が出てきた。また、最近、ぼくらの新コンテンツがたまってきて、かなりの整理も加えられ、専門家に評価してもらわなければならない段階にはいってきている。
そろそろ、「研究集団ことのは」が「イベント」を開き始める時期が近づいてきている。
| 固定リンク
「書斎日記」カテゴリの記事
- なぜ、堀先生はそんなに本をたくさん書けるんですか?(2015.11.22)
- 出会い(2015.10.28)
- 神は細部に宿る(2015.08.20)
- スクールカースト(2015.05.05)
- リーダー生徒がいない(2015.05.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
「日本中でここだけ。ほかでは絶対にきけない話だ!」と思いながら2日間,受講。
あれだけディープなセミナーはちょっとないでしょう。
「ことのは」のみなさんに連れて行ってもらって,
自力だけではとうてい見ることのできなかった景色を,
垣間見ることができました。
今日,後輩に「国語科指導案を見てください」と言われたので見たのですが,
見え方がこれまでと違っていました。
森先生の「説明文で習得させるべき言語技術」が浮かんできて。
会議中も堀先生の「習得・活用・探究をさぐる」の中の言葉が頭に浮かんできて,
自分の考えをまとめていくのに助かりました。
ありがとうございました。
投稿: 宮城の早坂 | 2009年8月25日 (火) 20時16分