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一日の核

生活の中心というか生活の核というか。

一日の核が子供たちに何かを教えることである日と、文章を綴ることである日と、活字を読むことである日と、映像を見ることである日と、人に会うことである日と、この五種類がある。

平日か休日かなんてことは関係ない。

文章を綴ることを核としている日は、たとえ子供たちに指示語の指示内容を読み取らせていても、空白に入るべき接続詞を予想させていても、文学のなんたるかを語っていても、その時間はすべて文章を綴ることに収斂していく。現象的には職務専念義務を果たしていても、本質的には職務専念義務に違反している。そういう時間である。

映像を見ることを核にしている日は、たとえそれが退勤後、いや休日であったとしても、それらの映像と子供たちの表情が重なって見えてくる。子供たちのそうした映像を撮ったらどうなるかと考え、それにふさわしい曲が思い浮かび、頭の中で「そうした映像」が再構成されていく。現象的にはテレビを見ているだけなのに、ぼくの思考の中心は教育にあり、学校にあり、子供たちにある。そういう時間である。

活字を読むこと核としている日の平日はきつい。子供たちとのやりとりと活字を読むことは、現象的にどうしても両立しない。そんなとき、ぼくという人間と仕事とが齟齬を来す。退勤後の時間が、休日の時間が待ち遠しくなる。そんな休日に研究会の予定でも入っていた日にゃあ、すべてが真っ暗になる。

ここ十日ほど、二つの核が並行してそこに在る。来るべき月曜日が重苦しくもあり、軽やかでもある。こうした実感をもったとき、ぼくは必ず何かを生み出してきた。今回もそうなるだろうか。しかし、それを目的的に志向したとき、その生み出されるはずの何かは堕していかざるを得ない。難しいものだ。

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