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リハーサル

学祭でも学年集会でも生徒会行事でも、リハーサルは本番への最終チェックである。その意味で、本番通りにやらなければならない。「本番はこの通りにやればいいんだよ」と教師が告げ、生徒も「この通りことのやればいいのだ」と安心する。だから、どんなに面倒なことでも、本番通りにやらねばならない。それがリハーサルの機能である。

教師から見れば、最終リハーサルを見て「ここをこうすればいいのに…」ということはもちろんある。

正直に言えば、いくつもある。

しかし、そこで何か指導を追加するということは、リハーサルを最初からもう一度やるということである。何かを追加すれば、どこか予想外のところに矛盾やひずみが出るかもしれない。人間はそうした細かな矛盾やひずみを想定することができない。だから、もう一度やらねばならない。

そんなことを考えずに、教師は一般的に、リハーサルを見て思いつきの指導をする。それが本番に細かな悪影響を与える場面をぼくは何度も何度も見てきた。

だから、リハーサルのあとは技術的な指導、具体的な指導は一切加えないことにしている。あとは精神論を語るだけだ。

おそらくこれは、かつての10年以上の演劇部指導でつかんだことだ。

幕の開け閉めのタイミングはもちろん、開け閉めのスピードとか、これから使う大道具や小道具をどこにどのように置いておくかとか、使い終わった小道具をどこに置くかとか、即座の着替えをどこでするか、その際、その着替えを手伝う人間はだれとだれかとか、この場面での音響のボリュームはいくつかとか、演技以外の要素もまた、すべて確認しておかなければならない。これを怠ると、演劇は絶対に失敗する。

実は生徒にステージ上の活動をさせる場合は、すべてこのレベルの確認が必要になる。この原理は学校祭ステージであろうと、生徒会行事であろうと、小さな学年集会であろうと、まったく変わらない。

教師は思いつきの変更をしてはならない。思いつきの指導は、教師の自己満足を満たすためのものであり、本番によい影響はひとつも与えない。

実は、大きく見れば、これが学級経営や生徒指導の原理と同じであることを、力量のある教師は知っている。力量のない教師ほど、その場の自己満足を満たそうとする。

そういうものだ。

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