距離
重要なことは、何事にも適切な距離を意識して臨まなければうまくは運ばない、ということだ。
人の悩みは、そのほとんどがそうした距離の調整がうまくいかないが故に生じる。そういうことを、なかなか教えてもらえないのが世の中である。
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重要なことは、何事にも適切な距離を意識して臨まなければうまくは運ばない、ということだ。
人の悩みは、そのほとんどがそうした距離の調整がうまくいかないが故に生じる。そういうことを、なかなか教えてもらえないのが世の中である。
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生活の中心というか生活の核というか。
一日の核が子供たちに何かを教えることである日と、文章を綴ることである日と、活字を読むことである日と、映像を見ることである日と、人に会うことである日と、この五種類がある。
平日か休日かなんてことは関係ない。
文章を綴ることを核としている日は、たとえ子供たちに指示語の指示内容を読み取らせていても、空白に入るべき接続詞を予想させていても、文学のなんたるかを語っていても、その時間はすべて文章を綴ることに収斂していく。現象的には職務専念義務を果たしていても、本質的には職務専念義務に違反している。そういう時間である。
映像を見ることを核にしている日は、たとえそれが退勤後、いや休日であったとしても、それらの映像と子供たちの表情が重なって見えてくる。子供たちのそうした映像を撮ったらどうなるかと考え、それにふさわしい曲が思い浮かび、頭の中で「そうした映像」が再構成されていく。現象的にはテレビを見ているだけなのに、ぼくの思考の中心は教育にあり、学校にあり、子供たちにある。そういう時間である。
活字を読むこと核としている日の平日はきつい。子供たちとのやりとりと活字を読むことは、現象的にどうしても両立しない。そんなとき、ぼくという人間と仕事とが齟齬を来す。退勤後の時間が、休日の時間が待ち遠しくなる。そんな休日に研究会の予定でも入っていた日にゃあ、すべてが真っ暗になる。
ここ十日ほど、二つの核が並行してそこに在る。来るべき月曜日が重苦しくもあり、軽やかでもある。こうした実感をもったとき、ぼくは必ず何かを生み出してきた。今回もそうなるだろうか。しかし、それを目的的に志向したとき、その生み出されるはずの何かは堕していかざるを得ない。難しいものだ。
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野外学習の準備活動として、生徒たちの活動の様子をビデオにおさめ、編集して学年集会で上映し続けている。
最初の学年集会(5/12)は、1本目が「野外学習実行委員会プロモーション・ビデオ」と題して、18人の学年協議会メンバー、5人の各学年委員長の紹介ビデオ。「空も飛べるはず」に載せて、白いカーテンに映したメンバーのアップの笑顔をビデオの前で、各メンバーが一人ワンポーズ。要するに、「白線流し」のオープニングのパクリである。
2本目が「野外学習イメージ・ビデオ」と題して、学年教師が4/24(金)に行った野外学習下見の映像を編集して上映。かまどづくりから火おこし、炊事、食事、片付けまでを「威風堂々」にあわせて編集。学年教師団に親しみをもってもらうため、ユーモラスに構成している。
2回目の学年集会(5/28)は、学年協メンバーの校歌練習風景をオープニングに、「第1学年教師団PV」と題した映像を2本。「生活指導係編」と「中堅教師編」。それに「野外学習準備活動IV」と題して、生徒の炊事メニューの話し合いの様子、各班による校歌練習風景の様子を5分ほどの映像にまとめた。曲はナウシカにプレスリー、そしてシャカタクである。
今日、3回目の学年集会(6/1)のビデオの編集を終えた。今回は「第1学年教師団PV」が2本。「若手教師編」と「女性教師編」。若手教師編はドラマ「相棒」のパクリ、「女性教師編」はモーツアルトの「レクイエム」に載せてホラー仕立て。その後、学級での校歌練習の様子をシューベルトの「楽興の時」に載せてイメージビデオ化。更に前学級の校歌斉唱を一部ずつつなげて、1曲を構成する映像が3分半ほど。
いずれのビデオも、学年協メンバーをさりげなく目立たせている。彼らがスポットライトを浴びるような構成にすることを心がけている。こうした映像である種のポジティヴな空気を醸成していくこと、いま、ぼまの実践において、なくてはならない手法になってきている。
結局、人は「楽しい雰囲気」の中でしか育たない。大人も、子供も。楽しみがあるからこそ、高いハードルにも挑戦しようとする。生徒たちを見ていても、研究会で成長していく若手を見ていても、これを実感する。
「楽しさ」と「成長」が融合された瞬間を実感したとき、人はそれを「充実」と呼ぶ。
その意味で、最初から「充実」を求める営みは苦役と化しやすい。まずは「楽しい」と思わせること。「楽しい」と思っているからこそ、指導者の言葉も吸い込まれていくのだ。指導者が心がけねばならない一番のポイントがここにある。
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10日振りの更新である。
この10日間、夢中になれることが二つ重なった。一つなら、HPやブログの更新にも目が向くのだが、二つ重なるとこれらはそっちのけにされる。
夢中になったことの一つは学年集会のビデオづくり。今年度の後半に生徒たちに学級PVを制作させる予定がある。ひれで、ビデオスタジオの全機能の紹介の意味も込めて、見本として学年教師団のPVをつくることを思いついた。これにずいぶんと時間をかけた。平日3時間、土日に6時間といったところか。
もう一つは内藤朝雄の「いじめ論」である。「群衆秩序」「全能はずされ憤怒」「祝祭・属領」「学習サポート・資格認定分割制」「中間集団全体主義」などなど、魅力的な概念が多々あった。直感的に、これらの概念をちゃんと理解して自分の主張に取り入れることが必要だと感じた。時間をかけるべき題材だと感じた。
こういうわけで更新が滞った。
この間、毎日、200アクセスほどありましたが、読者の皆さん、こういうわけなのでお許しください。
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「いじめの構造」(内藤朝雄・講談社現代新書・2009.03.20)を読んでいて、おもしろい記述に出逢う(p54~56)。
寄生虫がいつのまにか自分のなかに侵入し、わたしの内側からわたしを操作して、わたしにおぞましい生き方をさせてしまうとしたら、これほど不気味なことはない。(中略)
だが、社会が寄生虫だとしたら!
つまり、わたしたちが集まってできた社会が、いつのまにかわたしに侵入し、内側からわたしを操作して、おぞましいやりかたで生きさせてしまうとしたら、それは吸虫やハリガネムシやポリモルフス・パラドクスス以上に不気味である。
これはぼくらの社会生活の中で充分にあり得ることだ。あり得ることというよりは、ぼくらの生の本質であるとさえ言える。ぼくらはぼくらのアイデンティティをもっていると信じて疑わない。いや、一応、アイデンティティをもっていると考えてもよいのだが、ぼくらのアイデンティティがオリジナリティをももっていると考えるのは間違いである。
ぼくらは両親の特殊性によって与えられたフレームから決して自由になれないし、この世に生を受けた世代的なフレームから逃れることもできない。ぼくらはそうと意識できないままに浸食されたそうした「社会」によって、内側から思考させられているとみた方がいい。
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転勤して最も違和感をもったことは、会計処理の仕方が学校によって異なることだ。教委は会計処理の仕方くらい、統一を徹底できないのだろうか。
ぼくだって教委がどういう会計処理システムを敷いているのかくらいは知っている。しかし、それに従っている学校と従っていない学校があるのは厳然たる事実。その違いが学校長の指導力に比例しているのも事実。
どうも同僚たちや研究仲間たちの話を聞いていると、白石・厚別・清田あたりは、いまだに公然と現生を集めて現生で処理しているらしい。これまで二校、現生をいじらせてもらえないことで過度のストレスを感じながら会計処理をしてきたぼくとしては、この事実に憤りを覚える。現生をいじれないと、安売りしているものを直接購入できないので、高くつくことが多かったからだ。
税金をどう使うか、保護者徴収金をどう使ったか、こうしたことにミスがあっては言い訳が立たない。しかもちょっとした個人によるスダンドプレイがあれば、それは法的に「横領」である。もう80年代ではないし、20世紀でさえないのだ。
教育内容の在り方、つまり教育課程をどう組むかという問題ならば、議論の余地もあろう。しかし、こうした外延的なシステムの構築が遅れているのはまずい。そこに議論の余地はない。
給食システム、救護システム、施設設備システム、そして会計システム、こうした学校を取り巻く周辺業務については徹底して管理を強化すべきである。これを現場教員の仕事に割り振っているから、いつまでたっても変わらないのだ。現場教員は自分の仕事ではないと思うだろうし、事実、こうした仕事が教員にとって授業や生徒指導に優先することはまずあり得ない。しかも、残念ながら、多くの管理職にもこの能力は備わっていない。教員あがりの管理職とはそういうものである。
一般教員であろうと管理職であろうと、転勤した教員が、生徒の実態にも生徒指導のシステムにも学年運営や学校運営のシステムにも慣れていない時期に、周辺業務のシステムについてしっかり学ぼう、慣れようなどと発想するはずもない。
特に会計については、向陵に転勤したときにも、上篠路に転勤したときにも、同じことを感じた。ミスが許されない領域において、システムをよく理解できないということはかなりのストレスである。生徒指導や修学旅行で徹夜するのならともかく、監査が入るたびに徹夜する学校が多いとの話もよく聞く。
周辺業務の一括管理システムを早く敷き、徹底すべきだ。そうすれば、そこから漏れるのはいわゆる「あずけ」だけになるはずである。それが発覚した場合には、犯罪として徹底して糾弾すればいい。「あずけ」だけは間違いなく、それをやる者は「やる気」でやっている。
とにかく、繰り返しになるが、教委は会計処理くらいは一括管理を本気で徹底すべきだ。何か問題が起こってから、「各校の校長からは適正に処理しているとの報告を受けている……」などという言い訳は聞きたくない。
個人的には、現生をいじらせないことが理に適っていると思う。その意味では教委の方針は現行のままでいい。ただそれを徹底して管理せよ、違反している場合には市費を大きく減額するくらいに徹底せよ、と言っているのである。そうしなければ、「犯罪を意図しない犯罪者」「悪気のない犯罪者」を再びつくってしまうことになる。そうなる前に、教委がとるべき手立てがたくさんあるはずである。
こういうことについては、「人間を信用しないシステム」を敷く。それに尽きる。
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守秘義務に反する話をひとつ。
今年度、4月から現任校に転勤し、1学年に所属しながらも3年生3クラスに授業に行っている。まずぼくがやろうとしたことは、「やればできる」という感覚をもたせるために、まさに「やればできる」内容を年度当初に復習すること。
1.5時間かけて歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改める法則と練習、3時間かけて漢文の訓読文を書き下す法則と練習。前者を20問の20点満点、後者を20問の30点満点で小テストをおこなったところ、各学級8割以上が満点。平均点は18点と29点である。
満点をとった子のうち、学習を苦手にしている子、服装等に多少乱れがある子数人に訊いてみたところ、去年の国語は「1」だったという子が何人かいた。中には古文も漢文も点数が0点だったとさえ言う子もいたほどである。
彼らは「堀先生の授業は本当にわかりやすい」と言ってくれた。授業もまじめに受けている。ノートも取っている。たぶん直感的に、彼らは今年、「3」に引っかかるように思う。
ぼくがやったことは三つだ。一つは、歴史的仮名遣い1時間、訓読文の書き下し方3時間、あわせて4時間、本来の教育課程にない復習時間を設けたこと。二つめに、その際、レディネス0の子でもわかるように、法則を難易度の段階に従って細分化して一つ一つマスターさせていったこと。三つめに、最初に、「どんな馬鹿でもわかるようになるように教えてやるからちゃんと聞け。オレの授業を聞いてわからなかったらオレを責めていい」と宣言して授業を始めたことである。
テストの点数をとれない子、学習習慣の身についていない子、そうした子供たちの成績が悪いのには、確かに本人の努力不足もあるだろう。保護者の甘やかしや放任も考えられるかもしれない。しかし、もっとも責任が重いのは、やはり教師なのではないか。
彼らは帰り学活で、自分が満点をとったこと、9割とったこと、ポカミスで1問落としたことを、ニコニコしながら自慢げに話したという。できれば点数をとりたい、わかればそれなりのおもしろさは感じる。それだけのことだ。
そしてこの感覚を抱かせるには、年度当初は「古典」がいい。ここ15年ほど、ずーっと年度当初は「古典」から始めることにしている。
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90年前後に書いた未刊行処女作を15年後に加筆して刊行したものだと言う。処女作を読むと、やはり元・新聞記者らしく、「構想力」の作家なのだなあということがよくわかる作品だった。
冒頭から8割くらいまでは、謎を一つ一つ積み重ねていき、最後の2割でそのすべてを解決してみせる。そんな作品である。
新たな登場人物が出てくるたびにその人物が「謎」として提示され、何気ない会話の中に事件解決の伏線が重層的に配置され、謎の登場人物がその伏線を顕在化させる。その謎の登場人物こそが物語のキーマンだったという結末。しかも、そうした登場人物が複数存在する。見事な構想力である。
長編小説と言えば、あるテーマに沿った知識を体系的に説明することに紙幅を費やすものが多い。例えば、「白鯨」の鯨解説や、「悲の器」の刑法確信犯解説のように。しかも、「悲の器」などは、後にその確信犯理論が専門家から稚拙との批判が出るなど、その体系的説明自体が作品の傷になることも少なくない。
しかし、横山秀夫の「ルパンの消息」は、必要な叙述が必要な分だけ書き込まれた結果とししてこの分量になったという感がある。
ただ、処女作だけあって、人物の描写には難があるように感じられた。登場人物がいまひとつ活きていない。特に高校生を描く回想場面よりも、現在を描く場面にその傾向が強い。きっと作者自身の執筆当時の年齢と力量との両方の理由によるのだろう。
しかしながら、それがこの作品を読む価値を致命的に減じるというものでないことは確かだ。充分読み応えのある傑作、少なくともぼくにはそう感じられた。
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「上司につける薬!マネジメント入門」(高城幸司/講談社現代新書/2006.09)を読んだ。これといって特徴のない本だが、ぼくらが学校現場を生きていく上で、大切と思われる一節があった。
マネジメントをする際には、プレイヤー時代の自分がそれをできたかではできなかったかは、「棚に上げ」ねばならない。そして、その人がミスを修正するためにどうすべきか、を自分の立場から毅然と導くこと。「ボクができなかったのに、無理言っちゃってごめんね」といった態度は、誰にも益をもたらさない。自分の心苦しさを回避しているだけだ。
当然と言えば当然のことなのだが、人はこの原理を忘れがちである。プレイヤーとしての成功者がマネージャーとしての成功者になれるわけではないことは、長嶋監督が、王監督が、そして釜本監督が、監督として第二の人生を歩み出した途端に伏せ目がちの姿ばかりをぼくらに見せ続けたことでもわかる。それに比して、広岡監督や仰木監督の堂々たる采配をぼくらはいまだに瞼に浮かべることができる。名選手、必ずしも名監督ならず。耳にたこができるくらいに聞いたフレーズである。
しかし、ぼくらが校長を見るとき、或いは指導主事を見るとき、彼らがかつてどんなプレイヤーであったかが必ずといってよいほどに話題となる。しかも、どのような授業プレイヤーであったかはほとんど問題とされることなく、どのような生徒指導プレイヤーであったかばかりが問題とされる。あるいは学級経営プレイヤーと言い換えてもいい。結果、かつて生徒指導ができなかったとの評判のある校長や指導主事は軽視され、蔑視され、疎んじられる。
ぼくらの誰もがこのメンタリティを少なからず抱いている。どんなに理知的な判断をする者もこのメンタリティから自由ではない。そしておそらく、生涯、解放されることはない。教員世界とはそういうものである。
しかし実は、生徒指導が得意、学級経営が得意という人ばかりがいても、学校は成り立たない。
学習指導要領とにらめっこしながら教育課程をつくる人。
緻密な事務仕事を得意として一つもミスをせずに進路事務ができる人。
お金のやりくりをしながら効率的に会計を司る人。
写真を撮ったりビデオを編集したりすることを趣味としている人。
卒業アルバムや生徒会誌をバランスを考えながら編集できる人。
こんな人たちが必ず学校には必要なのである。
しかし、こういう人たちは職員室での評価が低い。それも、著しく低い。ぼくはこの慣習をなんとか打破しなければならないと思っている。
この構図を打破する手立ては実は二つしかない。
一つは、こうした人たちが、生徒指導や学級経営ができなければ認められないのだ、教職とはそういう世界なのだと一念発起して、生徒指導や学級経営のスキルアップを図ること。これができたら一番いい。
小沢一郎が民主党代表を辞職したが、彼が辞職せざるを得なかったのも、「政治家とは○○である」という政治家テーゼに触れたからにほかならない。政治家テーゼとは「国民に何か陰で悪いことをしているのではないかと疑われないこと」である。実際に悪いことをしたかどうかで責任を問われるのではない。疑いをもたれたか否かで責任を問われるのである。
教師も「生徒指導ができないと判断された時点で失格なのだ」という教員テーゼに従って、みんながスキルアップを図れば、これほど良いこともなかろう。
しかし、だれがどう考えてもこれは現実的ではない。政治家テーゼなら意識して、気をつけて生活することができる。陰でいかなる悪事を行っていようと隠すこともできる。だが教員はそういうわけにはいかない。生徒指導も学級経営も相手がいる。生徒指導も学級経営も常に、少なくとも子どもと保護者には公開されている。いくら意識して気をつけても、いくら隠そうとしても、力量のない教師が責任を問われずに済むことはほとんどあり得ない。隠せるのはせいぜい、政治家と同じように、私生活のいいかげんさくらいだろう。
とすれば、別の道を探すしかない。どんな道か。それが二つめである。それは、こうした生徒指導や学級経営を不得手とする教師たちを、生徒指導や学級経営を得手とする教師たちがフォローすることである。そしてフォローと同時に、自分たちが、実は、彼らの得意とするような研究や、緻密な事務仕事や、緻密な会計や、おたく的なこだわり仕事を不得手としていることを自覚することである。
これを自覚すれば、彼らの存在を、価値を認められるようになっていく。職員室が役割分担によって機能していることを理解できるようになる。学校の職員室には、この「役割分担」という意識が皆無と言っていいほどにない。それが現状である。
生徒指導力や学級経営力を相対化すべきである。
生徒指導屋には生徒指導屋の役割があり、担任屋には担任屋の役割がある。研究屋には研究屋の、教務屋には教務屋の、そして行事屋には行事屋の役割がある。もちろん、管理職にも管理職の役割がある。
これらを有機的に結びつけること。教員再生の道も学校再生の道も、このこと以外にはない。ぼくにはそう思える。そしておそらく、この結びつける力のことを、一般に「マネジメント」と呼ぶのだ。
生徒指導や学級経営ばかりでなく、研究も教務も会計も行事も編集も、そして管理職でさえ、みな役割分担に従ったプレイヤーとしてプレイしているのである。それらを有機的につなげていくフォーメーションを考えようではないか。
できれば、PTAも巻き込んで……。
これがぼくの理想の職員室だなあ。
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学年集会。学年協議会主導の学年集会である。
プログラムは以下の通り。
1.開会の言葉
2.野外学習実行委員会紹介ビデオの上映
3.野外学習実行委員長のお話
4.野外学習イメージビデオの上映
5.各学年委員長のお話(総務・生活・文化・保健・体育・図書の6名)
6.校歌練習
7.学年主任のお話
8.閉会の言葉
今回の学年集会の特徴が幾つかある。
一つは、ビデオを2本立てでつくったこと。一つは上篠路時代にもつくったことがあるが、野外学習実行委員会のプロモーションビデオ。「空も飛べるはず」に載せて、「白線流し」のオープニングの真似ををして一人一人を紹介していき、後半に実行委員会の活動の様子をつなげていくもの。
もう一つは、教師団による下見の映像を「威風堂々」に載せたもの。かまどづくり・火おこしから炊事・食事・片付けまでをユーモラスにつくったものである。途中に「ボラギノール」のCMを入れて笑いをとることも忘れない。
二つめは、登壇した生徒のスピーチがすべてNo原稿であったこと。5連休で原稿を書かせて先週の木曜日に添削、金曜日に原稿を確定し、土日で暗記させ、月曜日にNo原稿による練習を重ねるとともに視線を意識させる。今日火曜日の昼休みに再度練習させ、6校時が本番。1年生としてはこれ以上ないという堂々たるスピーチになった。
ぼくはこの手法にずいぶん前からこだわっている。スピーチをする本人たちに対する校歌ももちろんあるのだが、それ以上に聞いている一般生徒の側に効果がある。第一に、聞く態度が格段によくなること。第二に、学年のリーダーとはこのくらいのことができる者たちなのだと、生徒たちが学年リーダーを賞賛すること。第三に、いろいろな場面で登壇するにはあそこまでやることが求められるのだという覚悟を、今後、一般生徒がもつということ。第四は第三と連動するが、今後は生徒たちの覚悟が前提となり、集会で登壇する生徒の指導が楽になるということ。第五には、これがスタートだと、今後は「もっと高めるには」と考えたとき、生徒たちからいろいろなアイディアが出てくること。第六は、教師団が生徒のスピーチ指導をはじめとする様々な特活指導において理想像を高くもつようになること。このくらいの効果がある。ぼくの中では「絶対、やるべし」という手法である。
三つめは、かなり気合いを入れて校歌練習をしたこと。今日の校歌練習のために、学年協議会の18名は、この3週間、毎日、45分程度校歌練習をしてきた。教室で歌い、廊下で歌い、階段で歌い、校長室前で歌い、そして部活動をやっている体育館で部活の声に負けないようにと歌ってきた。後半は玄関前でも歌い、通行人に拍手をもらったこともあった。今回の集会の校歌練習では、まず、この18人の歌声を披露した。
この18人の歌声を聞き、一般生徒も意気に感じたのか、音楽科教師の指導のもと、どんどん歌声が大きくなっていった。体育館に響き渡る声。聞いている我々の躰にぶつかってきて、振動を起こさせる声。さすがに300人近い生徒がまじめに歌う校歌には、けっこうな迫力があった。
今年も、リーダー育成の第一歩を踏み出した。
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副担任として初めての授業参観。
しかも、所属学年ではない、他学年での授業参観。
さして重要でない授業参観。
さして重要でない授業。
さして重要でない一日。
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新聞記者出身の作家は描写が下手だという思い込みがある。
しかし……。
「臨場」は次のような印象的な描写から始まる。
白い首にロープが掛けられた。女の体はぐねぐねとして正体もない。ウエストに回された男の腕が少しでも緩めば、すぐにもカラーボックスの上から床に崩れたがる。
女の眠りは深かった。それでも首の辺りに違和感を覚えてか、眉間に小さな皺を寄せ、んんん、と苦しげに鼻を鳴らした。それが合図になった。男は女の体を放し、爪先でカラーボックスを蹴った。
女の体が落下した。いや、次の瞬間にはガクンと宙で停止し、女の眠りは破られた。眼球のすべてを晒し、歯と歯茎を剥き出し、捩れた舌がそれだけ別の生き物であるかのように迫り出して蠢いた。そうして蛙の鳴き声に似たものを一つ、胸だか腹だかの深いところから発した。
ぶら下がり健康器の握り棒から直下に突っ張った洗濯ロープは、女の華奢な顎の下に深く噛み込んでいる。床上十五センチほどの宙をペディキュアの光る爪先が小さな弧を描いて彷徨い、その揺れに一拍遅れてロープの結び目が、ギッ……ギギッ……と部屋に軋み音を響かせる。
女の鼻孔から血の混じった鼻汁が垂れ、上唇に向かって筋を引いた。まもなく痙攣が始まった。下腹部が収縮し、ワンピースの淡い黄色がそのまま染みだしでもしたかのような液体が、するすると太股を伝った。それは膝頭を避けるようにしてふくらはぎに回り込み、フローリングの床に溜まりをつくって臭気をあげた。
男は疎ましげに見つめ、その視線を壁の時計に移した。午前零時十五分。
女の首筋から脈動が消えた。
男は踵を返し、部屋を横切った。手袋の指先が壁のスイッチを下げた。部屋は深い闇に落ちた。男は手探りで引き戸を開き、廊下に出た。女に振り向き、だが無表情のまま戸を閉じて玄関に足を向けた。
なんて見事な殺人場面だろう。しかも、たったこれだけの殺人シーンに、後の伏線が張り巡らされている。印象的な形象をつくるとともに、伏線の叙述も見事に配置されている。
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研究会の一日にストーリーを/参加者に学びの物語を
これがテーマだった。
森くんが一日をどのように過ごして欲しいかを参加者に15分で説明する。ぼくが新学習指導要領の要諦について、特に「習得・活用・探究」「PISA型読解力」について大枠を提示する。特に「活用型授業」に機能別に三つの型があるということを提案し、今日のすべての研究協議において、なされた模擬授業がどの活用型を意識していたのかを明らかにした上で検討して欲しいことを強調する。
こうして始まった一日だった。
授業者12名。指定討論者が延べ16名。司会者が8名。もちろん、いい授業もあれば、いまいちの授業もあったし、いい協議もあれば、いまいちの協議もあった。ただ「ワークショップ型研究協議」と銘打ち、司会者ではなく「ファシリテーター」と呼んだ一日には、今後につながる大きな収穫があった。
おそらく、今後、「累積国研」が参加型に変じていく、大いなる一歩を踏み出したように思う。
一般参加者の少ない研究会だったが、やってよかった。大野さんに長女が生まれたという報告もあり、笑顔の絶えない一日だった。
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学祭でも学年集会でも生徒会行事でも、リハーサルは本番への最終チェックである。その意味で、本番通りにやらなければならない。「本番はこの通りにやればいいんだよ」と教師が告げ、生徒も「この通りことのやればいいのだ」と安心する。だから、どんなに面倒なことでも、本番通りにやらねばならない。それがリハーサルの機能である。
教師から見れば、最終リハーサルを見て「ここをこうすればいいのに…」ということはもちろんある。
正直に言えば、いくつもある。
しかし、そこで何か指導を追加するということは、リハーサルを最初からもう一度やるということである。何かを追加すれば、どこか予想外のところに矛盾やひずみが出るかもしれない。人間はそうした細かな矛盾やひずみを想定することができない。だから、もう一度やらねばならない。
そんなことを考えずに、教師は一般的に、リハーサルを見て思いつきの指導をする。それが本番に細かな悪影響を与える場面をぼくは何度も何度も見てきた。
だから、リハーサルのあとは技術的な指導、具体的な指導は一切加えないことにしている。あとは精神論を語るだけだ。
おそらくこれは、かつての10年以上の演劇部指導でつかんだことだ。
幕の開け閉めのタイミングはもちろん、開け閉めのスピードとか、これから使う大道具や小道具をどこにどのように置いておくかとか、使い終わった小道具をどこに置くかとか、即座の着替えをどこでするか、その際、その着替えを手伝う人間はだれとだれかとか、この場面での音響のボリュームはいくつかとか、演技以外の要素もまた、すべて確認しておかなければならない。これを怠ると、演劇は絶対に失敗する。
実は生徒にステージ上の活動をさせる場合は、すべてこのレベルの確認が必要になる。この原理は学校祭ステージであろうと、生徒会行事であろうと、小さな学年集会であろうと、まったく変わらない。
教師は思いつきの変更をしてはならない。思いつきの指導は、教師の自己満足を満たすためのものであり、本番によい影響はひとつも与えない。
実は、大きく見れば、これが学級経営や生徒指導の原理と同じであることを、力量のある教師は知っている。力量のない教師ほど、その場の自己満足を満たそうとする。
そういうものだ。
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昨日録画した「臨場」第四話を見た。
前三話で主要登場人物…というか主要脇役(論理矛盾か)を務めていた人物を、いきなり第四話で犯人にしてしまうというのは、なかなか新しい手法だと感じた。
ただ、もう少し主要脇役として活躍する話などを挿入しながら、第十話くらいにもってきたほうが良かったのではないか。そうすれば、視聴者もこの登場人物に思い入れをもって見ることになる。
たとえば、「太陽にほえろ」で殉職する刑事や、「俺たちの旅」で刺し殺されてしまうタマのように……。
まあ、原作を読んでいないので、なんとも言えないのだけれど。
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お兄さんも昔はペテン師みたいで とってもシゲキ的だった だけど今ではすっかり丸くなって いつでも笑うだけ(「お兄さんの歌」忌野清志郎&2・3’s)
昔から割と好きなフレーズだった。清志郎が40を好きでつくった歌である。先日、清志郎を聴いていて、改めて感じ入るものがあった。月並みだけど、本質だ。
ぼくもご多分に漏れず、40歳を過ぎて丸くなったとよく言われる。自分でも可笑しいくらいに、ちょっとやそっとのことでは腹を立てることがなくなった。意識的に腹を立てないようにと注意しているわけではない。腹が立たなくなったのだ。
そんなぼくがいまでもどうしても腹を立てることがある。「ことがある」というよりも、「腹を立てる領域がある」といった方がいいかもしれない。
今日、職員室で、ある若手教師との間で、こんなやりとりがあった。
若手:堀先生、お忙しいところ、すいません。ちょっとお願いがあるのですが……。
堀:な~に?
若手:実は先日の野外学習の下見で撮ってきたビデオで、「かまどづくり」のビデオをつくろうと思うんですが、ビデオ編集の仕方を教えてくれないでしょうか。
堀:いいけど。8000円かかるよ。ビデオ編集ソフトを買わなくちゃならないから。
若手:ええっ!8000円ですかぁ……。
堀:その程度の投資ができないんならやめた方がいい。どうせモノにならないから。
この若手教師はそそくさと自分の席に戻って行った。
かわいそうだと思いながらも、今後の自分とこの若手教師との関係を考えたとき、ぼくはこういう対応をせざるを得なかった。この若者に彼の意図通りにぼくのソフトをインストールさせ、使い方を丁寧に教えたとしたら、彼から今後ずーっと頼られることになる。彼の中に「堀さんに頼めば教えてもらえる」という甘えが形成されてしまう。それが今後、ぼくの時間をどれだけ奪うことになるか。咄嗟にそういう論理が頭の中で展開した。
「申し訳ないが、8000円をかけられない者に費やす時間はない」と。
おそらく彼に編集の仕方を教えるのに、少なく見積もって5時間はかかるだろう。まず基礎的な使い方を教えるのに2~3時間程度。一度彼がつくってみたものをぼくが見て、手直しすべきところを指摘するのに1時間程度。そこからは彼に付きっきりで2時間程度はかかるはずだ。たぶん足かけ3日の作業になる。共通の空き時間なんてそうそうないから、すべてが放課後、しかも生徒会や学年協、部活の生徒が帰ったあと、19時頃からの作業になるだろう。
この若者は、自分の言っていることが、ぼくの私的な時間を5時間以上奪うだろうことを意識しているだろうか。
答えは明らか。していない。
彼がもし、「そうですか。それじゃあ、今日買ってきます。ぜひビデオ編集を覚えたいんで……。」と言えば、ぼくは喜んで自分の時間を5時間でも10時間でも割いただろう。しかし彼はそう言わなかった。それでぼくの気持ちも一気にしぼんだ。
上のやりとりはそういうことだ。
最近、ぼくに「意気」に感じさせてくれる若者が姿を消してきたような気がする。妙に金を惜しむ。それでいて他人の時間を奪うことには無頓着である。そのくせ「お忙しいところ、すいません」といった心のこもっていない社交辞令は使う。
たった8000円出せば、そしてこの人の技術の基本を学ぶことができれば、今後、少なくとも10年は自分の仕事に潤いを加えることができる……そういう頭の使い方をしない。
もっと意地悪くいえば、ぼくが現在の編集技術を身につけるのに、どれだけの金と時間と労力を費やしたかなんていうことは思いも寄らない。だから、簡単に頼める。
もう一つ思うところがある。
上篠路時代、ぼくが可愛がっている若者が二人いた。彼らの心象も、実は今日の若者とそれほど変わりはしない。仕事のツールには金を惜しむ。それでいて遊ぶことに金をかけるのはいとわない。まあ、そういう感じだ。それでも、ぼくは彼らには教えた。なぜか。それはぼくが彼らを育てる責任をもつ立場にあったからだ。学校長がぼくにそれを期待して、彼らをぼくの下につけたからだ。だから、ぼくは、さきほどとは少々違った意味で、その人事を「意気」に感じていた。
しかし、いま、ぼくは今日の若者を育てる責任をもつ立場にはない。正直に言えば、だから断れるのである。
つくづく、人間とは現金なものだと思う(笑)。
これまで、若者に教えるか否かということのみで語ってきたが、実はこの「意気」の構造は、若者を育てる場合のみならず、仕事全般に対して言えることである。最近、「意気」に感じる仕事が減ってきた。給与格差や免許更新や昇進だけが、経済効率的に仕事の代償として語られる世の中になってきた。それが教師の世界まで浸食してきた。
おそらく今日の若者が8000円をしぶるのにも、無意識的にこの経済効率が働いている。彼にとって、今回自分の仕事として与えられているビデオをつくる仕事も、ぼくに教えてもらおうとした編集の仕方も、彼の中では8000円の値がないのである。
そしてそれを瞬時に感じたからこそ、ぼくはネガティヴな反応をするのである。
おそらくぼくが「意気」に感じるのは、「値踏みできない価値を堀さんに教えてもらうことに見出していますよ」という姿勢が見えたときなのである。それが見られない場合には、ぼくの時間はぼくのものだというエゴイスティックの中に閉じこもるのである。
おそらく古くから、こうした「あなたにお願いしたいのです」という姿勢を示すことが、実は「世渡り」の中核だった。
ぼくらが開催する研究会なんかは、それだけで動いている。ぼくらは「あなたが一番ふさわしい」とか「あくまであなたの提案を聞きたい」とか「この危機を救えるのはあなたしかいない」とか「あなただからこれを頼めるのだ」とか、こういった論理だけで登壇者が決まっていく。だから、二度連続で断られると、もう二度と頼まなくなる。
結局、どんな組織も、おそらくは最先端に洗練された組織でさえ、日本人が仕切る組織はいまだに浪花節で動いているに違いない。最近、いろいろなところで摩擦が起きるのを見ていると、Aさんの浪花節とBさんの浪花節がズレているということに起因しているのを感じる。
ぼくもここ数年、昇進を前提とした浪花節世界観をもっている管理職と、専門職を前提とした浪花節世界観をもっている自分との間に、大きな齟齬を感じている。
ある管理職は、ぼくとの初対面でこう言い放った。
「私に仕えると昇進が早いよ。」
ぼくはこのひと言で、この人のための仕事はするまいと決意したのだった。彼もまた、そんなふうに思う人間がいることを想像できないのである。おもしろいものだ。
ついでに言えば、この校長はその数週間後、「来年は堀さんにふさわしいポストを用意するからね。ふさわしいポストを。」とおっしゃってくださった(笑)。あまりにありがたくて涙が出そうになった(笑)。
ぼくにとっては、校長も若者も同じなのに……。
とにかく、「意気」に感じるような仕事をしたいものである。
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妻が炊事遠足の下見に行くというので、運転手がてらついて行った。
自分も炊事遠足を控えている。場所は滝野。妻の行き先はさとらんど。場所によってどのくらいの違いがあるのか、ちょっとした興味もあった。
さすがゴールデンウイークの最終日。家族連れ、学生の群れ、見るからにヤンキー、見るからにやくざの大家族、などなど、いってぱいいた。駐車場もいっぱい。おそらく今日、さとらんどにいた人間はゆうに万を数えていたはずだ。
いろいろ見ながら歩いているうちに、ときたま、退屈そうに、或いは疲れているように、もっと言えば「本当はこんなところに来たくなかったのに」という心情を体中で表現しながら寝転がっているお父さんが散見されるのに気づいた。
道すがら数を数えてみると11人。まったくかわいそうな話である。
もう一つ目を引いたのは、そういうお父さんの横にいるお母さんと子どもたちが、やたら元気にはしゃいていること。お母さんと子供たちだけで独自の空気をつくっている。その空気にお父さんははいっていない。はいる余地もない。きっと、お父さんはとことんあの怪獣のようなお母さんに精気を吸い取られてしまったに違いない。明日から仕事だというのに……。
穿った見方だろうか(笑)。
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ある教育メルマガが届いた。
ふだんなら開くこともなく削除…なのだが、気が向いて開いてみた。山口の附属小学校の先生が「わらぐつの中の神様」の実践を報告している。
基本的に課題解決学習の実践である。初発の感想から子どもたちの疑問を抽出し、話し合いで「課題」をつくった、そう書いてあった。しかもそれを考えていく中で、題材の主題に迫るような課題が子どもたちの話し合いからできてきて、それを解決していく授業がなされた。簡単に言えば、こういう展開である。
「こういう実践報告を久し振りに読んだなあ。」
率直なところ、そう思った。
これは「課題解決学習」が、或いは「学習課題論」が隆盛の頃、実に多くの報告が世に出まわった、それらと同じタイプの実践報告である。1970年代から90年代半ば頃まで続いただろうか。そこから一歩も進んでいない報告だった。
はじめに言っておくが、ぼくはこの先生を批判したいのではない。
課題解決学習(この先生は「読みのめあて」という語を用いていた。このことばも懐かしい。)は授業を「システム」にすることができる。その意味で、授業をする側の教師としては、ある種の安心感を抱くことができる。ぼくもかつて、ずいぶんとやった。
しかし、課題解決学習の一番の根幹である「子どもたちの話し合いの中から新たな課題が止揚される」というところがどうしてもうまくいかない。教師の強引な手腕によって形にすることはできる。だが、それで納得できないと思うとき、課題解決学習は破綻する。
この先生も「教師が強引にまとめないように」ということを気をつけなければならない旨を書いていた。実践の結果、おそらくはこの先生もそこのところに違和感をもったのであろう。40年前の議論とも、30年前の議論とも、そして20年前の議論とも、まったく同じである。
結局、「授業をシステム化することの安心感」と、「子ども主体による課題の止揚という理想」とが、なかなか結節点を紡いでくれないのである。おそらく、後者を重視すれば、もっと大胆にワークショップ型の展開を導入せねばならないし、前者を重視するなら、もっと「行動主義的な授業形態」、言うなれば、「課題設定訓練のようなプログラム学習」的なもの事前準備としてかなりの量が必要となる。結局、課題解決学習は「二兎を追う者、一兎を得ず」の代表的な指導形態となっている感がある。
おそらく、このたびの実践を報告している先生は、その書きぶりから見ると若い先生なのだろうと思う。20代か30代前半か。
この実践を追い続ければ、これから反吐の出るような課題が山積している。教師が予定調和的に用意した課題ではなく、真に「子どもがつくった課題」と胸を張って言えるような授業にするには、子どもたちにどのような「レディネス」が必要なのか、教師が裏で用意してある理想的な課題にどの程度まで収斂して良いのか、初発の感想はどのようにとるべきか、理想の課題に近づけていくために教師はどの程度かかわって良いのか、そのための指導言はどのように展開されるべきか、子どもたちの話し合いが右往左往・試行錯誤したときに予定外の時間延長をどこまで認めて良いのか、子どもたちの話し合いが予想外の展開を示したときに教師はそれで良しと腹をくくるべきなのか否か、……こんなことを考えながら、思考は課題づくりのハタ゜ーンは何種類くらい想定されるのかとか、話し合いの仕方に「型」(=システム)があった方が便利ではないかとか、一次感想と二次感想の間に中間感想をとって子どもたち一人一人の変容を見るシステムを開発しなければとか、゛とんどんと蟻地獄に陥っていく。
そしてみな、若い頃の課題解決学習への思いを捨て、自分なりの授業システムへと移行していく。若い先生はそんな先人の経緯を知ることなく、また課題解決学習を追い始める。先人の試行錯誤は試行錯誤止まりであったために、記録としては残されていない。だから、また、1から始めようとする。
今回の先生の実践報告が40年前の報告や30年前の報告と代わり映えしないのは、決してこの先生のせいではなく、教育界にこのような「不毛な構造」があるからである。
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昨日の連載原稿に引き続き、今日は9日(土)の累積国研の講座準備・模擬授業準備が終了。これまた笑いが止まらない。
自分なりに「習得・活用・探究」についての考え方を整理することができ、よい機会となった。授業像も明らかにすることができたし、系統性も明らかにすることができた。今回の指導要領は肩に力を入れなくていい。現場には有り難い改訂である。
スライドは表紙・裏表紙を含めて15枚。実質的には13枚。45分の講座にはこのくらいがいい。一つ一つゆっくり説明しても、時間が足りなくなることはないだろう。
いずれにしても、仕事がどんどん終わっていく。
運気上昇かぁ?(笑)
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「月刊ホームルーム」誌(学事出版)に「今月のクラス経営」という連載をはじめて2年目になる。森くん、對馬くん、山下くんと4人でやっている。毎月末、ぼくがその月のおおまかな担任業務を3学年分書き、次の月の10日までに他の3人が学年別に指導案を書くという流れで作業を進めている。
ところがところが、ぼくが月末までに書かないことが多く、他の3人にも編集者の戸田さんにもずいぶんと迷惑をかけることが多い。たまにはぼくが書き上げるのが17日なんてこともあって、こうなると、他の3人は1日か2日で書き上げなければならない。雑誌の印刷に間に合わせるには20日くらいが限度だから、まったくギリギリである。書けないというのではなく、締め切りを忘れてしまっていることが多い。
昨年はこんな感じで、1年間の連載を終えた。
今日、またまた7月号分の締め切りが過ぎていることに気がついた。4月30日までに書かなければならなかったのである。大慌てで書き上げた。実際に書いてみると、実は30分もかからない作業なのである。
7月号を書き上げて、ふと思った。
そうだ。今日は暇だから、3月号まで全部書いてしまおう。
8月、9月、10月…。太田裕美でも聴こうっと。
11月、12月…。犬の散歩でも行こうっと。
1月、2月…。飯喰おう。
3月…。なんだ、できちゃったじゃないか。
というわけで、3月号分まで、8ヶ月分、今日で書き上げてしまった。
正直に言おう。
笑いが止まらない……。
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何度も書いているが、太田裕美ほど、ぼくに「完璧な個性」を感じさせた女性はいない。
ぼくはファンクラブに入るほど本当は岩崎裕美が大好きなのだが、太田裕美には岩崎裕美にない「個性的」な側面が多々ある。うまいと言えるのかどうかわからないあの歌もそうだし、ピアノの弾き語りがあれほど似合う女性もいなかったし、そして何より、太田裕美には岩崎裕美にはない、どこか知性を感じさせる趣があった。
かつて「LONG VACATION」を初めて聴いたとき、あの「散歩しない?」を聴いて、みんなすぐに太田裕美だとわかった。彼女にはそういう「完璧な個性」がある。
そんなこんなで、YOU TUBEのリストを作っておこうと思い立った。
2.たんぽぽ1975
3.夕焼け
9.九月の雨1977/九月の雨1977/九月の雨1998/九月の雨(ボサノヴァ)
10.恋人たちの100の偽り1977
11.失恋魔術師1978
12.ドール1978
13.振り向けばイエスタディ1978/振り向けばイエスタディ1979
15.シングルガール1979
16.ガラスの世代
17.南風-SOUTH WIND-1980/南風-SOUTH WIND-2008
18.黄昏海岸1980
最後に壮大な「さらばシベリア鉄道」をどうぞ。
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清志郎追悼から抜け出したくて、目をつぶってCDラックから一枚引き抜いたら、堀ちえみのベスト盤だった。こんなものがあったのかと驚いたが、聴いてみると意外や意外、ほとんどの曲を口ずさめるではないか。
なんとなく、感動。
同世代の皆さん、まず歌詞を読んでどんな曲だったか想い出してみましょう。意外と口ずさめるかもしれません。そして、想い出せない曲は、曲のタイトルをクリックしてみましょう。ちゃんとYOU TUBEにとびます(笑)。
1.潮風の少女/きっと連れていって 今度の日曜日 少し早い茅ヶ崎 眩しい海辺へ~
2.真夏の少女/冷たい レモンのジュースを ひと息 飲みほした気分 あなたに 逢いに行く時は 身体の中まで フレッシュ~
3.待ちぼうけ/私 少し あわて過ぎてたみたいね 時計の針 2時間すすんでたこと 今 気づいたの ごめんなさいね あなた きっと 待ちぼうけ
4.とまどいの週末/あのね 好きよ だけど そのね だって こわい ああ とまどいの週末
5.さよならの物語/僕の天使さ君はネ!って… 恋の天使さほんとさ!って… 抱きしめられたあの愛は そうよ二度と帰らない物語
6.夏色のダイアリー/恋のスコール 心に浴びて あなたと 私は 今 はじまる ダイアリー
7.青い夏のエピローグ/「好きかい?」って「好きです!」って 見つめ合った夏がエピローグ 待って!「馬鹿だな」って あなたどうぞ も一度 微笑んで…
8.夕暮れ気分/----ってハミングが あなたの口からこぼれたら 涙になりそうだから 空缶けとばした 強がりは最低ね あー心は夕暮れ
9.白いハンカチーフ/ヒラ…ヒラ…心を染める 白いハンカチーフ
10.稲妻パラダイス/青空に稲妻 run run run run run away しがみついた きつく hold on hold on hold on me 恐がりだねと あなた笑うの 渚ぬらしてく スコール!
11.東京Sugar Town/東京Sugar Town 朝のバルコニーから 街を見下ろすのいつ? 東京Sugar Town あなたの胸で 目覚めるのはいつ…
12.クレイジーラブ/キラリ・夕日に光って背中を押した Crazy love!
13.リ・ボ・ン/回転扉の向こう あなたが涙 ぬぐっていました 男の人も泣くのね 何だか 私 意地悪よ…
面倒になった。以下略。
こうして通して見てみると、アイドルがどんなふうに垢抜けていくのかの見本のようです。岡田有希子ももう少し生きたら、こんな垢抜け方をしていったのでしょうか。
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北白石中学校に転勤して最も違和感をもったのは、毎日の下校音楽にサティの「ジムノペディ第1番」が流れることである。
エリック・サティの「ジムノペディ」は、1888年、古代スパルタの神々をたたえる祭典「ジムノペディア」にちなんでつくられた曲である。サティがこの激しい祭典を描いた古代の壺を見て着想したと言われている。
三部構成からなり、それぞれ、
第1番 ゆっくりと悩める如く
第2番 ゆっくりと悲しげに
第3番 ゆっくりと荘重に
と記されており、いずれも暗く繊細な雰囲気を醸した、初期サティの傑作と言われている。
特に「第1番」は様々なドラマ、バラエティ、CMでもBGMとして使われ、おそらく老若男女、聞いたことのない人はほとんどいない。
しかし、しかしである。
この曲にどこかエロティックな印象をもっているぼくには、どうもこの曲が学校で流れることに違和感を覚えるのだ。それはおそらく、ぼくがこの曲を初めて聴いたのがスネークマン・ショウのアルバムだったからだ。たしか「死ぬのは怖い、嫌だ、戦争反対」だったと思う。
この曲に伊武雅刀の声が重なり、エロティックでユーモラスな雰囲気を醸し出す。ぼくが中学3年のときだった思う。
ぼくにとって、「ジムノペディ」は裏文化なのだ。それがおそらく、違和感の所以である。
まあ、「グノシエンヌ」だったら、もっと違和感をもっただろうけれど。
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胸いっぱいに時代の風を吸い込む頃がある。
十代半ばから二十代前半といったところか。
夢みる頃を過ぎても、当時の風はべったりと全身を包み込み、決して逃れることができない。逃れようともがく季節を通って、人は、自らがその風を基礎に柱を組まねばならないことに気づきはじめる。
そんな、かつて同じ風を浴び、同じ風を吸い込んだ人たちを、ぼくらは「同世代」と呼ぶ。
忌野清志郎
ぼくらの世代にとって、彼は確かに「時代の風」だった。
それもちょっとやそっとの風ではない。台風なみの激風だった。刺激的なものを求め、おもしろく生きることを優先し、それでいて逆境には猛烈に弱い、そんな80年代的メンタリティに対して、清志郎は「そのままでいいんだよ」というメッセージを送り続けてくれた。
たぶん、清志郎を初めて見たのは「夜のヒットスタジオ」だったと思う。井上順と吉村真理の月曜10時の歌番組である。たしか「トランジスタ・ラジオ」だった。
なんだ、これは!
ぼくと同じように、そのとき初めて清志郎を見た人たちは、みなそう思ったはずだ。こいつはふざけてるのか。こんなボーカルがあり得るのか。コミックバンドか。それにしてはギターがやけにうまい。ブルースしてる。そんな印象だった。
でも、それもそのはず。彼らは怒濤の70年代をちゃんとくぐり抜けてきたバンドだった。「ぼくの好きな先生」や「雨あがりの夜空に」や「キモちE」や「ブン・ブン・ブン」や、そして何より「スローバラード」を聴くと、中学生のぼくらにもなんとも言えない同時代性を感じさせてくれたものだ。
ぼくらが高校生になると、もう「ぼくの好きな先生」や「雨あがりの夜空に」や「スローバラード」を知らない人間はいないほどに、彼らは時代の寵児になっていた。「サマー・ツアー」や「つ・き・あ・い・た・い」や「ベイビー!逃げるんだ。」が象徴的な楽曲となり、「BLUE」が、「BEAT POPS」が、「OK」が、象徴的なアルバムとなった。坂本龍一との「い・け・な・い ルージュマジック」なんてのもあった。そういえば、名盤「COVERS」でレコード会社やスポンサーを大騒ぎさせたこともあったっけ。いずれにしても、「Baby a Go Go」まで、彼らは80年代をぼくらといっしょに駆け抜けた。
実は、ぼくにとって、忌野清志郎は類い希な才能をもつ「詩人」である。
それは清志郎がソロ活動を始めて、「RAZOR SHARP」を発表した頃から、ずーっと感じていたことだ。
「俺は河を渡った Oh 渡った 暗い夜の河を 渡った 河を渡った ドロ水を飲んで おぼれそうになって 助けられたりして そう 俺は河を渡った」(WATTATA)
「曲がり角のところで ふり向いただろ こっちを見てたんだよね ベイビー ベイビー あの曲がり角のところで バックミラーにとんでいった あの曲がり角のところで」(AROUND THE CORNER/曲がり角のところで)
「子供の顔したアイツより 信頼できるぜ大人の方が 子供はすぐに気が変わる 約束なんかは 破られた方だけが 覚えてるのさ」(CHILDREN'S FACE)
「興味があったから あの娘にもあったから 二人で追求してみたのさ それだけのことだった それだけのことなのに あの娘に『帰ってきて』と言われたよ」(あそび)
「ガムをかみながら 隙間から海を見てた 霧が晴れた……かと思った ヒリヒリ痛い胸に」(IDEA/アイディア)
おそらくこの時期、清志郎自身に渡らなければならない「河」、ふと立ち止まる「曲がり角」、信頼できない「子供の顔」といったものがあったのだろうことは容易に予想されるが、鬱屈した社会的人間関係、性的な解放を謳いながらもどこか古風なところを手放せない男女関係、そして「免停」「キレル奴」「ブーブーブー」といった言葉にできないストレスのはけ口に至るまで、彼こそが疑いなく、ぼくらの世代の、あの時代の若者の代弁者に思えた。
相次いで発表されたチャボの「NAKAIDO REICHI BOOK」をも聴きながら、チャボが普通の言葉を独特の語りに載せて世界観を紡ぎ出すのに比べて、当時の清志郎は既に耳慣れたワンパターンのボーカルに幾重にも意味を象徴させた詩的言語を連鎖させることで、清志郎らしい世界観を紡いでいた。
チャボは朗読家、清志郎は詩人……。
二つのまれな個性がスパイラルに機能して、ぼくらをそのスパイラルに巻き込んでいく。それがぼくにとってのRCだった。
忌野清志郎に合掌。
きっと、高校時代にこれ以上ないというくらいへたくそに清志郎をカバーしていたNも、学生時代にぼくがバイトしていたカラオケスナックに必ず週末に来て「スローバラード」を歌っていたTさんも、「清志郎が私の恋人」と豪語してやまなかった保護者のKさんも、あの時代の風に思いを馳せながら泣いているに違いない。
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タラの芽採り。
いつもなら大量に採れるポイントに既に人が入っていたようで、例年のような収穫には至らなかった。今年はだれにもお裾分けができない。残念。
それでも、1ヶ月ぶりの上篠路時代の同僚たちは元気そうで何より。ぼくが出たあとの学年の様子も聞けて楽しかった。
ぼくが出るときに、今後もこの学年を支えてくださいとお願いした保護者の方がPTAの学年代表になってくださったようで、また副代表の方も昨年から引き続きの方にお引き受けいただいたようで、少なくとも今年度いっぱいは不安なく行きそうである。
生徒たちにはいろいろあるらしいが、中学生はいろいろあるのがあたりまえ。PTAが不安なく固まり、学年教師団の仲がよければ不安などない。とにかくひと安心である。
タラの芽採りのあとは、養鶏場がやっている食堂「よくばりコッコ」で昼食をとった。相変わらずの半熟たまご丼には舌つづみを打った。
最後に赤井川ソフトも食べ、楽しいひとときだった。
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校内研修会の資料が配付された。
学級経営案が全学級分、教科経営案が全教科分、そして今年度の研修提案が最後に。研修テーマは「基礎基本」をメインとした授業づくり。各教科が秋に授業交流をして、3学期にはその成果を発表するらしい。よくあるパターンである。
一般的に、学校の研修スタイルはこのパターンが多い。
かつて、市内有数の研究校にいたことがあるが、そこもこのパターンだった。もちろんそういう学校は理論の部分が厚かったが、実際には指導案はつくるだけで、授業交流とは名ばかり。「忙しい」を理由に、若手が指導案をつくらされて、研修会資料とするだけである。いわゆる「研修会のための資料づくり」「研究のための研究」「実践としてではなく仕事としての研修」。だれも研修会に何も期待しなくなる。
上篠路中の校内研修会は動きのあるものだった。
6月にそれを得意とする教師、つまり自前の講師によって、学校祭ステージと合唱コンクールの指導の仕方を交流する。10月に同一指導案の道徳の研究授業を隣り合わせた学級で行う。全員で並行して進む授業を見ながら、同一指導案でも教師のキャラクターの違い、指導言の違いによってどれだけ変わるかを実感する。2月には理科実験の研究授業をみんなで参観しながら、基礎基本の捉え方、安全確保のための作業指示の仕方について議論する。どの協議も全員発言を義務づけ、活発な意見交換がなされていた。
もちろん、小さい学校だからできるという部分はあった。
しかし、どんな事情があろうと、校内研修会に参加するのが苦痛でない程度には工夫がなされるべきである。
校内研修会はやらなければならないからやる。しかし、多くの学校がおこなっている「苦痛でしかない」校内研修をしているのでは、完全下校をやめて生徒に放課後活動を保障し、会自体をつぶして先生方に仕事をしてもらった方がずっといい。それらを年に4回も5回も犠牲にして校内研修会をやるからには、もう少し「現実に役立つこと」を、そして「参加していておもしろいということ」を保障してあげたほうがいい。
少なくとも、1割・2割が年休をとってしまう研修会にはならない程度には工夫すべきである。
結局、私も、資料を見ただけで年休をとってしまった。
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