空気と対話する
赤坂真二が「場の空気と対話しながら盛り上げていく」というフレーズを書いていた(元気と勇気は誰でも出せる-shinjiの日記/2009.03.10)。これはぼくが、「場の支配力」と言っているものだ。しかも、その機能を具体的に、うまく表現しているなあと感心した次第である。
赤坂は「盛り上げていく」と楽しい雰囲気だけを想定して言っているようにも見えるが、その機能は決して「楽しさ」のみに限定すべきものではない。おそらく彼の意図もそうだろう。
例えば、全校集会で、学年集会で、学級指導で、子どもたちに「話を聞こう」という空気をつくれる教師とつくれない教師がいる。この「話を聞こう」空気をつくれる教師は、心の離れている子どもにわざと全体の前で話しかけて巻き込んだり、全体が注目せざるを得ないようなパフォーマンスをしたり、興味を引きつけるようなキーワードを話の導入で3回ほど繰り返して少しずつこちらを振り向かせたりと、いずれにしても、
〈その場の空気〉と〈対話〉しながら、
〈その場の空気〉を〈更新〉する術に長けている。
といえる。「話を聞こう」空気をつくれない教師は、これができないのだ。自分の話したいこと、話す内容として予定していることを、絶対軸として話を進めようとする。その軸を絶対に曲げない。一直線でその軸に持って行こうとする。それが駄目なのである。
話の軸というものは、山の頂上と同じで、登り口は四方八方にある。多少道に迷ったとしても、高い方へと進みさえすれば、山頂には辿り着けるのである。しかも、子どもたちに話をすることには、登山と違って、遭難することもなれければ命の危険もない。多少、原野に迷い込んだところで、多少、木陰で休憩したところで、時間的な違いは2分か3分。もちろん、予定時間に合わせた方がいいが、だれも聞いていないのに時間通りに終わっても意味はない。まずは空気と対話しながら、「話を聞こう」空気に更新した方がいいに決まっているのだ。
そもそも3回それをやれば、4回目からはそんなことをしなくても、子どもたちが「この人の話は聞くに値する、ちゃんと聞こう」という態度になっていくものである。時間を守ることが守られるべきは、そういう段階になってからでいいのではないか。物事には優先順位があるのだ。
「場の支配力」をもつには「空気と対話すること」が必要である。
ここまではできた。次は、「空気と対話すること」の中身にはいくつの、どんな下位項目があるのか、それを考えることだ。それを編み出せば、若手教師に分かち伝えられるようになる。そんなに遠くない日に、編み出せそうな気がする。ぼくと赤坂と、二人三脚でつくりたいものである。
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コメント
堀さんのメッセージ、しかと受け止めましたよ。まずは、雰囲気づくりの下位項目づくりを目指しますぞ。コンテンツがそろったら、雰囲気づくりNWのロゴとTシャツをつくり、有志に配る。やること盛りだくさんですね。楽しくなってきた!違うかっ。でも、多くの教室が本当に雰囲気づくりで躓いている。大事なことだと思っています。
投稿: akasaka | 2009年3月23日 (月) 12時47分
「雰囲気づくりで躓いている学級」が全国にいくつあるだろうか。「雰囲気づくりで躓いている学級」が北海道にいくつあるだろうか。「雰囲気づくりで躓いている学級」が札幌市にいくつあるだろうか。「雰囲気づくりで躓いている学級」が勤務校にいくつあるだろうか。おそらく数限りない学級がそこで躓いています。しかし、そこで躓いていることを自覚していない担任がほとんどです。また、どこで「躓き」とするかという、線引きもまた大変に難しい。我々も自問しなければなりません。果たして自分はどうか、と。「空気と対話する」という言葉は、これを打開していくための大きなヒントになります。
投稿: 堀裕嗣 | 2009年3月23日 (月) 23時38分