自律的自立
勤務校では、通知表の締め切りが17日(火)、指導要録が24日(火)。
今日は5日(木)。
学年の若手教師が、指導要録より通知表を優先しようとしていたので、指導要録を先にやれと助言した。
「なぜですか?」と訊かれる。もちろん、だれもがそう訊くだろう。
ぼくは応えた。通知表を先にやれば、指導要録の締め切りは更にその先なのだから、通知表づくりには焦りがない。だから、知らず知らずのうちに甘えが出て、或いは精神的余裕が出て、コン詰めてやろうとしなくなる。しかし、指導要録を先にやるとなれば、状況は異なる。指導要録を通知表づくりの時間を確保できる日程で終わらせようという気になる。そうすると、指導要録も通知表もコン詰めてやろうという気になる。両方とも、どうせやれば終わる仕事なのだ。どれだけ集中して短い時間で上げられるか、それだけのことである。だとすれば、わざとコン詰めてやるであろう日程で仕事を進めて、通知表の締め切り日にはすべての仕事が仕上がっているという状態にした方がいいに決まっている。
人間とは「甘え」をもつ動物である。日程的な優先順位に従って仕事を進めていると、ついつい日程通りの仕事に近づいていく。意図的・意識的に優先順位の低いものから先にやると、その「甘え」がなくなる。こうやって時間を生み出すのである。
通知表と指導要録。日程は通知表の方が優先順位が高いことを示している。しかし、やれば終わる事務仕事と時間を生み出すこと。仕事の仕方として、或いは生き方として、時間を生み出すことの方を優先順位を高く位置づける。意図的・意識的に位置づける。すると、どんどん時間が生まれてくる。17日(火)の自分は、きっと今日の自分に感謝するはずだ。
17日(火)にすべての年度末事務が終わっているとすれば、その後の一週間には、何か創造的な仕事ができる。或いは生徒とレクを企画することもできるかもしれない。いや、そんなことを考えずとも、部活をちゃんと指導するでもいいし、この際だからゆっくり休むでもいい。いずれにしても、そこには「仕事の潤い」が生まれる。本来できなかったはずのことができる。そんな時間のなんと尊いことか。
忙しいときにこそ、こうやって意図的に時間を生み出す。そして何か創造的に時間を使う。
ぼくはこういう意図的・意識的・計画的な仕事の仕方を「自律的自立」と呼んでいる。
ちなみにぼくは、明日、急な生徒指導でも入らない限りは、おそらく明日にはすべての事務仕事が終わってしまうだろう。来週から2週間、ぼくには徹底的に「余裕」が生まれるのだ。
この話をぼくはこれまで50人くらいにしたことがあるが、だれ一人追試してくれない(笑)。
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