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場数を踏ませること/成功体験を味わわせること

今日、4時間目に学年集会があった。生活の話、学習の話、宿泊学習に向けて、一年間のまとめのお話と、いわゆる「先生のお話」の四連発である。

ぼくの学年は、学年主任で1組担任のぼくが42歳、副主任で4組担任の女性教諭が39歳、2組担任の男性教諭が26歳、3組担任の男性教諭が27歳という構成である。今日の集会は生活の話が27歳の男性教諭、学習の話が39歳の副主任、宿泊学習に向けてが26歳の男性教諭、一年間のまとめがぼく、という順で話をした。

42歳や39歳はまあいいとして、今回、ここで考えてみたいのは26歳と27歳である。

ぼくが新卒で赴任した学校は、3学年あわせて29学級という大規模校だった。各学年が9~10クラスである。10クラスあるということは、もちろん学年に学級担任が10人いるということだ。しかも、その他に学年所属の副担任が5~6人いることになる。常に15,6人の教師で学年団を組むわけである。

学年教師もこのくらいの人数がいると、学年集会の話なんてものも、当時のぼくのような二十代にはまったくまわって来ない。ぼくがいまでも覚えているのは、当時32歳だった数学教師が学年集会で学習について話をしたあと、その経験が初めてであったらしく、職員室で、50歳の学年主任や学年所属の55歳の教務主任に、話の仕方で直すべきところ、良かったところなどについて助言されていた光景である。その数学教師はぼくの目から見てもガチガチに緊張していて、不遜なぼくは「なんでこんなに緊張するのかなあ…」などと陰で嗤っていたものである。これが確か、新卒一年目の夏休み前、7月だったはずなので、たぶん平成3年の夏のことである。

この学校にぼくは平成10年の3月まで勤めた。7年間在籍したわけである。いまから考えると信じられないことだが、ぼくはこの7年間、ただの一度も学年集会に登壇したことがなかった。

なんとなく、学年集会の話は学年主任と副主任がするものという慣習があり、この二人は各集会での登壇からはずれることはない。そうすると、先生の話で構成される学年集会なんてものは年に3回くらいしかないから、しかも主任・副主任以外の話の枠なんてものは各集会で残り一枠くらいしかないから、主任・副主任以外で登壇するのは年間で3人程度だったのである。となると、当時二十代のぼくなどは鼻にもかけられない。こんなわけで、当時のぼくは7年間、ただの一度も学年集会に登壇しなかったわけである。

二校目の赴任先は21学級。各学年7クラスだった。学年の先生は担副あわせて11人。

ここがまた、管理的というか官僚的な学校で、学年集会で話をするのは学年主任と副主任、そして学年の生活担当とがちがちに決まっている。当時三十代前半で、研究や教務ばかりやっていたぼくは、これまた登壇機会がない。結局、ぼくが初めて学年集会に登壇したのは、現行指導要領が移行期間に入った2000年4月、「総合的な学習の時間」係として総合のガイダンスの時間でしゃべったときだった。しかも、1時間いっぱい、学年240人に授業をするという形である。ぼくは34歳になっていた。いまからたった8年前のことである。

当時のぼくは、既に様々な研究会で模擬授業や講座、講演を年に何十本もこなしていて、まったく面識のない人を巻き込みながら話を進めていくことにも慣れていた頃である。240人の生徒相手に授業をすることくらいには「緊張のキの字」もない、そんな状態になっていた。しかも、適当に生徒に意見を言わせながら、更には適当に生徒をいじりながら、うまく話を意図する方向にもっていくこともできるようになっていた。その手法は学年教師たちからも認められたようで、以後、その学校でも、学年集会のたびにぼくは登壇機会を与えられるようになった。この学校にも7年間在籍した。

4年前、ぼくは現在の勤務校に転勤になった。平成17年の4月である。ぼくは小さな学校の学年主任になった。一年目こそ担任3人が40歳前後の者ばかりだったが、二年目には2組の担任が25歳の若者になった。実はこの若者が、現在、ぼくの学年で3組の担任をしている男性教諭である。

このとき、ぼくが第一に考えたことは、この若者から「教員になったことに伴う恐怖感」を払拭してやろう、ということだった。彼の学級の生徒指導には必ずぼくもいっしょに入り、学年集会にも何度も何度も登壇させた。保護者集会にも登壇させた。こまかな学級指導も事前に念入りに打ち合わせをして、絶対に失敗しないようにさせた。

とにかく、

場数を踏ませること

成功体験を味わわせること

この二つが、ぼくにとってこの若者を育てるためのキーワードだった。

いま、昨年の担任3人に、更に26歳の若者が一人加わって、4人で学年の担任陣を構成している。

ぼくは今年度、自分が学年集会に登壇する機会を極力減らしている。副主任の登壇機会も極力減らしている。常に27歳に生活の話をさせ、26歳に学習の話をさせる、という構成である。ぼくと副主任は要所要所に出ていくだけだ。それで充分にまわる。しかも、若者たちはそれを当然と思っている。更には、生徒の前で話すことに自信をもち始めている。ぼくの仕事は、彼らが天狗になりかけていたり、ちょっと話の構成が雑になっているなと感じたりしたとき、予定外に5分くらい話をしたり、30分生徒をしーんとさせ、惹きつけたまま話し続けたりして、格の違いを見せつけてやることだけだ。

実は、保護者集会も同様である。ぼくの出番は集会冒頭の挨拶だけである。副主任の出番も予算案の提示と決算報告だけである。保護者相手だというのに、常に生活の話は27歳、学習の話は26歳なのである。保護者によっては、自分たちよりも10も若い彼らばかりが保護者集会に登壇するのを、もしかしたら「なめているのか」と思う方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、ぼくの意図はそうではない。この学年の教師団が、この学年の生徒たちにプラスの教育を施していくためには、この二人を急成長させることが最も効果的なのである。実はこれは間違いなく、長期的に見れば保護者の願いとも同一ベクトルにあるのである。

彼らが若いからといって、保護者を怖れているようでは話にならない。さっさと場数を踏ませて、「緊張のキの字」もない状態で保護者の前に立てるようにならなければならない。

理由がもう一つある。それは学年教師の成長が自分たちの目にも明らかなくらいに見られるとき、実は生徒たちにもとても大きな影響を与えることができるのだ。成長する教師のもとでこそ、生徒たちの成長も大きい。理屈ではない。そういうものなのだ。

その上でも、

場数を踏ませること

成功体験を味わわせること

この二つが大切なのである。

彼ら二人は、これからも学年集会にも、保護者集会にも立ち続けるだろう。そして二年後、「生徒にも保護者にもちゃんとかかわった」、そういう3年間に思いを馳せながら、ちゃんと自分の学級であり、自分の学年であり、自分の生徒たちであり、自分の保護者たちであるという、ちゃんとした実感、腹のそこからの実感を抱いて、卒業式に臨むはずである。

こういうことを考えるのが、学年主任の仕事である。

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