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2009年3月

ほんとうにさらば、上篠路

3月が終わる。今日まで札幌市立上篠路中学校教諭だった自分が、札幌市立上篠路中学校教諭ではなくなる。

思えば、充実した4年間だった。初めての学年主任として3年間の持ち上がり。その後、再び1年生の学年主任として一年間を過ごした。

この4年間で得たものは多い。

第一に、それまで自分の学級のことだけを考えていればよかったものが、自分の学級づくりさえ、常に他の学級とのバランスを考えて行わなければならない。その手法をいくつか開発することができた。

第二に、学年間のバランスに思いを馳せたこと。学年内で学級間のバランスが必要だとすれば、それは学年間にも敷衍して考えなければならないはずだ。ただ、これについては、4年間では理論化することができなかった。

第三に、「FMCチームワーク指導」というそれまで頭の中で考えていたことが、現実の学年体制として具現化できたこと。そしてそれが機能したこと。この経験がぼくに「教師力ピラミッド」をつくらせた。しかも、組織には力のない人がいることも、総体的に大きな力になる、ということをぼくに体感させてくれた。これは今後、ぼくにとって大きな財産になる。今後、いかついぼくが、優しくなっていくきっかけになると思う。

第四に、若手教師の育て方について、一つの上達論が自分の中に形成されたこと。これは上篠路に赴任してこの4年間のT村とS藤、そして1年きりではあったがK輔・S臺という4人の若者といっしょに過ごす機会に恵まれたことが大きい。彼らのスキルアップを観察することによって得られたもののいかに大きいことか。彼らと組んで最も得をしたのは、実はぼくである。それを彼らは知らない。

第五に、授業技術の力量アップをはかる方法を生み出したこと。学年所属の先生方の授業を見て、その良い点・悪い点について逐一メモをとり、その先生に渡す。一ヶ月後にもう一度参観してみると見違えるように変わっている。またメモをとって渡す。更に一ヶ月後には……というように、ぼくはこの4年間、ずいぶんと同僚の授業の立て直しをはかった。彼らはみるみる授業がうまくなっていった。

第六に、ちゃんと日常の指導とつながった校内研修の在り方を編み出したこと。もちろん完成形ではないが、その方向性、ベクトルについて、ぼくははっきりと手応えを得た。

第七に、「現代的生徒の特徴」についてがっちりと分析したこと。学級の生徒はもちろん、学年の生徒の動きをこれまで以上に把握することのできるシステムを開発し、問題行動と日常の指導の関連、リーダー性と日常の指導の関連について、かなり念入りに分析した4年間だった。

第八に、「事実重視の生徒指導」の理論を実践化することができたこと。しかもそれが大きく機能し、成果を挙げたこと。ぼくは自己認識としては、4年間、ほとんど、生徒に「おまえが悪いんだろう!」という決めつけをしないで済んだ。第三の「チーム力」と相俟って、これを学年団全員で機能させられたことは大きい。

第九に、「生徒との距離感覚」のつくり方を学んだこと。ぼくは上篠路に来るまで、ある程度年が若かったせいもあって、生徒たちとべったりの関係になるタイプの教師だった。それが上篠路に来て学年主任にされたせいで、べったり型を若手に委ね、自分は生徒たちと距離を置いて接するようになった。それも、4年間で年々その距離感覚を広げて行った。最後の一年などは、ほとんど生徒たちと私的な会話を交わさなくなった。そしてそのほうが学級は締まるのだということを学んだ。

第十に、学年PTAである。保護者との付き合いこそ、地でおこなったほうがいいということ。ぼくはこの4年間、結局、保護者問題ではただ一つの苦労もしなかった。完全にこちらの意図どおりに支えていただくことができた。一度も不愉快な思いを抱かずに済んだ。最近では、まれなくらいに保護者に恵まれた。ただし、自分はいま、保護者と同世代である。なんせ、育ってきた時代が同じなので、保護者と感覚が非常に近い。彼女たちは間違いなく、若かりし頃、前髪をフワリと立てて、肩パット入った、イエローとかグリーンとかピンクのスーツを着ていたはずだ。しかも膝上20センチくらいのミニスカートのスーツを。更にはいま見るとおかしいくらいに太い眉毛で。そしてぼくはそういう同世代の女の子を見てきた世代なのである。どう考えても、いまのぼくは、保護者と付き合う教師としては一番の旬である。これが教師の世代を超えていえるのかどうかはあやしいということも意識しなければならないだろう。

いずれにしても、この4年間はI川さん、M野さん、N村さん、Y若さん、I葉さん、K木さん、I元さんらに大きく支えていただいた。特に、上篠路最初の年、学級委員を引き受けていただいたI川さん、O畠さん、K柳さんのおかげで、ぼくは上篠路で軌道にのることができた。学年ではN村さんに二年連続で学年代表になっていただき、I葉さんには三年連続で学年を支えていただいた。また、K木さんやHさんには、4年間常にぼくの学年にお子さんがいたこともあり、ぼくが上篠路にいた間の4年間、学年PTAや学級PTAで中心的に活動していただいた。ここに改めて感謝申し上げます。保護者にもいろんな人生があり、いろんな思いがある。彼女たちと飲んでいると、時間を忘れた。ぼくは彼女たちを生涯忘れないだろう。

この他にもたくさんある。4年間、学年副主任としてぼくを支えてくれたM子先生、ぼくに山菜採りを教えてくれたK藤先生、いつもいっしょに煙草を吸っていた用務員のO山さん……。そして、堀学年の一員として3年間、或いは1年間を過ごした98名+115名の生徒たち。上篠路は、ぼくの人生にとって、いい想い出だけで構成されるただ一つの学校になるに違いない。

ほんとうにお世話になりました。

そして、ほんとうにさらば、上篠路。

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免許の更新

解放玄関キーを持ってきてしまったので、上篠路に返しに行く。5分ほど滞在しただけで、すぐに退去。そのまま手稲の運転免許試験場へ。免許更新のための120分講習を受けにである。

昔、免許更新講習といえば「退屈なもの」の代名詞であったが、ずいぶんと工夫をするようになったものである。ぼくは教師という仕事柄、前に出てしゃべる講師には厳しい面があるのだが、プレゼンのつまずきが多少あった点と、いい年をして「ら抜き言葉」だった点、「あり得ます」を「あり得ります」と言っていた点以外は、それほど退屈せずに参加することができた。

帰りに、昔よく通っていた八軒の総菜屋に久し振りに寄って、弁当をつくってもらう。美味。

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春の2セミナー終了

28日(土)が中学校・国語科授業づくりセミナー。29日(日)が中学校・学級経営セミナー。ともに会場は「ちえりあ」中研修室1である。28日が二十名強、29日が三十名強。中学校教師だけを集めた学習会としては、よく集まったなという感じ。

「研究集団ことのは」としては、初めての二日連続開催。しかも別コンテンツ。それをさらりとやってのけるのだから、「ことのは」メンバーもたいしたものである。思えばぼくらも、18年もの間、走り続けてきた。いつのまにか、このくらいの提案はできるようになっていたらしい。

28日(土)/中学校・国語科授業づくりセミナー

テーマは「『活用力』を高める言語活動の具体化」。新学習指導要領・国語科の理念と構造をおさえながら、札幌市で採択されている教育出版教科書の「読むこと」教材を用いながら、その授業像を提案していこうというもの。

第一講座はぼく。「新学習指導要領国語科の理念をどう実践化するか」と題された基調講座である。時間は60分。前半は戦後の学習指導要領の変遷を追い、今回の指導要領がどういう位置づけにあるのかを提示。後半は新指導要領に大きく影響を与えたOECDの「PISA型読解力」の理念を解説しながら、「情報の加工」「非連続型テキスト」「指摘・解釈・評価」の授業像をごくごく簡単に提案。これまで、60~90分で語ってきた講座4本分のエッセンスだけでつくった講座である。具体例はその後の6人にまかせて、ぼくは理念と構造を中心に語った。参加者には少し難しかったかもしれない。

第二講座は友利くん。聞くと、「ことのは」イベント初登壇らしい。しかし、講座を聞いてみると、そうとは思えぬ堂々とした話しっぷり。彼は顔で得をしている(笑)。緊張していても緊張しているように見えない。これは笑い話のようだが、教職に就いた者にとっては大きな武器になる。こういう容貌をもっているだけで、新卒からスタートラインが違う。さて、内容は主に「少年の日の思い出」を用いて、エーミールの呼称の変化を追っていく提案。「夏の葬列」や「ウミガメと少年」「故郷」にも発展していける、スタンダードでありながらもかなり大きな提案となった。

第三講座は小木さん。菊池寛の「形」の最後の二文の絵コンテを書かせ、それを交流させることによって最後の二文の意味・意義について考えさせようという実践。習得から活用へという理念を見事に具現化した講座だった。よく、「河童と蛙」や「走れメロス」でイメージ画を描かせる実践があるが、文章を検討させるのに絵コンテを使うという実践は、その根本的発想が異なる。イメージ画は読解の結果として描かれるものであり、絵コンテは読解の導入として用いられる手法である。参加者ともこの点が議論となった。

昼休みをはさんで、第四講座は幹也くん。「ウミガメと少年」の語り手をクローズアップしようという講座。ストーリーとプロットの違いが参加者に落ちたか。そこがポイントとなるタイプの講座である。幹也くんは語り口がソフトでなめらかだからなんとか形になったが、講座担当者と参加者との間の知識のギャップを埋めるのに苦労した講座だった。一度、少人数でいいから、文学教材の「語り」に内容を絞った研究会もやってみたいものである。

第五講座は對馬くん。事前検討をしていなかったので、ちょっと心配な講座だったのだが、「動物の睡眠と暮らし」「ものづくりの知恵」を用いて、細かな言語技術をしっかり習得させようというタイプの講座。その中で要所要所に〈習得的活用〉、つまり、新たなことを習得させるために既習事項を活用させるというタイプの「活用」を配していた。特に、字数指定を変えての要約指導などは、もっと評価され、実践されていい手法だ。

第六講座は森くん。キーワード・ネーミング・小見出しなどなど、内容を象徴したり代表したりするラベルをどう取り出したり創造したりするか、それを「ガイアの知性」「知ることの魅力」という二つの文章に即して解説していく、そういう講座構成である。いつもの森節で参加者を惹きつけてはいたが、「これが活用か」という点になると、ぼくの考えとは異なる。これはばりばりの習得授業だとぼくは思う。ただ、いろいろな考え方を提示し合い、絶対軸をつくらないのが「ことのは流」である。その意味では、こうした提案は全然ありである。そこが「ことのは」が評価される一番の理由である。

第七講座は山下くん。池田晶子の「言葉の力」に挑戦。自殺願望をもつ若者の新聞投書、それに対する反論投書6編を教材化して、まずは道具言語の限界性を顕わにする。その後、実際に参加者にも反論・説得を試みてもらい、更に道具言語の限界性を実感してもらう。こうして初めて、「言葉の力」を読む。こういう構成である。割と文章内容もすっきりと整理して提示し、道具言語と言霊言語という対立を顕在化させることができた。ただ、「活用」を考える場合、「道具言語と言霊言語の二項対立」ということをしった瞬間、その認識がすぐに道具言語化してしまうという論理矛盾を内包している。これを発展的ベクトルとして、「心の構え」としてもたせることができれば、「活用」になり、しかも「国語教育」の完成形にさえなっていくはずである。山下くんにはその夢を追って欲しい。

このセミナーのあと、いつものように「とことん」で小宴。堀・森・山下・幹也・友利の5人のメンバーの他、大谷さんや名古屋の石田くん、今回仙台から参加の早坂さんが加わって8人で和気藹々。更に堀・幹也・友利・石田で円山のバーへ。楽しいひととき。

29日(日)/中学校・学級経営セミナー

「学級開きのポイント/生徒指導のイロハのイ」と題された、中学校の学級経営にしぼった定員30人のセミナー。今年度の活動の半分くらいを占めそうな企画の第1回目である。こうしたセミナーを開くのは、実は参加者のためというよりも自分たちのためである。ふだん何気なく、或いは無意識にやっていることを、講座として成立させようとすると考えなければならなくなる。それがコンテンツとして確立していき、次第に整理されていく。そして整理されると、次の課題が見えてくる。「研究集団ことのは」がこうしたセミナーを開くのは、こういう研究スタイルを確立しているからだ。つまり、今年は学級経営の手法を整理していく1年になる、ということだ。

第一講座はぼく。「学級開きのポイント」と題した90分講座である。「3・7・30・90の法則」について60分ほど、今年度の1年1組の学級システムを紹介。①生徒たちに意識化させること、②生徒たちには意識化させずに教師が感化して感覚的に身につけさせること、それぞれの指導事項がどちらに位置づけるのが効果的なのかということを話す。その他、「学級経営の相対評価」「学年団のチームワークの形成」について提案し、ここで時間切れ。一つ一つをかなり丁寧に、ゆっくりと話したので、今回はぼくの言ったことが伝わったのではないかと思う。

第二講座は山下くんと幹也くんの「学級組織づくりの勘所」。山下くんが職員組織から学級組織まで、その構造をプレゼン。学校運営・学年運営・学級運営のすべてが密接につながっていることを提示した。その後、学級組織をつくっていくための細かな手法について幹也くんが自身の実践を紹介。

第三講座は森くんと幹也くんの「担任と生徒の時間を豊かに過ごすアイディア」。幹也くんがビデオやスライドをもってきて、朝学活や帰り学活、生徒とのコミュニケーションの実際を提示。その後、森くんが学級担任として、見通しを持って時間を使うことの意味・意義を整理して提示。

第四講座は生徒指導ワークショップ。司会の幹也くんが問いを出して参加者に考えさせる。更に参加者同士の交流。そして堀・森・山下が意見を言う。こうした構成。この中で、第一講座で話せなかった「現代的生徒の特徴」について15分ほど話す。幹也くんの問いは3問。「生徒指導に自身はありますか。それはなぜですか。」「子どもウォッチング、意識してウォッチしていることを教えてください。」「最近うまくいった指導事例を一つ紹介してください。」

今回の学級経営セミナーもまずまず。昨年度、この企画の練習を3回していて、これまでにも参加していただいていた参加者には内容的に重なる部分があって申し訳なかったが、今後はほとんど重なりがなくなっていくだろう。このセミナーもまずまず軌道にのったようで、何よりである。

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さらば上篠路…

転勤である。勤続4年。転勤としては早い。

なぜ、出るのか。いろいろな人に訊かれたが、言い訳はしない。強いて言えば、着任時に期待されていた役割を終えたから、という感じである。

ぼくが上篠路を出たのは、だれのせいでもない。校長も教頭も「残れ」「残ってくれ」とおっしゃってくださいました。ぼくが上篠路を出るのは、すべてぼくの意志である。ぼく自身の意志である。もちろん、すべての責任はぼくにある。

さらば、上篠路。

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美しい雪

あの瞬間のイチローには、何かが憑いていた。

画面の中央に伸びてくる白球。あの白球の伸びを見たとき、よもやセンターライナーにならないだろうな…と、不安がよぎった。軌道が下に向き始め安心した。

ダルビッシュのタイムリー被安打も、川崎の初球サードファウルフライも、この瞬間のためにあったのだとさえ思えてくる。

大掃除が終わって、生徒立ちを下校させたあと、指導要録点検までの20分間の“間”。ぼくは煙草を吸いながら、車にエンジンをかけ、テレビつきのカーナビで見ていた。ふと気がつくと、2時10分から2時25分の間の15分間に、煙草を3本も吸っていた。半分興奮しながら、半分イラつきながら。

イチローの2点タイムリーを見て、エンジンを切った。ドアを開けると、外には粉雪が舞っていた。

初春の札幌らしい、美しい雪だった。

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教室

毎年のことだが、年度末の最後の週というのは寂しいものである。

これまで教室をはなやかに彩っていた掲示物をすべてはがす。班ポスターも、係ポスターも、当番表も、行事予定も、各種通信も、そして一年間の軌跡たる賞状も……。カレンダーだけが残る。教卓の中から、テレビ台の中から、窓際の棚の中から、物をすべて出して雑巾がけをする。

大掃除が終わると、教室が妙に殺風景になる。

4月には確かに、この殺風景な教室に入ってきたはずなのだが、この30分ほどの大掃除で、一年間の歴史が、いや、一年間の歴史の証が消える。

この一年間、1年1組という学級が確かに存在し、泣き、笑い、目標を達成したり達成できなかったり、行事で優勝したり優勝できなかったりしたという証が、消えてゆく。

そして2週間後にはまた、新たな1年1組、呼び名だけが同じの、別の時間が流れていく。

そういうものなのだ。

だって、いま、この教室には4年前、確かにあったはずの、やはり呼び名だけが同じの、かつてのぼくの1年1組は、そのかけらさえ遺っていないもの。

そんなものなのだよ。教室というものは。

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場数を踏ませること/成功体験を味わわせること

今日、4時間目に学年集会があった。生活の話、学習の話、宿泊学習に向けて、一年間のまとめのお話と、いわゆる「先生のお話」の四連発である。

ぼくの学年は、学年主任で1組担任のぼくが42歳、副主任で4組担任の女性教諭が39歳、2組担任の男性教諭が26歳、3組担任の男性教諭が27歳という構成である。今日の集会は生活の話が27歳の男性教諭、学習の話が39歳の副主任、宿泊学習に向けてが26歳の男性教諭、一年間のまとめがぼく、という順で話をした。

42歳や39歳はまあいいとして、今回、ここで考えてみたいのは26歳と27歳である。

ぼくが新卒で赴任した学校は、3学年あわせて29学級という大規模校だった。各学年が9~10クラスである。10クラスあるということは、もちろん学年に学級担任が10人いるということだ。しかも、その他に学年所属の副担任が5~6人いることになる。常に15,6人の教師で学年団を組むわけである。

学年教師もこのくらいの人数がいると、学年集会の話なんてものも、当時のぼくのような二十代にはまったくまわって来ない。ぼくがいまでも覚えているのは、当時32歳だった数学教師が学年集会で学習について話をしたあと、その経験が初めてであったらしく、職員室で、50歳の学年主任や学年所属の55歳の教務主任に、話の仕方で直すべきところ、良かったところなどについて助言されていた光景である。その数学教師はぼくの目から見てもガチガチに緊張していて、不遜なぼくは「なんでこんなに緊張するのかなあ…」などと陰で嗤っていたものである。これが確か、新卒一年目の夏休み前、7月だったはずなので、たぶん平成3年の夏のことである。

この学校にぼくは平成10年の3月まで勤めた。7年間在籍したわけである。いまから考えると信じられないことだが、ぼくはこの7年間、ただの一度も学年集会に登壇したことがなかった。

なんとなく、学年集会の話は学年主任と副主任がするものという慣習があり、この二人は各集会での登壇からはずれることはない。そうすると、先生の話で構成される学年集会なんてものは年に3回くらいしかないから、しかも主任・副主任以外の話の枠なんてものは各集会で残り一枠くらいしかないから、主任・副主任以外で登壇するのは年間で3人程度だったのである。となると、当時二十代のぼくなどは鼻にもかけられない。こんなわけで、当時のぼくは7年間、ただの一度も学年集会に登壇しなかったわけである。

二校目の赴任先は21学級。各学年7クラスだった。学年の先生は担副あわせて11人。

ここがまた、管理的というか官僚的な学校で、学年集会で話をするのは学年主任と副主任、そして学年の生活担当とがちがちに決まっている。当時三十代前半で、研究や教務ばかりやっていたぼくは、これまた登壇機会がない。結局、ぼくが初めて学年集会に登壇したのは、現行指導要領が移行期間に入った2000年4月、「総合的な学習の時間」係として総合のガイダンスの時間でしゃべったときだった。しかも、1時間いっぱい、学年240人に授業をするという形である。ぼくは34歳になっていた。いまからたった8年前のことである。

当時のぼくは、既に様々な研究会で模擬授業や講座、講演を年に何十本もこなしていて、まったく面識のない人を巻き込みながら話を進めていくことにも慣れていた頃である。240人の生徒相手に授業をすることくらいには「緊張のキの字」もない、そんな状態になっていた。しかも、適当に生徒に意見を言わせながら、更には適当に生徒をいじりながら、うまく話を意図する方向にもっていくこともできるようになっていた。その手法は学年教師たちからも認められたようで、以後、その学校でも、学年集会のたびにぼくは登壇機会を与えられるようになった。この学校にも7年間在籍した。

4年前、ぼくは現在の勤務校に転勤になった。平成17年の4月である。ぼくは小さな学校の学年主任になった。一年目こそ担任3人が40歳前後の者ばかりだったが、二年目には2組の担任が25歳の若者になった。実はこの若者が、現在、ぼくの学年で3組の担任をしている男性教諭である。

このとき、ぼくが第一に考えたことは、この若者から「教員になったことに伴う恐怖感」を払拭してやろう、ということだった。彼の学級の生徒指導には必ずぼくもいっしょに入り、学年集会にも何度も何度も登壇させた。保護者集会にも登壇させた。こまかな学級指導も事前に念入りに打ち合わせをして、絶対に失敗しないようにさせた。

とにかく、

場数を踏ませること

成功体験を味わわせること

この二つが、ぼくにとってこの若者を育てるためのキーワードだった。

いま、昨年の担任3人に、更に26歳の若者が一人加わって、4人で学年の担任陣を構成している。

ぼくは今年度、自分が学年集会に登壇する機会を極力減らしている。副主任の登壇機会も極力減らしている。常に27歳に生活の話をさせ、26歳に学習の話をさせる、という構成である。ぼくと副主任は要所要所に出ていくだけだ。それで充分にまわる。しかも、若者たちはそれを当然と思っている。更には、生徒の前で話すことに自信をもち始めている。ぼくの仕事は、彼らが天狗になりかけていたり、ちょっと話の構成が雑になっているなと感じたりしたとき、予定外に5分くらい話をしたり、30分生徒をしーんとさせ、惹きつけたまま話し続けたりして、格の違いを見せつけてやることだけだ。

実は、保護者集会も同様である。ぼくの出番は集会冒頭の挨拶だけである。副主任の出番も予算案の提示と決算報告だけである。保護者相手だというのに、常に生活の話は27歳、学習の話は26歳なのである。保護者によっては、自分たちよりも10も若い彼らばかりが保護者集会に登壇するのを、もしかしたら「なめているのか」と思う方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、ぼくの意図はそうではない。この学年の教師団が、この学年の生徒たちにプラスの教育を施していくためには、この二人を急成長させることが最も効果的なのである。実はこれは間違いなく、長期的に見れば保護者の願いとも同一ベクトルにあるのである。

彼らが若いからといって、保護者を怖れているようでは話にならない。さっさと場数を踏ませて、「緊張のキの字」もない状態で保護者の前に立てるようにならなければならない。

理由がもう一つある。それは学年教師の成長が自分たちの目にも明らかなくらいに見られるとき、実は生徒たちにもとても大きな影響を与えることができるのだ。成長する教師のもとでこそ、生徒たちの成長も大きい。理屈ではない。そういうものなのだ。

その上でも、

場数を踏ませること

成功体験を味わわせること

この二つが大切なのである。

彼ら二人は、これからも学年集会にも、保護者集会にも立ち続けるだろう。そして二年後、「生徒にも保護者にもちゃんとかかわった」、そういう3年間に思いを馳せながら、ちゃんと自分の学級であり、自分の学年であり、自分の生徒たちであり、自分の保護者たちであるという、ちゃんとした実感、腹のそこからの実感を抱いて、卒業式に臨むはずである。

こういうことを考えるのが、学年主任の仕事である。

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あと三日…

何気ない日常こそが何より尊い。その意味で、ぼくは担任学級をとても大切に思ってきた。

このブログにも何度か書いたが、今年の学級1年1組は、卒業させられない学級である。来月、学級編制がある。かく言うぼく自身が、3週間前から学年団とともに学級編制作業をしているのだから間違いない。

いま担任している学級は、第11代の「堀学級」になる。これまでにもった1年生学級の中では、ダントツにバランスのとれた学級に仕上がっている。

あと三日。

説教くさいことはなしにして、ぼく自身が楽しく過ごしたい。

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夏が来る

最近、自分史ということをよく考える。別に自分史を書こうなどと年寄りくさいことを考えているわけではないので、誤解のないように。

ただ、自分がいま依って立っている教育論、文学論、教育実践手法、そして言語観、人生観、人間観、社会観、世界観に至るまで、どうも自分の「世代」ということからまったく解放されていないのだということを、腹の底から納得させられる論述にちょくちょく出逢うようになったのだ。これはつまり、自分の世代の書き手が世に出回り始めていることを意味する。そういう年になったのだ、ということでもある。

今日、平松愛理の「Erhythm」と大黒摩季の「BACK BEATs ♯1」を続けて聴いた。この二枚のアルバムを聴いていて思うことは、ここに描かれているのが、かつて自分が青春期に理想とした女性像である、ということである。ほぼ同世代の女性ソングライター二人が、本質的に共通する女性像を描いていることに、しばし思いを馳せた。

まずは、「Erhythm」から「もう笑うしかない」の、「BACK BEATs ♯1」から「夏が来る」の歌詞を引いておこう。

この二曲に共通して描かれているのは、能力の高い女性がその内面にもつ「純愛志向」である。おそらく、女性が男性と対等に仕事をすることが国是とされ時代是とされるとともに、70年代以降の「なかよし」「マーガレット」に代表される純愛路線少女漫画的「乙女ちっく」が精神の奥底にまで浸透した世代の、どうしようもない二面性が描き出された世界観であろう。

90年代初頭、平松愛理と大黒摩季は、こうした世代、つまりは当時の二十代女性に圧倒的に支持された。そして、当時の二十代男性、特にキャリア志向をもち、生活レベル向上志向をもつ当時の二十代男性たちの理想の女性像と、平松愛理や大黒摩季の描く女性像とは重なり合っていたように思えるのである。

さしずめ、現在なら、オタクの理想のひとつとして数えられる「ツンデレ」になろうか。

しかし、ぼくの印象では、平松愛理・大黒摩季の描いた女性像と、いわゆる「ツンデレ」とでは、その本質が大きく異なる。

ちなみに、「ツンデレ」は「ツンツンデレデレ」の略語で、ウィキペディアによれば次のような定義があるようだ。

1.日常ではツンとしているものの、思いを寄せた人と二人きりになると、デレっとすること(『イミダス2006』2005年11月発売、集英社)

2.普段はツンツン、二人っきりの時は急にしおらしくなってデレデレといちゃついてくるようなタイプのヒロイン、あるいは、そのさまを指した言葉(『現代用語の基礎知識2007』2006年11月発売、自由国民社)

3.オタク用語から一般に浸透しつつある言葉で、普段はツンツンとしているが、ある条件下になるとデレデレといちゃつく状態や人物を指す(『知恵蔵2007』2006年11月発売、朝日新聞社)

4.もともと好きな異性の前でデレッとしてしまいがちな女性がそうならないように自分を律してツンツンしているというように、一つの性格の中で移行するのが、ツンデレ(『ダ・ヴィンチ』2007年2月号、2007年1月発売、メディアファクトリー)

この四つの定義に見られるように、「ツンデレ」が想定しているのはあくまで「日常ではツンツン」「異性の前ではデレデレ」という二面性的態度に特化されている。わかりやすく言えば、甘えん坊の本質を自分だけにしか見せないということにこそ重要性がある。オタクたちにとって、自分とのつながりこそが重要度が高いということであろう。

しかし、ぼくらが80年代から90年代初等にかけて理想像とした女性には、キャリア、或いは仕事上の能力が高いということが、二人きりで女性らしさが見えるということと同等に大切なのであった。家柄のいい高嶺の花とか、可愛いだけのお嬢様とか、そういう身分や容貌といった決定論的な属性ではなく、志をもち努力をともなった成長願望をもって社会と対峙し、時にその社会に疲れを見せてその癒しを自分に求めてくる、そういう女性像なのである。その意味で、キャリアやスキルアップの要素をもたない、現代の「ツンデレ」幻想は、女性像を現象的なもののみに矮小化したものに過ぎないようにぼくには感じられる。

こうした要素は、女性同僚や学生時代の女友達の話を聞いているとよくわかる。

例えば、現在、35歳~45歳くらいの女性同僚を見ていると、かなり仕事に対してプライドをもって当たっているのを見て取ることができる。自分が「違う」と思えば上司にもモノを言い、自分の主張をはっきりと示す。すぐに根を上げず、ヘルプをなかなか出さない。自分の領域はあくまでも自分の力でやろうとする。そういう意気が感じられる。つまり彼女たちは仕事において、ほとんど「女」を武器にしない。

ところが、30歳以下あたりから、多くの女性同僚に、自分は「教えられる権利がある」「スキルアップというものは周りに支えられながら図るものである」という意識がはっきりと見て取れる。自分は若いのだからちゃんどできなくて当たり前、上司の皆さん、わたしが困ったときには助けてください、という態度である。そして、一つ一つ、教えられたことに関してはちゃんとやらなければならない、もう手助けは求められない、と思うようになる、こうした態度である。大きな分岐点が32、3歳にあるようにぼくには感じられる。

誤解しないで欲しいのだが、ぼくは後者を批判しているのではない。ぼくから見れば、ヘルプを出してくれず、手遅れになってから後始末に奔走しなければならない同僚よりも、さっさとヘルプを出してくれて致命的になる前に対処できるほうがいい、という側面があるからだ。

しかし、その精神性においては、ぼくは後者よりも前者のほうが圧倒的に尊いと思う。そして、ぼくには後者よりも前者のほうが圧倒的に好ましく映る。そして前者は、80年代から90年代初頭に青春期を過ごした世代なのであり、平松愛理や大黒摩季が「もう笑うしかない」や「夏が来る」で描いた精神性を確かにもっている世代にぼくには映るのである。

こんな女性像は、ぼくらよりも上の世代から見れば、お笑いかもしれない。ぼくにはまだ分析ができていないが、ひと世代上とぼくらの世代の間にも、大きな感覚の違いがあるようだ。

例えば、「純愛志向「純愛信仰」を象徴する季節は、ぼくらより上の世代にとっては、間違いなく「春」である。いや、ぼくらの世代にとっても、一般的には「春」であろう。ちょっと思いつくだけでも、松任谷由実は「春よ、来い」と歌い、中島みゆきは「春なのに」、岩崎宏美は「春おぼろ」と歌った。

しかし、大黒摩季は「夏が来る」と歌ったのだった。「わたしの夏はきっと来る!」とシャウトしたのだった。この「純愛志向」に対する熱さ、激しさをぼくらの世代は理解することができる。身体感覚として、この「夏」で象徴される「純愛志向」を受け止めることができる。

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有り難し

一年前に卒業させた生徒たちの保護者から、近々保護者同窓会をやろうとのメールが届く。

有り難いことである。

普通に考えれば、わざわざ学年教師なんかを呼ばなくても、自分たちだけで飲んだって楽しいひとときは過ごせるはずである。ぼくらに声がかかるということは、ぼくらが3年間かけてやったことがそれなりに評価されているということを意味するはずだ。一年もたってから、わざわざ文句をつけにぼくらを呼ぶ保護者なんて考えられないのだから。

我々教師の立場から見れば、こういうことが自信につながっていくものだ。自分のやっていることは間違っていないと……。

まったく、有り難いことである。

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訃報がはいった。同い年の友人のご母堂が亡くなったのだ。

ぼくらの親世代は、多くが昭和10年代生まれ。戦時中に幼少期を、そして戦後の混乱期に青春期を迎え、少しずつ物に満たされていく中で、我が子にだけは物の不足の苦労をさせたくないと感じ、冷蔵庫・洗濯機・テレビ・マイカー・ビデオ……と新しい物が次々に開発され普及していくのを目の当たりにした世代である。それでいて、青春期にはまだまだ貧しく、進学を諦めざるを得なかった経験をもつ者が多い世代でもある。更には、大家族の風習が崩れ、その多くが核家族化を選び、我が子に老後の面倒を見てもらうのは避けたいと思うようになった世代でもある。まさに、日本が豊かになり、それに伴って日本の精神が変容していく、そんな時代の風を真正面から受け止めた世代である。

とうとうそんな世代の「番」が来た。そういうことなのだ。

ぼくらの「番」が来るまで、あと30年といったところだろうか。医療の発展がそれを10年遅らせるだろうか。果たしてそれは幸せなことなのだろうか。そんなことを考える時期に入りつつある自分を感じる。

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空気と対話する

赤坂真二が「場の空気と対話しながら盛り上げていく」というフレーズを書いていた(元気と勇気は誰でも出せる-shinjiの日記/2009.03.10)。これはぼくが、「場の支配力」と言っているものだ。しかも、その機能を具体的に、うまく表現しているなあと感心した次第である。

赤坂は「盛り上げていく」と楽しい雰囲気だけを想定して言っているようにも見えるが、その機能は決して「楽しさ」のみに限定すべきものではない。おそらく彼の意図もそうだろう。

例えば、全校集会で、学年集会で、学級指導で、子どもたちに「話を聞こう」という空気をつくれる教師とつくれない教師がいる。この「話を聞こう」空気をつくれる教師は、心の離れている子どもにわざと全体の前で話しかけて巻き込んだり、全体が注目せざるを得ないようなパフォーマンスをしたり、興味を引きつけるようなキーワードを話の導入で3回ほど繰り返して少しずつこちらを振り向かせたりと、いずれにしても、

〈その場の空気〉と〈対話〉しながら、

〈その場の空気〉を〈更新〉する術に長けている。

といえる。「話を聞こう」空気をつくれない教師は、これができないのだ。自分の話したいこと、話す内容として予定していることを、絶対軸として話を進めようとする。その軸を絶対に曲げない。一直線でその軸に持って行こうとする。それが駄目なのである。

話の軸というものは、山の頂上と同じで、登り口は四方八方にある。多少道に迷ったとしても、高い方へと進みさえすれば、山頂には辿り着けるのである。しかも、子どもたちに話をすることには、登山と違って、遭難することもなれければ命の危険もない。多少、原野に迷い込んだところで、多少、木陰で休憩したところで、時間的な違いは2分か3分。もちろん、予定時間に合わせた方がいいが、だれも聞いていないのに時間通りに終わっても意味はない。まずは空気と対話しながら、「話を聞こう」空気に更新した方がいいに決まっているのだ。

そもそも3回それをやれば、4回目からはそんなことをしなくても、子どもたちが「この人の話は聞くに値する、ちゃんと聞こう」という態度になっていくものである。時間を守ることが守られるべきは、そういう段階になってからでいいのではないか。物事には優先順位があるのだ。

「場の支配力」をもつには「空気と対話すること」が必要である。

ここまではできた。次は、「空気と対話すること」の中身にはいくつの、どんな下位項目があるのか、それを考えることだ。それを編み出せば、若手教師に分かち伝えられるようになる。そんなに遠くない日に、編み出せそうな気がする。ぼくと赤坂と、二人三脚でつくりたいものである。

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120分講習

何日か前に届いていた「運転免許証更新連絡書」。ぼくの誕生日は4月7日なので、毎回、免許更新は春休みに行くことができる。ぼくの人生で「よいこと」の一つである。

そろそろ春休みの予定も決めなければならないと思い、今日、この連絡書を開いてみた。

あれ?

当然、無違反でゴールドと思っていたのだが、講習区分が「違反講習」、有効期間が「3年」、色が「青」とある。

ええっ!なんで……?

ややしばらく考えて、3年ほど前に黄色信号から赤に変わる瞬間に交差点にはいり、パトカーに止められたことを想い出した。そうだ。罰金を払ったっけ。

あらら。

春休みに、免許更新で半日とられるようである。札幌方面警察署に行くべきか、札幌運転免許試験場に行くべきか、それが問題だ。

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1984

気がつくと、もう6時間も「YOU TUBE」を見ている。

1.「STRUT」のSHEENA EASTONが一番cuteだった。「STRUT・1」「STRUT・2」。

2.JOHN WAITEの「MISSING YOU」にしびれた。

3.PV草創期、主演俳優以外は完璧だった、物語性の高く完成度の高かったLIONEL RICHIEの「HELLO」。

4.ゴスペラーズ登場の20年も前に、だれもがカバーしたBILLY JOELの「THE LONGEST TIME」。

5.ぼくにテキサスへのあこがれをもたせたJOHN COUGAR MELLENCAMPの「PINK HOUSES」。

6.ぼくにロバート・プラント、ナイル・ロジャース、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジという4人の天才の存在を知らしめてくれた「THE SEA OF LOVE」。

7.「HELLO」とは異なり、このPVの物語性は完璧だった。完成度も完璧だった。最も好きなPV、ELTON JOHNの「I GUESS THAT'S WHY THEY CALL IT THE BLUES」。

8.みんな、「99 LUFT BALLONS」で1ヶ月間だけ、NENAのファンになったものだ。

9.MICHAEL JACKSONのコーラスが話題を呼んだROCKWELLの「SOMEBODY'S WATCHING ME」。

10.THE POLICEが「SYNCHRONICITY」の最後のシングルとしてヒットさせた「WRAPPED AROUND YOUR FINGER」。ぼくは「EVERY BREATH YOU TAKE」よりも「KING OF PAIN」より好きだ。

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THE RIVER

この世の中に、こんな映像が存在するとは今日まで知らなかった。

ぼくが最も好きな曲「THE RIVER」がスプリングスティーンにスティングがフィーチャーされたライヴ映像として残っているのである。

この映像は宝だ。

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カルチェラタンの雪

初めて聴いたときにビビッときて、以来、そのvividな感覚を失うことなく、数十年の月日が過ぎる。そんな曲があるものである。

ぼくにとって、布施明の「カルチェラタンの雪」(1979年12月)はそんな曲の一つである。

こんな曲が中学1年のぼくの心に響いたのがなぜなのか、いまだにわからない。学生時代の友人の梶くんもこの曲が大好きで、学生時代、いっしょに行ったカラオケメンツの中に梶くんがいると、ぼくはよくこの曲を歌って、若い女の子たちにいやがられていた(笑)。言ってみれば、おじさんの定番である「マイ・ウエイ」や「昴」みたいなものなのだ。

でも、こうしておじさんになってみると、やっぱりたまらなくいい曲なのだ。高音がまったく出なくなってしまって、カラオケではもう歌えないけれど……。

ちなみに、先日、紹介したサイモン&ガーファンクルの「THE BOXER」はこんな曲である。

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例会

今年にはいって初めての「研究集団ことのは」の例会。

20世紀には毎月、13時から次の日の3時、4時までおこなっていた定例会だったが、現在は定例会とは名ばかりで、学期に2回ほど、しかも3、4時間の議論をするだけになっている。かつては「虎の穴」などと揶揄された「研究集団ことのは」も、現在はずいぶんとゆるやかなネットワークになっている。

なぜ、こんなにも大きく変化したのか。

理由はいろいろある。

第一に、中心メンバーがずいぶんと年をとったこと。みんな結婚し、子どもができて身動きがとれなくなったり、体の調子が悪くなっていたり、と様々だ。勤務校でも要職に就くようになり、常識外れの定例会を開いて体調を悪くするわけにもいかなくなっている。

第二に、定例会に集まれるメンバーが相対的に減ったこと。これはメンバーが減ったということではない。メンバーは結成以来の18年間、いまだに順調に増え続けている。そうではなく、メンバーが札幌近郊の人間だけではなくなったため、定例会に全員が集まるというサークル構造ではなくなったという意味である。

第三に、第二の理由とも重なるが、PCが普及したことが挙げられる。簡単な連絡や意見の交流ならば、MLで充分になった。例えば、原稿の直しや学級通信・テスト問題・指導案といったものは、添付メールでごくごく簡単に交流できるようになった。

第四に、サークルが発信型になり、サークル外部に公開した研究会が増えたこと。20世紀にはほとんどおこなわれていなかった外部公開研究会が、2000年代の前半には年に5回程度、今年度は年に10回程度にまで増えている。2009年度は1学期だけで9回の公開研究会が開催される予定だ。

第五に、外部研究団体からメンバーが講師として、或いは提案者として呼ばれることが増えたということ。昔は、ぼくらにとって、知的な刺激を得る機会が「ことのは」の例会しかなかった。しかし、いま、道内にはそういう場がたくさんある。

実は今日の例会は、久し振りに充実した、刺激の多い例会だった。新たな発想、新たな提案の萌芽が次々にわき出てきた。そんな例会のあと、この五つの理由を考えながら、頻繁におこなわれていないからこそ充実した例会になっているのではないか、という逆転発想が生まれてきた。

4月から、「研究集団ことのは」が18年目を迎える。

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卒業式

卒業式。3学級の卒業生。今回初めて卒業生を出す、いっしょに部活をもっている男性担任が一人。かつて自分が中学生だった頃に新卒として赴任してきた、前任校でも同僚だった、なぜか縁のある女性学年主任。そして、大学時代の直属の後輩。そんな担任陣だ。なんとなく思い入れのある学年団。

私の生徒たちも立派な態度、精一杯の歌で卒業生を送り出した。

卒業させられない学級の活動が、一つ、また一つと終わっていく。この子たちはどんな顔で、卒業式を迎えるのだろうか。あと、たった2年である。

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卒業式総練習

卒業式総練習。3年生の歌が1・2年生の歌を圧倒していた。

今年の全校合唱が昨年と比べてどうかとか、他の学校と比べてどうかとか、前任校と比べてどうかとか、ぼくも含めて、教師はすぐに比べたがる。しかし、3年生の歌が2年生より優っていて、2年生の歌が1年生の歌よりも優っている、そういう状態があるということは、学校が学校として機能しているということなのかもしれない。中学校というのは、ある意味で不思議なことに、なかなかこの当然のことを達成できない場である。

昨日の送別集会から、今日の総練習へ。この流れの中で、ぼくの学年の生徒たちも、この「卒業期」の独特の雰囲気に何かを感じ取っているようだ。

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取り得る手立て

札幌市営の地下鉄で中学2年生の少女が自殺した。南区の中学校だと言う。どこの学校なのか、どんな事情があったのか、ぼくは何も知らない。報道によれば、一年ほど前に転入してきた生徒だと言う。

痛ましい事件だ。あまりにも痛ましい事件だ。札幌市の中学校教育に携わる者の一人として、こんな事件が自分の学校であったら、もう自分は教員を続けていけないだろうな、と思う。おそらく当該担任も、学年主任も、教頭も、校長も、同様の思いを抱いているに違いない。「なぜ、こんなことになってしまったのか」と。この一年間の、この女子生徒と自分とのかかわりを振り返りながら、何がいけなかったのか、どのようにすればこんなことにならなかったのか、それを一秒の間もあけることなく考え続けているに違いない。

親御さんも切ないだろう。哀しみのぶつけどころがない。そのぶつけどころのなさに次第に怒りがわき、学校や市教委にその怒りをぶつけるしかない。しかし、ぶつけてみたところで、何も変わらない。切なさと、虚しさとが増幅していくだけ。いくら説明を聞いたところで、娘を失った哀しみに「納得」などあり得ない。細かな情報が入ってくればくるほど、「なぜ」という問いは細分化され、増殖し、様々な可能性に分化され、それらの可能性ごとに新たなぶつけどころのない怒りがわきあがる。

その学校の生徒たちも、特に級友たちは、もうどうしていいかわからなくなっているはずだ。一年間、その女子生徒とどんなかかわりがあっか、まさか自分のせいだろうか、自分にまったく責任がないなんていうことがあるだろうか、そんな思いの中で、みんなで肩を落とすしかない。冗談を言うのは罪、家でテレビを見て笑うのも罪、そんな贖罪意識をもちながら、「死」というものと向き合っているに違いない。「死」とは何なのか、と。しかし、いくら考えても答えの出ようはずもない。

ただ一つだけ確かなことは、教職員も、保護者の方も、そして級友たちも、これまでの人生で経験したことのない「精神の危機」に直面しているだろう、ということである。しかも、これからの人生をも規定してしまう、忘れることのない危機に。

実はまだまだいる。地下鉄の運転手さんは? その地下鉄に乗っていた乗客たちは? いったいこの事件をどう思うだろうか。そして、どのように自分の中で整理をつけるのだろうか。彼女が一年前まで在籍していた学校の生徒たちは? その学校の教師たちは? もう数え上げたらきりがない。

人生にはいろいろな危機が訪れるものだが、その多くは時がたてば「笑い話」と化していく。そんな経験を幾度となく経験しながら、人は一つ一つ、世界観を広げていく。一歩一歩、成長していく。しかし、今回の経験だけは、どれだけ時がたっても、決して「笑い話」にはならない。懐かしく想い出すこともない。自分の中で整理がつけられることもない。しかも決して消えない。ただただ、一つの、強烈な痛みとして残っていくはずの経験である。

おそらく、この事件には、再発防止策などない。

どのように教育すればいいのか。

子どもたちに何を教えればいいのか。

「命を大切にする」教育を……? わかる。そう言いたいのはよくわかる。ぼくももちろん、「命の教育」をする。自分がかかわっている生徒たちに訴える。しかし、この少女の親だって、「自分の命を大切にしろ」とか「私より先に死んだら承知しないよ」とか、きっと言っていたはずである。担任教師だって、小さなトラブルがあるたびにその指導を施してきたはずである。教頭だって校長だって、全校集会で、始業式・終業式で、常に「命を大切にする」ことについては触れてきたはずである。ぼくだって、夏休みや冬休み前の集会のたびに、「死ぬな。命のほど大切なものはない。君が死ねば何人の人が悲しむか、考えてみろ。」という話をする。

どのように教育すればいいのか。

子どもたちに何を教えればいいのか。

おそらくそういうレベルの話ではないのだ。

そんなことを考えても、あまり効果はない。そんなことを語っても、きっと言葉が浮遊するだけだ。「どのように」教えるかとか「何を」教えるかとかのレベルではないのだ。そんなレベルの話で済むなら、この死に方は選択されない。今回の「死」には、ぼくらの想像を絶する、深い、あまりに深い絶望がある。彼女には、何か存在論的な問いがあって、その問いに絶望したのだ。まだ中学生とか、未熟であるとか、そういう問題ではない。どんな発達段階であろうと、いかに思考力が未熟であろうと、存在論的な問いは存在論的な問いであり、その密度に変わりはない。その濃度に変わりはない。ぼくにはそう思えてならない。

ためしに考えてみるといい。この少女が死を選ぶ一時間前に、自分がこの少女と対面しているとしたら、いったいなんと語りかけてあげられるだろうか……と。ぼくらは言葉をもたないのだ。まさに絶句するしかない。道具としての言葉は、この場において須くその機能を失ってしまう。そういうものなのだ。

なぜ死んだのか。

なぜこの事件は起こったのか。

なぜこの死に方が選ばれたのか。

必要なのはこういう問いである。しかし、こう問うたところで、それは深淵に迷い込むだけである。無理に一応の答えを出してみても、その所以は複雑きわまりないものになるはずである。そして、その一応の答えが出たところで、それにあった教育改革・学校改革を施し、その成果が出るまでには30年かかるだろう。

去年の保護者による監禁事件のような、対症療法(と言っては申し訳ないが)のような対策では埒があかない。システムを変えればなんとかなるというタイプの事例ではなく、教育観を転換するほどの大改革を求めるような事例であるからだ。

千歳の中学校の飛び降り自殺未遂といい、北区の保護者による監禁事件といい、そして今回の自殺事件といい、北海道の学校教育が、少なくとも石狩地方の都市型教育(都市型にあわせたつもりの教育)がそろそろシステム疲労を露呈し始めているようにも思える。

しかし、と同時に、それは、我々学校教育に携わる者の思考の限界、想像力の限界を露呈しているようにも思えるのだ。ぼくはこの少女が自分の学級にいたとして、正直に言って、取り得る手立てが思いつかない。この少女に対して、誠実な教師であろうとすればするほど、袋小路に陥ってしまう。それが多くの教師の心象であるように思えてならない。

このたびの少女のご冥福を、ただひたすらに祈りたい。

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風邪で倒れていました

日曜の夜から、風邪で倒れていました。久し振りの生徒たちが妙に優しくて、いとおしくなりました。3年生も2日後の卒業式を控えて、なんとなくしんみりした様子。毎年のことながら、別れの季節は寂しいものです。

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運気が下がっている

どうも最近、自分のせいではないことで、巻き添えを食うことが続いている。それもぼくが、自分の仕事の根幹にしているようなことに関して、である。今週、立て続けに3件起きた。

言っておくが、生徒に関わることではない。生徒が何をやっても、基本的にぼくが腹を立てることはない。

また、保護者に関わることでもない。保護者がどんな無理な注文をつけてきても、またどんなに激しいクレームをつけてきても、それはぼくに対する注文や、ぼくの学年に対する注文であれば、ぼくにはそれをよく聞き、理解し、対応する責務がある。そんなことでも腹は立たない。

今回の件は、実はすべて同僚のやったことである。

だが、ある同僚が事務仕事でミスをしたとか、生徒指導がうまくいかずにフォローしなければならなくなったとか、そういうことではない。そんなことなら日常茶飯であり、ぼくはそういう同僚をフォローすることにやぶさかではない。

今回起こったことは、なぜそういうことになるのか、ぼくにはまったく理解不能な出来事ばかりでなのある。しかも、とてつもなくレベルの低い話なのである。たとえて言えば、ぼくのPCのフラッシュメモリーを勝手に借りて使ったヤツがいて、戻ってきたときにはウイルスに感染していた、というような、こんなレベルの話である。

ぼくはこういうことに慣れていない。

これまで、多くの人がぼくを怖がって、ぼくに近づいて来なかったからだ。だから、ぼくは、他人に巻き込まれるとか、他人の巻き添えになるということをほとんど経験していない。それは一方で寂しいことではあるのかもしれないが、一方ではとても楽なことでもあった。なにせ、他人に時間を奪われるということがほとんどなかったわけだから。

そんな生き方をしてきたぼくは、自分に非のないことによって被害を受けることが許せない質である。

いずれにしても、運気が下がってきているようだ。このまま行くと、ぼくに責任のない交通事故で大怪我…なんてことになりかねない。そんな気さえしてくる。

この運気の下がり方は分析に値する。ちょうど、異方向のベクトルから合力ベクトルをつくるように、現在の状況を合力ベクトルと考えて、その要因となっている異方向のベクトルを一つ一つ見つけていくような作業である。決して楽しい作業ではないが、これをやらないと修正できない。

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アイロニカルな雨

2月は長かったのに、3月に入ってからは驚くほどに時間が早く過ぎていく。この一週間はあっという間に終わってしまった。何か特別、忙しかったというのではない。だから、怒濤のように過ぎたわけでもない。なのにただ、時間が早く過ぎるようになった。授業も、事務仕事も、そして学級経営も、淡々と、しかし幾分かの充実感に包まれて進んでいく。

そんな金曜日。アイロニカルな雨が降り出す。

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遊ばなくなるから年を取るのだ

「年を取ったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年を取るのだ。」

バーナード・ショウの言葉であるらしい。

至極名言である。

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自律的自立

勤務校では、通知表の締め切りが17日(火)、指導要録が24日(火)。

今日は5日(木)。

学年の若手教師が、指導要録より通知表を優先しようとしていたので、指導要録を先にやれと助言した。

「なぜですか?」と訊かれる。もちろん、だれもがそう訊くだろう。

ぼくは応えた。通知表を先にやれば、指導要録の締め切りは更にその先なのだから、通知表づくりには焦りがない。だから、知らず知らずのうちに甘えが出て、或いは精神的余裕が出て、コン詰めてやろうとしなくなる。しかし、指導要録を先にやるとなれば、状況は異なる。指導要録を通知表づくりの時間を確保できる日程で終わらせようという気になる。そうすると、指導要録も通知表もコン詰めてやろうという気になる。両方とも、どうせやれば終わる仕事なのだ。どれだけ集中して短い時間で上げられるか、それだけのことである。だとすれば、わざとコン詰めてやるであろう日程で仕事を進めて、通知表の締め切り日にはすべての仕事が仕上がっているという状態にした方がいいに決まっている。

人間とは「甘え」をもつ動物である。日程的な優先順位に従って仕事を進めていると、ついつい日程通りの仕事に近づいていく。意図的・意識的に優先順位の低いものから先にやると、その「甘え」がなくなる。こうやって時間を生み出すのである。

通知表と指導要録。日程は通知表の方が優先順位が高いことを示している。しかし、やれば終わる事務仕事と時間を生み出すこと。仕事の仕方として、或いは生き方として、時間を生み出すことの方を優先順位を高く位置づける。意図的・意識的に位置づける。すると、どんどん時間が生まれてくる。17日(火)の自分は、きっと今日の自分に感謝するはずだ。

17日(火)にすべての年度末事務が終わっているとすれば、その後の一週間には、何か創造的な仕事ができる。或いは生徒とレクを企画することもできるかもしれない。いや、そんなことを考えずとも、部活をちゃんと指導するでもいいし、この際だからゆっくり休むでもいい。いずれにしても、そこには「仕事の潤い」が生まれる。本来できなかったはずのことができる。そんな時間のなんと尊いことか。

忙しいときにこそ、こうやって意図的に時間を生み出す。そして何か創造的に時間を使う。

ぼくはこういう意図的・意識的・計画的な仕事の仕方を「自律的自立」と呼んでいる。

ちなみにぼくは、明日、急な生徒指導でも入らない限りは、おそらく明日にはすべての事務仕事が終わってしまうだろう。来週から2週間、ぼくには徹底的に「余裕」が生まれるのだ。

この話をぼくはこれまで50人くらいにしたことがあるが、だれ一人追試してくれない(笑)。

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時間を創る

指導要録が完成した。文科省の例示通り、すべて所見でびっしり書いてである。

この時期に指導要録が終わっている1・2年の担任は、どのくらいいるのだろうか。ぼくは新卒5年目くらいからこの時期に書き上げることにしている。2月が終われば、もう生徒はそう大幅に変わることはない。もう生徒に対する評価が変わることも揺らぐこともない。空き時間と隙間時間をフルに活用すれば、難なく仕上げられる。しかもこの時期は3年生が入試時期なので、放課後に会議も入っておらず、時間がある。この時期が一番いい。学年主任のぼくが早めに取り組むので、学年の他の3人の担任も、今週中には終わるペースで進めている。

他の学年が事務作業で放課後を使っている時期、ぼくらは放課後にたっぷりと生徒と遊び、更に夜は学年の先生方でバレーボールをして遊ぼうと計画している。

「ゆとり教育」と「学校週五日制」で忙しくなったと嘆いても仕方ない。時間は創るものなのだ。しかも、みんなでいっしょに創れば、みんなでいっしょに遊べる。

そんな学年団がいい。

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奥深い軽さ

数日前から「明日に架ける橋」を聴き続けている。

お気に入りは「THE BOXER」。1969年のヒット曲だ。もちろん、タイトル曲もとてもいいのだが、「THE BOXER」は特別だ。

Lie-la-lie Lie-la-lie-la-lie-la-lie ……

この「ライ・ラ・ライ」の奥深い軽さに、何度救われたことだろうか。

今日も、そんな一日だった。

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距離

札教研の各校研究幹事の外勤で「ちえりあ」へ。内容の中心は新学習指導要領に関する京都ノートルダム女子大の加藤明先生の講演会。ほどほどにおもしろく、しかし、新しい情報はほとんどなく、それでいて品のない講師だった。他人の悪口を軽口的に言うには、講演者と聴講者の心理的距離が遠すぎる。下品に聞こえてしようがなかった。

全市から400人近くが集まった講演会だったので、いろんな人に会う。昔から研究関係でお世話になっている先生、もと同僚、そして元上司。特に、元上司がやつれていて、校長職の激務に思いを馳せざるを得なかった。

白髪が増えて猫背になっていたのは、ただ年をとったからだけなのか。私の気持ちの在り方が彼のありもしない苦労を感じ取らせただけなのか。それとも心身ともに本当にやつれていたのか。ちゃんと話もできなかったので、定かではない。しかし、あの生きの良さで売っていた彼の、あのやつれようは尋常には見えなかった。かつてはあんなに近くにいたのに、もうずいぶんと距離が離れてしまっているようだ。

今日は、ずいぶんと「距離」について考えさせられた一日だった。

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犬と寝る

犬といっしょに寝るようになって半年近くがたつ。右の脇腹にミニチュアダックスのBOW(坊)を抱えて寝る。北海道の冬がとたんに温かくなる。

眠りに就くときに考えることは毎日同じ。

「あと何年、いっしょにいられるだろうか」

「あと何回、いっしょに寝られるだろうか」

坊、6歳の冬である。

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ポジリスト/ネガリスト

1.心の教育 … 規範意識・道徳意識の醸成/道徳教育の充実

2.学力の向上 … 授業時間の増加/全国学習状況調査の継続/土曜日授業の可能性/国語教育の充実/英語教育の充実/理数教育の充実/読書指導の充実/国による到達目標の明示/客観的な絶対評価/IT機器の積極的導入

3.時代に合致したカリキュラム … 主権者教育/法教育/消費者教育/食育

4.指導力不足教員の排除 … 免許更新制/教員評価制度/学校評価の充実/学校選択制の積極的導入

すべて中教審・教育再生会議・新学習指導要領という経緯の中で、「学校教育の充実」の旗印のもとに政策として策定されたものである。主なものを挙げただけで、細かく見ていけばまだまだあるはずだ。すべてここ数年で制度化されたものか、新学習指導要領の施行とともに制度化されるものばかりである。

ぼくはこれらを考えるたびに溜息が出る。こんなものを、だれが同時にできるのか、と。これらすべてを真に受けて具体化し具現化できる学校が、果たしてあるのだろうか、と。

しかし、愚痴っても仕方がない。制度化される以上、学校に選択権はない。やらなければならないのだ。少なくとも形だけは整えなければならない。それが真に機能するかどうか別問題として、機能するように努力することだけは怠ることを許されない。それが政策というものである。

ただ、なぜ、こんなにも膨大な政策が次々に学校教育を覆い尽くすのかを考えるのは有益なことだ。

「主権者教育」は政治に無関心な国民が増えたために、長い目で見て教育の力によって国民の主権者意識を醸成することが必要と考えて掲げられたものだろう。「法教育」は裁判員制度の開始を控え、司法に参画することを国民の義務として定めた以上、教育の力によって国民の法意識を醸成しようと考えたものに違いない。「消費者教育」は消費社会がもたらした国民の自意識過剰と経済観念の崩壊に業を煮やした一部政治家・一部経済学者の提案であろうし、「食育」は日本の食文化の崩壊に危機感を持つ農水族の提案に違いない。「早寝・早起き・朝ご飯」運動はこの動きに小さくない理論的根拠を与えたはずである。

どれもこれも見事に、反論する余地のない「あったほうが良いもの」ばかりである。これらがあってもだれも困らない。むしろ「あること」を歓迎する。そういうものばかりである。これを歓迎しないのは、自らがただただ徒労的忙殺に浴さざるを得ない、全国100万の教員のみだろう。

しかし、「あったほうが良いもの」、もっと本音で言えば「なくても困らないけれど、あればなお良いと考えられるもの」が、堂々と学校教育の政策として、制度として掲げられるようになったのはいつの頃からだったろうか。

そんなに昔のことではないような気がする。少なくとも、90年代半ばまではこんなにも「あれもこれも」「次から次へ」という感触は、我々教師は抱いていなかった。どんな政策が策定されても、「うん、頑張ればできそうだ」と思うことができた。それがいまは……。

思えば、つい十年ほど前まで、「学校教育」はネガティヴ・リストで規定されていた。「偏向した思想教育はいけない」とか「特定の宗教教育はいけない」とか「体罰はいけない」とか「偏差値教育はいけない」とか「管理教育をし過ぎてはいけない」とか「教師が必要以上の権力をふりかざしてはいけない」とか、ちょうど憲法が国家権力の暴走に歯止めをかけるように、「○○してはいけない」という言葉で規定されていた。

それがいまは、完全にポジティヴ・リストで規定されている。「○○すべきだ」「○○が必要だ」「教師は○○しなければならない」「○○くらいできなければ教師とはいえない」といった、「あれもこれも主義」「次から次へ主義」による規定である。

なのに予算的な裏付けは一切なし。当然、人的な保障もなし。多くの地方行政は学校五日制さえ維持せよ、と言う。せめて教員の増員くらいしてくれればいいのだが……、いや、文科省がそれに動こうとした時期もあったのだが、それも大分の教員採用や管理職昇進に伴う汚職事件で立ち消えになった。

結局、ソフト面は増大!増大!増大! ハードの改革は一切なし。教員はただただ締め付けられ、なお一層の努力が求められる。そういう構造である。特別な能力のない、普通のおじさん・おばさん先生は肩身の狭い思いをし、能力のある教員たちは他人の何倍もの仕事を有無を言わせずに押しつけられてパンク寸前になっている。いや、既にパンクしている教員が何人もいる。そういう現実がある。

教員集団なんて、もともとそれほど能力のある者が集まっているわけではない。あの、偏差値教育時代に、どうにか努力してせいぜい偏差値55~60くらいを取り、地元大学の教育学部や教員養成カレッジにすべり込んだ人間たちの集団に過ぎない。スキルアップにも限界があると思うのだが……。

世論の動向とマスコミの報道を見ていると、「ポジティヴ・リスト的教育改革」が、再び「ネガティヴ・リスト的教育改革」へと移行する空気は、かけらも見られない。

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唯一のコツ

ひと月ほど前、「書斎日記」に「仲良く、楽しそうにしている大人が身近にいること」という駄文を書いた。この文章がなぜか評判が良くて、プログにコメントがいっぱいつくし、メールで感想がいくつも送られてくるし、ココログでも紹介されるし、様々なブログで取り上げられるしで、書いた本人としてはとても意外な思いを抱いた。

おそらく、多くの教師が「仲良く、楽しそうに」子どもたちの前に立てない現実があり、教師ではない、一般の人たちから見ても教師は「仲良く、楽しそうに」は見えないのだろう。ぼくの駄文が小さな反響を呼んだのはたぶんそのせいなのだと思う。

では、なぜ、多くの教師たちは「仲良く、楽しそうに」していられないのだろうか。

自分一人で常に楽しそうにしていられるほど、人間は個人的な存在ではない。人間は須く関係存在である。「楽しそうにしてい」られるのも、周りの人たちとのかかわりの中で、楽しい会話がなされ、楽しいひとときがあればこそ、いつも「楽しそうにしてい」られるのである。つまり、事の本質は「楽しそう」にあるのではない。「仲良く」の方にあるのだ。

昨年の秋から、仲間たちと数人で「中学校・学級経営セミナー」を開講している。学級経営のシステム、学校祭・合唱コンといった行事の指導、生徒指導のイロハ、学級リーダーの育て方といった、若手担任が問題意識をもつであろう事柄について、ちょっとだけ先輩の我々がきれい事を廃し、本音で、具体的に語る、というコンセプトである。

当初は10人も集まればいいと思っていたのだが、参加者は常に30人前後。毎回、新規の参加者とリピーターとが半々という感じで、これまでの3回で60人程度が参加していることになる。

また、当初は、参加者に若手教師を想定していたのだが、割と年配…というか30代後半から40代の教師もたくさんしていて、こんな海のものとも山のものともわからないセミナーに参加しようとするほどに、学級担任が困難な時代になっているのだなあ、と改めて実感した次第である。

さて、このセミナーには、必ず最後に「Q&A」のコーナーがある。参加者に質問事項を書いてもらって、それを全体の場に出してもらい、ぼくを含めた数人の仲間たちがそれに応えるという形をとっているわけだが、この質問事項の中に殊の外「同僚問題」が多い。つまり、職場の同僚との関係をどうすれば改善できるかというものである。特に、学年団の仲が悪くて学年団が機能しないのだがどうしたらいいかとか、学年団の中に独り善がりの教師がいて学年団の和を乱すのだがどうすればいいかとかいった質問が約半分を占めているのである。これまた、いつの時代も悩みの種の筆頭は人間関係なのだなあ、と改めて実感した次第である。だって、学級経営セミナーと銘打っているのに、出てくる質問が生徒や保護者に関してではなく、同僚に対する悩みだというのだから。

これを聞いてぼくは訊きたくなる。

「あなたの学年の仕事は充実していますか?」と。

仲がいいから仕事が充実するのではない。仕事が充実しているから仲が良くなるのである。職場の同僚が仲の良い者同士が集まった友達集団でない限り、仕事の充実があってこそ人間関係の改善があるのだ。この逆はない。職員室は大学のサークルや井戸端会議集団ではないのである。

ぼくがそういう質問に対してよく言う言葉がある。

「あなたがこの場でそんな質問をしているということは、日常的にそんなふうに思っているということにほかなりません。日常的に思っているということは、職場でもそれが表情や仕草に必ず出ているはずです。とすれば、その独り善がりの先生のせいばかりでなく、あなたも学年によくない雰囲気をつくっている張本人なのですよ。他人を変えることばかり考えていないで、自分も変わることを考えてみてはどうでしょうか。」と。

しかし、これではきれい事である。他人がなかなか変えられないように、自分もまたなかなか変えられないものだ。そこで更に言う。

「まずは、あの人のせいで生徒指導がうまくいかないとか、学年の仲が悪いから物事が前に進まないとか、そんな愚痴をやめることです。そして少しでも具体的な仕事を前に進める努力をしてみることです。できれば、周りの人を一人でも二人でも巻き込んで。だれも仕事がうまくいかないことを喜んでいるわけではありません。成果が出ないから、やっても無駄だと思うから、自分の仕事が徒労に終わると予測されるから、人は我が儘になり怠惰になるのです。まずは時間がかかっても、その負のスパイラルを壊さないことには、学年団は永久に仲良くなれないし、組織として機能することもあり得ません。成果が見えるから、人は努力できるのです。」

ぼくが4年前、学年主任になったときに一番考えたことは、どうやって学年教師に自分たちの仕事が成果を上げていることを実感させるか、ということだった。成果が出ているという実感があるとき、なんだかんだ言っても良い方向に進んでいるという実感があるとき、細かなネガティヴ事象は乗り越えられるものである。人間の心とというものは、そういうふうにできているのである。

繰り返しになるが、仲がいいから仕事が充実するのではない。仕事が充実しているから仲が良くなるのである。決して、その逆はない。

それだけが、ぼくら教師が「仲良く、楽しそうにしてい」られる、唯一のコツである。

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メタ認知とベタ認知

長年、学校教育の現場にも「メタ認知」が必要だと主張し続けてきた。鼻先のニンジンや足下の水たまりばかりに目を向けて、長期的な見通しをもつことなく社会学的に分析することもせずに、自分の身の周りに起こったことが世界のすべて…という教員があまりにも多いからだ。

ぼくはこういう人たちを、世界のすべてを身の周りのベタな小事象だけで認知している人々という意味で「ベタ認知」と揶揄してきた。彼らの気にかける事どもを、「メタレベル」に比して、「ベタレベル」とも揶揄してきた。

しかし最近、そういう人たちとは異なる、いや、真逆と言っていい人たちが教育現場に登場してきているのを感じている。「メタ認知」のみに興味をもち、「私には見えている。私はメタレベルに立っている。」ということだけをアイデンティティにして、その認識を「ベタレベル」に活かそうとしない人たちである。彼らのプライドを支えているのは、学校教育はこうこうこういう構造になっている、それを私だけが知っている、というものである。

形而下のみに生き形而上をもたぬ人間は確かに愚かかもしれないが、形而上の言葉遊びにのみ興じ形而下に踊らぬ人間は更に愚かである。

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