ほんとうにさらば、上篠路
3月が終わる。今日まで札幌市立上篠路中学校教諭だった自分が、札幌市立上篠路中学校教諭ではなくなる。
思えば、充実した4年間だった。初めての学年主任として3年間の持ち上がり。その後、再び1年生の学年主任として一年間を過ごした。
この4年間で得たものは多い。
第一に、それまで自分の学級のことだけを考えていればよかったものが、自分の学級づくりさえ、常に他の学級とのバランスを考えて行わなければならない。その手法をいくつか開発することができた。
第二に、学年間のバランスに思いを馳せたこと。学年内で学級間のバランスが必要だとすれば、それは学年間にも敷衍して考えなければならないはずだ。ただ、これについては、4年間では理論化することができなかった。
第三に、「FMCチームワーク指導」というそれまで頭の中で考えていたことが、現実の学年体制として具現化できたこと。そしてそれが機能したこと。この経験がぼくに「教師力ピラミッド」をつくらせた。しかも、組織には力のない人がいることも、総体的に大きな力になる、ということをぼくに体感させてくれた。これは今後、ぼくにとって大きな財産になる。今後、いかついぼくが、優しくなっていくきっかけになると思う。
第四に、若手教師の育て方について、一つの上達論が自分の中に形成されたこと。これは上篠路に赴任してこの4年間のT村とS藤、そして1年きりではあったがK輔・S臺という4人の若者といっしょに過ごす機会に恵まれたことが大きい。彼らのスキルアップを観察することによって得られたもののいかに大きいことか。彼らと組んで最も得をしたのは、実はぼくである。それを彼らは知らない。
第五に、授業技術の力量アップをはかる方法を生み出したこと。学年所属の先生方の授業を見て、その良い点・悪い点について逐一メモをとり、その先生に渡す。一ヶ月後にもう一度参観してみると見違えるように変わっている。またメモをとって渡す。更に一ヶ月後には……というように、ぼくはこの4年間、ずいぶんと同僚の授業の立て直しをはかった。彼らはみるみる授業がうまくなっていった。
第六に、ちゃんと日常の指導とつながった校内研修の在り方を編み出したこと。もちろん完成形ではないが、その方向性、ベクトルについて、ぼくははっきりと手応えを得た。
第七に、「現代的生徒の特徴」についてがっちりと分析したこと。学級の生徒はもちろん、学年の生徒の動きをこれまで以上に把握することのできるシステムを開発し、問題行動と日常の指導の関連、リーダー性と日常の指導の関連について、かなり念入りに分析した4年間だった。
第八に、「事実重視の生徒指導」の理論を実践化することができたこと。しかもそれが大きく機能し、成果を挙げたこと。ぼくは自己認識としては、4年間、ほとんど、生徒に「おまえが悪いんだろう!」という決めつけをしないで済んだ。第三の「チーム力」と相俟って、これを学年団全員で機能させられたことは大きい。
第九に、「生徒との距離感覚」のつくり方を学んだこと。ぼくは上篠路に来るまで、ある程度年が若かったせいもあって、生徒たちとべったりの関係になるタイプの教師だった。それが上篠路に来て学年主任にされたせいで、べったり型を若手に委ね、自分は生徒たちと距離を置いて接するようになった。それも、4年間で年々その距離感覚を広げて行った。最後の一年などは、ほとんど生徒たちと私的な会話を交わさなくなった。そしてそのほうが学級は締まるのだということを学んだ。
第十に、学年PTAである。保護者との付き合いこそ、地でおこなったほうがいいということ。ぼくはこの4年間、結局、保護者問題ではただ一つの苦労もしなかった。完全にこちらの意図どおりに支えていただくことができた。一度も不愉快な思いを抱かずに済んだ。最近では、まれなくらいに保護者に恵まれた。ただし、自分はいま、保護者と同世代である。なんせ、育ってきた時代が同じなので、保護者と感覚が非常に近い。彼女たちは間違いなく、若かりし頃、前髪をフワリと立てて、肩パット入った、イエローとかグリーンとかピンクのスーツを着ていたはずだ。しかも膝上20センチくらいのミニスカートのスーツを。更にはいま見るとおかしいくらいに太い眉毛で。そしてぼくはそういう同世代の女の子を見てきた世代なのである。どう考えても、いまのぼくは、保護者と付き合う教師としては一番の旬である。これが教師の世代を超えていえるのかどうかはあやしいということも意識しなければならないだろう。
いずれにしても、この4年間はI川さん、M野さん、N村さん、Y若さん、I葉さん、K木さん、I元さんらに大きく支えていただいた。特に、上篠路最初の年、学級委員を引き受けていただいたI川さん、O畠さん、K柳さんのおかげで、ぼくは上篠路で軌道にのることができた。学年ではN村さんに二年連続で学年代表になっていただき、I葉さんには三年連続で学年を支えていただいた。また、K木さんやHさんには、4年間常にぼくの学年にお子さんがいたこともあり、ぼくが上篠路にいた間の4年間、学年PTAや学級PTAで中心的に活動していただいた。ここに改めて感謝申し上げます。保護者にもいろんな人生があり、いろんな思いがある。彼女たちと飲んでいると、時間を忘れた。ぼくは彼女たちを生涯忘れないだろう。
この他にもたくさんある。4年間、学年副主任としてぼくを支えてくれたM子先生、ぼくに山菜採りを教えてくれたK藤先生、いつもいっしょに煙草を吸っていた用務員のO山さん……。そして、堀学年の一員として3年間、或いは1年間を過ごした98名+115名の生徒たち。上篠路は、ぼくの人生にとって、いい想い出だけで構成されるただ一つの学校になるに違いない。
ほんとうにお世話になりました。
そして、ほんとうにさらば、上篠路。
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