〈問い〉をたてる力
多くの人は〈問い〉をたてることができないようだ。特に「なぜ」という〈問い〉をたてることを苦手にしているようだ。
授業中立ち歩きをする子をする子がいる。ここで「どのように」という〈問い〉をたてるか、「なぜ」という〈問い〉をたてるかによって、その後の展開は大きく変わる。
多くの人は「どのように」という〈問い〉をたてる。どのようにすればあの子が立ち歩かなくなるのか、どのようにあの子を授業に引き込むか、どのようにあの子をおとなしくさせるか、こういう〈問い〉である。
こういう〈問い〉をたてると、自分は安全圏にいられる。「どのように」という〈問い〉があくまで「あの子」を変えるための〈問い〉であるからだ。
しかし、ひとたび、「なぜ、あの子は立ち歩くのか」という〈問い〉をたててみる。すると、考える対象が「あの子の行動」ではなく、「あの子の心象」「あの子の認識」「あの子の立場」といったものに向かっていく。そしてそれが見えないとき、「自分の心象」「自分の認識」「自分の立場」そして「自分の子どもを見る目」「自分の教師としての力量」といったものに向かわざるを得ない。これが教師を成長させる。
「なぜ」という〈問い〉をたてる力が必要である。
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