ぴーちくぱーちくと管理職が喧しい。管理職人事の内示が出たためである。おめでたい人、残念だった人、いろいろいるのは世の常である。それ自体はどうでもいいことである。自分たちの世界の中で嬉しがったり悔しがったりすればいい。
しかし、どうでもいいこととして放っておけないことがある。それはかつて、管理職を目指しながら努力をした時期をもち、結局は昇進することができずに「使い捨てにされた」とふてくされているタイプの教師が決して少なくないことである。
彼らは職員室で要職に就かないことを当然の権利ででもあるかのように主張する。もちろん表だって主張する者などいない。彼らはこの手の主張を学校長との校内人事面談で行う。つまり、陰で主張するのである。
おそらくそこでは、自分は成功した者として、或いはぎりぎりでなんとか引っかかった者としての現在をもつ校長達が、若干の贖罪意識と若干の心の痛みを抱いて、そのエゴイスティックな主張を認めざるを得ない。そして、40代の有望株になんでもかんでも役職を当てようとする。しかも、「君に期待している」「管理職試験を受けてみては」と、ニンジンをぶらさげてである。
まあ、ここまでは世の常であるから仕方ない。
問題は、そうして仕事を抱えた40代があまりの忙しさにつぶれてしまうことがあることだ。例えば、担任をもちながら学年主任を務め、学年の生徒指導に走り回りながらも、校務分掌上は教務あたりの中核を任され、教育課程の編制も実質的に司る、もちろん部活ももつ、こんな40代が各学校に二人程度いるのではないか。副担任はふてくされて仕事をしない50代と、楽な仕事しか与えられない期限付き採用ばかり。その結果、40代に30代をフォローする余力がなくなり、30代にも20代をフォローする余力がなくなる。いま、そんな現実があるように思う。
こうした現状を黙って見過ごしていては、おそらく早晩、学校は壊れてしまうだろう。
いま、18歳人口の教員志望者は3.6%。1988年に5.4%だったことと比較すると、教員志望者は確実に減り続けている現状にある。なのに団塊世代の大量退職が進んでいる現在、新卒者の採用間口は大きくなる。つまり、今後、質のいい若者が学校教育の世界に入ってくる傾向にはないわけだ。
では、どうするか。質のいい若者が入ってくるようなナイスアイディアがあるか。
あるはずもない。では、どうするか。
どう考えても、「育てる」しかない。しかも、OJT(オン・ザ゜・ジョブ・トレーニング/現場での実践研修)でである。
そう。いまこそ、実は、中堅・ベテランに余力をもたせなければならないのだ。
世の中には優秀な、いい管理職がたくさんいる。しかし、その一方で、こんな簡単な道理も理解せずに、連絡調整に徹して毎日をやっとしのいでいるだけの、能力のない管理職もいっぱいいる。
ふてくされてる連中を、職務命令を出してでも働かせよ。
結局は、ここに行き着く。贖罪の感傷なんぞに浸っていては、学校がこわれるぞぉ……(笑)。まあ、終戦時の日本のように、一度壊してみるのもいいかもしれないけどね。生きよ墜ちよ、って時代もあったことだし。
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