第22回累積国研in札幌
コメンテーターとして参加。準備のいらない研究会なので、前日からお気楽。ただし、当日、授業を見るうえでは集中力が必要。そういう一日。
テーマは〈道内実践家模擬授業12連発!新指導要領キーワード「PISA型読解力」「言語活動例」「特別支援」/「活用力」を高める国語科授業モデル〉というもの。累積国研の模擬授業12連発企画の6回目である。そのうえで、新指導要領のもととなる「PISA型読解力」や「言語活動例の具体化」、更には今後の学級経営・生徒指導のキーワードともなっていくであろう「特別支援教育」の視点をも盛り込んだ、盛りだくさんの内容となった。
まずは、「活用力を高める〈話し合いを重視した〉授業モデル」という3本。高橋正一先生、加藤恭子先生、山下幸先生の3人の模擬授業を25分ずつ、それに南山潤司先生、大野睦仁先生、私の3人が解説を加えるというもの。
①高橋正一先生の授業は物語文を用いて行う後の話し合いに向かって、話し合いのテーマに関連する必要最低限の視点を発問の形で簡単に確認していき、後の話し合いの糧にしようとするもの。現行指導要領の「詳細な読解」批判の延長上にある、ゆるやかな読解+話し合いの授業だった。参加者の一部にはこのことが見えなかったようで、何をやっているのかわからないとの声も聞かれたが、私には「授業モデル」としてはよくできているように思えた。こういう単発1時間のゆるやかな授業が繰り返されることによって、子どもたちには間違いなく力がついていく。
②二つ目の授業は加藤恭子先生。彼女のプログを読むと、ずいぶんと緊張したようなことが書かれているが、そうした素振りは参加者には見えず、堂々としたものだった。授業もうまい。しかも教材づくりも授業を進める語りも実に丁寧で、子ども達にとっても、わかりやすい授業になっているである。授業段階としては、話し合いの条件(=指導事項)を精選してしっかりと確認し、4人グループによるスピーチ・質問・感想を言い合う場を設定して実際に活用させよう、という授業。専門的には「活用の授業」というよりは「習得の授業」に近い印象を受けたが、指導事項と学習活動がしっかりと合致しており、活動中の指導言にも説得力があって、たいへん好感のもてる授業だった。小学校2年生を想定しているにしては、やや指導事項が多かったか。しかし、それはこの1時間で定着させるものではなく、全体像を示したのであろう。教材に目玉親父が出てきたり、パックマンが出てきたりというところに、彼女の世代を感じさせる(笑)。
③山下幸先生の授業は、参加者に総理大臣の資質を考えさせ、それをまとめさせた後、島田紳助・北野武・太田光・東国原英夫の4人を提示して総理にふさわしい人物順に順位付けをさせ、4人で話し合うという授業。だれが一番ふさわしいかということを楽しく話し合いながらも、総理の資質について始めに自分で考えていたことが深まっていく、それを参加者が自覚していく、そういう構成をねらった授業である。ただ、総理の資質について話し合いで深まっていく過程を自己評価させる手法が少々甘く、ねらいが伝わらなかった面がある。そこが反省点である。
次に、「活用力を高める〈自主教材を導入し生活と結びつけた〉授業モデル」という3本。山口淳一先生、齋藤佳太先生、小木恵子先生の3人の模擬授業、解説は高橋裕章先生、田中幹也先生、石川晋先生の3人である。
①山口淳一先生の授業は紙飛行機の作り方の解説書において、写真の説明を簡単な一文でつくらせるというもの。アンケートの結果を読むと、参加者の評価は真っ二つ。しかし、実生活と結びつけるという要求にはよく応えた授業だったと感心した。特に、作文指導というと長々と説明させる、データを用いて説明させる、できるだけ具体的に説明させる、といった方向に行きがちだが、敢えて短く、わかりやすく、解説書の表現と読み手側とのコンテクストに意識を向かわせ、どう表現すれば短い言葉で間違わせずに伝えることができるかという、現実的な視点に注目したのは見事である。こういう視点は現代社会にとって、きわめて重要な視点だと思われる。
②齋藤佳太先生の授業はたいへんよく練られた、よくできた授業だと思われた。環境に配慮しつつも、自動車の良さを失わない、そんな新型自動車を開発しようという授業だったが、車に乗ったことがないという架空人物を想定した導入、その教材文の創作、現実の環境破壊や自動車の危険性を示したデータ、等々、最大限の配慮がなされていた。ただし、最後の作文のフォーマットが具体的に示されなかった点、配慮が豊富すぎてそれぞれが学習者の中でぶつかり合ってしまった向きがある点など、授業構成には改善の余地がある。しかし、6~7年の経験でここまでの配慮ができれば、今後、ぐんぐん伸びていくことは間違いない。他人の意見に惑わされず、自分で納得のいく授業をつくり続けて欲しいと思った次第である。
③小木恵子先生の授業は、フライドポテトの農薬や遺伝子操作の危険性を指摘する文章を三種類読ませ、そこから想定される社会の動向、変化について考えさせようとする授業。商品を批判するときに何に配慮しなければならないかということを考えることによって、かえって批判読みの仕方について体感させようという授業だった。教材がおもしろいだけに、もう少し批判読みの指導事項を整理して臨むと良かったかもしれない。ただ、私にも経験があるが、重箱の隅に目を向けさせるのではない、真正面から批判読みをさせるという授業はなかなか難しいものである。小木先生の更なる教材開発を糧に、批判読みのモデルを「ことのは」でつくっていきたい。
昼休みをまたいで、午後は「活用力を高める〈特別支援教育を意識した〉授業モデル」という3本。三浦将大先生、北嶋公博先生、平山雅一先生の3人の提案、大野睦仁先生、石川晋先生の解説というコマである。
①三浦先生の授業は、普通学級で特別支援を意識しなければならない現状にある教師にとっては、かなり参考になった授業ではなかったか。細かな授業技術が必要だとはよく言われるが、あそこまで徹底して丁寧に行う意識をもった授業はなかなか見ることができない。しかも、三浦先生のすごいところは指導事項のレベルを一切落としていないこと、である。これにはもちろん、賛否両論があると思うが、現実的な対応を考えたとき、あの授業はかなり提案性があると見た。もちろん、国語的には解答の抜き出し方に難があったり、論拠の抽出が甘かったりといった問題点はあった。しかし、それらはすべて、最後まで授業を受けてみると、そういう細かなところにこだわるよりも先に進めることを選んだ授業者の意図が伝わってくるものだった。こういう優先順位の感覚をもっと前面に出すと説得力を増したかもしれない。
②北嶋先生の講座は、参加者にかなり衝撃を与えたようである。一人一人に対応するとか、現実的な教師の立ち位置とか、それでいて核心的な特別支援の思想をはずさない構えが必要であることとか、北嶋先生の言わんとしていることはすべて参加者に伝わったことと思う。それにしても、やはり特別支援を専門にしている方が持ってくる具体例には圧倒される。今回は8例を挙げてのプレゼンだったのだが、その8例がともに普通学級にも置き換えられる子がいて、おそらくはそれを見越しての提案内容であり提案準備だったのだろうと思うとき、改めて北嶋さんの眼力に恐れ入る。今後、彼は北海道の宝の一人になっていくだろう。前線で実践していく人間も大いに必要だが、そうした一つ一つに価値づけ、広めていく人間はものすごく希少価値である。
③平山先生の授業は「弁護士になろう」ということで、喧嘩の一場面から事実を抽出、被告側の弁護を通じて、認識力と表現力に培おうという授業。全体の見通しを最初にもたせたり、ビデオを通じて視覚に訴えることで興味関心を喚起したりと、様々な工夫を凝らしてはいたが、「特別支援教育」の提案と言えば小学校教師のそればかりを見てきた自分には、明確な意図が読み取れなかったというのが正直なところ。僕が「特別支援」を意識しながら授業をするときには、発問・指示の的確性と一時一事の細分化ばかりを意識しているので、三浦先生の授業に比べて荒いという印象を受けた。どういった意図があってあのような授業になるのか、次回、尋いてみようと思う。
最後は、「活用力を高める〈非連続型テキスト(図表など)を効果的に扱った〉授業モデル」の3本。大野睦仁先生、太田充紀先生、森寛先生の模擬授業3本に、南山潤司先生、高橋裕章先生、田中幹也先生の解説。
①大野先生の授業は、ハワイの旅行パンフから情報を読み取り、参加者をうまくノセながら非連続型テキストの構成の仕方を学んでいくもの。楽しく授業を進めていったが、その楽しさがかえってハンフを読み取る〈目的意識〉の曖昧さを生じさせてしまった感がある。個人的には、学習者をノセていく授業こそ、実はフレームをかなりきつくしなければ思考が散逸してしまうのだなあということを学ばせてもらった授業だった。ただし、それはこういう場で提案するときの話で、実際の子ども相手の授業だったら、適宜、修正的指導言を施しながら進めていくことにして、最初は自由にというほうが機能する場合も多い。いずれにしても、大野先生の力量を感じさせる授業だった。
②太田先生の授業は、小学1年生の「はたらくじどう車」。バスの説明からフォーマットだけを取り出して、ショベルカーの説明を自分で実際に書いてみようという流れ。バスの説明から情報を取り出すとき、ショベルカーの要素と機能を把握させるうえで、写真資料が効果的に用いられていた。再度、本文に戻って、検討することができたらなお良かったが、それは25分の模擬授業では無理だろう。話術も巧みで、条件の中では最高のものを提示した。それにしても、太田先生のこの2年くらいの成長ぶりには驚かされる。教材研究や授業づくりの力が伸びたことはもちろんだが、プレゼンに安定感が出てきた。子どもができて、彼の中で、もしかしたら無意識のうちに、何か世界観の変容のようなものが起こっているのではないか。旦那の安定感を奥さんにも早く見せてあげたい。
③森先生の授業は、新聞記事を題材に本文読解とグラフの読解とを関連させながら、連続型テキストと非連続型テキストの読解力の伸張をともにねらったもの。授業に安定感はあったものの、あの授業は突き詰めていけば連続型テキストと非連続型テキストの相互作用にこそ本質があるはずで、そこまでの意識が残念ながら見られなかった。非連続型テキストの読解は、〈PISA調査〉が話題になって以来、重要案件の一つになっているのは事実だが、非連続型テキストの読み方を独立的に習得させることは、初期段階の指導である。あくまでも連続・非連続の関連性をこそ授業する、そういう授業の在り方を追究していく必要性を感じた。これは森授業批判としてではなく、自分の課題として、である。
以上、長々と述べてきたが、累積国研も20回を超えて、中身の濃さと楽しさとが両立するようになってきた。そろそろ、次の段階をどうしようかと意識しなければならないということを、自覚した一日となった。終了後は、森くん、山下くん、佳太くんといっしょに、次の回の企画を立てた。模擬授業12連発とは異なった形で、しかも今日的なテーマを広く深く扱える、そんな企画を構想したい。ただし、模擬授業12連発という企画も捨てられない。この企画は年に一回はやりたい、そんな企画の形である。
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