ハイパー・メリトクラシー
企業も行政もマスコミも世論も、いま必要なのは「コミュニケーション能力」だという。では、学力や学歴はかつてと比べて不必要になったのかというと、決してそうではない。学力や学歴は「前提」として位置づけられ、人々の言から後退しただけである。
つまり、「あるのが当然のもの」になったのだ。
だから、「いま必要なのはコミュニケーション能力だ」ではなく、「学力・学歴だけでは足りないですよ、コミュニケーション能力もなければいけませんよ」というのが現実である。こういえば、若者も危機感をもつのだが、マスコミや企業のレトリックと言おうか、「コミュニケーション能力」だけを前面に押し出して、ウケのいい言い方をしている。
このことは、採用試験において「コミュニケーション能力が足りない」という曖昧な言い方で不採用を決めたり、「コミュニケーション能力が足りない」という曖昧な言い方でリストラできる現実を生んでいる。つまりは、学歴だけで一生が安泰ではない社会を生んでいる。
では、学歴がなくても「コミュニケーション能力」があればいいのかといえば、残念ながら、世の中そんなに甘くはないようで、学力・学歴がなければスタートラインに立てないという在り方は70年代・80年代と同じなのである。
結局、「安定した生活」というものを得られる階層が毎年毎年、いや日に日に狭められているということだ。
いま目の前にいる子どもたちの将来はどうなっていくのだろうか。きっとぼくのようなお気楽な人生は送れないのだろうと可愛そうに思われ、心配にもなる。
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