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2009年1月

教師にとって最も必要な資質

教師にとって最も必要な資質…

それは「いつも笑っていること」である。

もちろん、これだけでいいなんていわない。でも、自分は学年主任として、いつも苦虫を噛んだ表情をしている力量のある教師と、いつも笑顔でいる力量のない教師なら、自分の学年には絶対に後者が欲しい。

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仲良く、楽しそうにしている大人が身近にいること

野中さんが今日のブログで次のように述べている。

「教師としての力量をつけるとは、授業の力量も学級経営の力量も必要だが、最も必要なのは、このような小さなことに眼を向けることができる視線だ、と思ってしまうのである。/神は、いつも細部に宿り給う。」

これは野中さんが小学校1年生の学級を訪問した折、先生の指示を待たずに子ども達が体操着に着替えていたというのに、担任がそれを褒めなかった、小さな、細かなことを見つけて褒めてあげれば1年生は集団として育つのに……、教師には小さな、細かなことを見つける眼が何よりも必要だ、概ねこうした論理によって導き出された結論である。

なるほどその通りである。

ただ同じ文章の中に、次のようにあったことがぼくの中で引っかかった。

「今、集団としてきちんと成立してくるのは、実は、高学年ではなく、3年生までの低、中学年であると思っている。」

言いたいことはわかる。しかし、中学校教員であるぼくは、これを認めるわけにはいかない(笑)。「今、集団としてきちんと成立してくるの」が3年生までだということは、高学年はなかなか「集団としてきちんと成立して」こないということである。そこからもっと広げれていけば、中学生は絶望的ということになってしまうではないか(笑)。

中学校の側から野中さんの意見に補足するなら、こういうことになる。中学校の教師にとっても「最も必要な」ものは「授業の力量」でも「学級経営の力量」でもない。それは小学校教師と同じである。しかし、中学校教師にとって「最も必要な」ものは、実は「小さなことに眼を向けることができる視線」でもないのである。

中学校では、授業が特別にうまいわけでもなく、学級経営について特に勉強しているわけでもない、そんな教師がなぜか「いい集団」をつくっている場合がある。例えば、部活動を全国大会に連れて行くような教師は、学級経営で特別何かをしなくても、いや、むしろほったらかしにしているのに、なぜかいい学級をつくり、いい集団をつくっていることが多い。

では、この教師は部活を強くしたという実績が生徒達に認められているから、いい学級がつくれるのだろうか。

決してそうではない。こうした教師は「自信にあふれた態度」で生徒達の前に立つ。朝も昼も夕方も、自信に満ちあふれた表情で生徒の前に立つ。それも、毎日毎日、その表情を崩すことなく生徒の前に立ち続ける。背筋を伸ばし、胸を張り、生徒にその姿を示し続ける。これが思春期の子ども達に無意識的に「モデル」として機能する。「誇り」の何たるかを子ども達に無意識裡に学ばせる。自信にあふれ、人生を楽しみ、他人に影響されない、簡単に言えば「ぶれない」、そういう姿勢である。

いま部活教師の例を挙げたが、そんな豪快なタイプの教師でなくてかまわない。「ぶれない自信を糧に自らの人生を楽しむ」、その姿さえもっていれば、老若男女、そういう教師が「いい学級」をつくり、「いい集団」をつくる。叱ったり、怒鳴ったり、そんなことさえほとんどいらない。それが中学校である。

この傾向は中1も中3も変わらない。中学生は「あの子が褒められている。じゃあ、私も…」となるほど単純ではない。そんな精神的調教のようなものには乗ってこない。おそらく、小学校高学年においても事情は似ていて、野中さんの言うような「神は細部に宿り給う」をストレートに展開した学級経営では「集団としてきちんと成立して」こないのである。

野中さんの言う低学年的手立てと、私のいう中学校的手立ての分岐点といおうか、結節点といおうか、そういう重層的な時期が高学年のどこかにあるのではないか。おそらくそういうことなのだ。

私の印象を言おう。小学校高学年の担任教師達は、①きれい事を並べ、②精神的に余裕がなく、③細かいことにまでいちいち口を出し、④時にヒステリックに説教し、⑤遊び心をもたない、こうした要素を二つから三つ程度具えている、そういう人が多い。子ども達の毒舌的ジョークに眉をひそめ、きれい事をいわない子どもを嫌い、自分のいうことを聞く子どもを「リーダー性がある」と勘違いする、そういう人が集団に隙間風を吹かせる。私が勝手に言っているのではない。すべて子ども達が言っていることである。もちろん子ども達のいうことだから、誇張もあるだろう。しかし、こういうふうに捉えている子がいるということは意識した方がいい。

「ぶれない自信を糧に自らの人生を楽しむ」

この姿勢をもたない教師が、いくら子どもを褒めてみても、それは空中を浮遊するだけなのだ。反対にこの姿勢をもっている教師のちょっとした褒め言葉は、本人が何も期待していないときでさえ、言葉が勝手に機能していく。細かな配慮さえ「自信に満ちた、楽しむ教師」にしか機能させ得ない、そうでない教師の配慮は「偽善」と解される、それが中学校なのである。

私は20年近い中学校教師生活において、担任の仕事は「ぶれない自信を糧に自らの人生を楽しむこと」、学年主任の仕事は「学年教師がいつも笑い合っている姿を生徒達に見せ続けること」、学校長の仕事は「学校の全職員がいつも笑い合っている姿を生徒達に見せ続けること」、こう考えるに至った。私がここ数年、「チーム力」を力説するのもこの意味においてである。決して細かく役割分担を決めて機能させようなどということを言いたいわけではない。

「仲良く、楽しそうにしている大人が身近にいること」

これにまさる高い教育効果はない。

これを親が示し続けられたら最もいいわけだが、このご時世では少々難しいようだ。離婚が増えているとか、母子・父子家庭が多いといったような話ではない。現代社会の構図に家庭で疲れを見せずに楽しげな表情で過ごすことが難しくなってきている、という意味である。

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卒業させられない学級

1月が終わった。いま担任している1年1組の登校日があと35日となった。

1年生を担任するといつも思うことは、1年生の担任はしたくないな、ということだ。自分が担任した生徒たちをなぜ、自分が卒業させられないのか。卒業式で、なぜ自分がこの子たちの名を呼べないのか。そういう思いに駆られる。

新卒で担任した1年2組。A・Y、A・K、U・T、O・T、K・Y……ぼくはいまだに20年近く前のこの学級を出席番号順にすべて言える。いや、この学級だけではない。担任した11学級をすべて言える。現在担任している28人を含めて、ぼくが担任した生徒は367名だ。この中には中国人やブラジル人もいた。逮捕された者もいるし、海で死んだ者もいる。修学旅行代を親が払ってくれなくて、ぼくが「出世払いでいい」と出してやった女の子もいた。彼女は初ボーナスでぼくに修学旅行代を返しに来たっけ。

そして卒業させられなかった学級はこれまでに3学級。現在の学級が4学級目になる。学級解体があって卒業させられなかった1年生が3学級、そして新設校ができて学校分離で解体せざるを得なかった2年生が1学級である。

こんな思いを抱いてきたぼくは、3年生を卒業させるといつも2年生を希望してきた。札幌市は2~3年は持ち上がりが多いからだ。いまの学校に来てからは、そういう我が儘も通らなくなった。年齢を重ねて学年主任ばかりやらされ、1年から3年まで持ち上がるからである。

まあ、それでも学級担任ができるだけ「良し」としなければならない。ぼくはいまだに教師生活で副担任を経験したことがない。一度、学級というものを外から眺めればある種の勉強にはなるのだろうが、担任だけははずれたくないのである。

人は教師という仕事を選ぶとき、担任になりたいから教師を選び、担任になりたいから教師になるのである。授業で学力を向上させたくて教師になる人間はいない。教頭や校長、指導主事になりたくて教師になる人間もいない。だって、「二十四の瞳」の大石先生も、学園ドラマの中村雅俊も武田鉄矢も水谷豊も西田敏行も田原俊彦も、みーんな担任だったもの(笑)。担任だから教師なのである。

「卒業させられない学級」があと35日で終わる。

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死刑執行4人

死刑が政治的意図と密接にからむようになっている。今回は確定から2年で一人、2年半で二人が処刑された。宅間守の死刑が確定から約1年で執行されて以来、確定から執行まで8年前後というそれまでの慣習は崩れた。これが裁判員制度や厳罰化による抑止力と無関係とはとても思えない。

酒鬼薔薇聖斗事件の渦中で少年死刑囚永山則夫の刑が執行され、秋葉原通り魔事件の9日後に宮崎勤の刑が執行された。ここに政治的な意図がないともとうてい思えない。

死刑制度がある以上、それに表だって反対はしないが、いかに合法とはいえ「あくまでも合法的な殺人」である以上、国民の一人として、せめてそこに政治の匂いを感じたくない。

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不惑

十年来の友人が悩んでいる。悩んだ挙げ句、わがままを言い出した。なんと授業公開もやめて研究会への登壇もやめるという。なんだかなあ……。

まあ、好きにすればいい。何を言ったって奴が聞く耳をもつわけもない。それは、奴が何を言ったって、ぼくが聞く耳をもたないのと同じだ(笑)。

それにしても、不惑を迎えて惑うところが奴らしい。

いつまでも浮遊し続ける、くらげみたいな奴だ。

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3ミリ

去年の9月、体調が悪くなっていろんな病院に行った。どこの病院に行っても「異常なし」と言われた。自己診断してたばこをタール12mgから6mgに変えたら直った。

それから4ヶ月が経過。今日、3mgをカートンで買った。去年の8月まで吸っていたたばこの1/4への挑戦である。別にやめる気はないのだが、あの原因不明の体調不良がぼくに影をおとしている。

かつて12mgの赤LARKを日に4箱吸っていた時期があった。それなのに、ああ、それなのに……。こんな自分に対して自己分析する必要がある。

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現実への逃避

すごい言葉に出逢った。現代が「現実への逃避」の時代だというのである。

「現実からの逃避」ではない。「現実への逃避」である。このフレーズが目に飛び込んできた瞬間、衝撃が走った。一気に視界が開けた。

わかりますか?この感動……。

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ハイパー・メリトクラシー

企業も行政もマスコミも世論も、いま必要なのは「コミュニケーション能力」だという。では、学力や学歴はかつてと比べて不必要になったのかというと、決してそうではない。学力や学歴は「前提」として位置づけられ、人々の言から後退しただけである。

つまり、「あるのが当然のもの」になったのだ。

だから、「いま必要なのはコミュニケーション能力だ」ではなく、「学力・学歴だけでは足りないですよ、コミュニケーション能力もなければいけませんよ」というのが現実である。こういえば、若者も危機感をもつのだが、マスコミや企業のレトリックと言おうか、「コミュニケーション能力」だけを前面に押し出して、ウケのいい言い方をしている。

このことは、採用試験において「コミュニケーション能力が足りない」という曖昧な言い方で不採用を決めたり、「コミュニケーション能力が足りない」という曖昧な言い方でリストラできる現実を生んでいる。つまりは、学歴だけで一生が安泰ではない社会を生んでいる。

では、学歴がなくても「コミュニケーション能力」があればいいのかといえば、残念ながら、世の中そんなに甘くはないようで、学力・学歴がなければスタートラインに立てないという在り方は70年代・80年代と同じなのである。

結局、「安定した生活」というものを得られる階層が毎年毎年、いや日に日に狭められているということだ。

いま目の前にいる子どもたちの将来はどうなっていくのだろうか。きっとぼくのようなお気楽な人生は送れないのだろうと可愛そうに思われ、心配にもなる。

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履修主義から習得主義へ

授業で説明したでしょ?ちゃんと勉強しなかったから点数取れなかったんだよ。

授業でちゃんと説明してるのに、あいつ寝てて聞いてないもんな。あれじゃ、できるようになるわけないよな。

本人も保護者も進級を希望していますし、学年や学びの支援委員会からも「進級させたい」との旨、意見が挙がっておりますので、総合的に考えて進級を認めていきたいと考えております……。形だけの進級認定会議・卒業認定会議。

これらはすべて、我が国の「履修主義」の教育の産物だ。そろそろ本気で「習得主義」に移行した方がいいかもしれない。

今日の放課後、動詞の活用表づくりの補講をおこなった。ぼくから見て、この補講を受けて欲しいなという生徒、つまりぼくが授業で取りこぼした生徒(言葉は悪いが)が10人いたのだが、特に強制しなくても「やる気があったらおいで」と言っただけで8人が自主的に参加した。やっぱり生徒は「わかりたい」のかもしれない。「勉強の価値が低下した」「勉強が必ずやらなければならないことではなくなった」などと言われる。「最近の子どもたちには勉強ができないことに誇りを感じるものさえ出てきた」などと主張する者さえいる。しかし、活用表づくりなんていう、実社会ではほとんど役に立たないものでさえ、しかもテストでもそれほど配点の高い領域ではないものにさえ、10人中8人はおどおどしながらもやってくるのである。「わからないことが悔しい」とか、「もっと点数を上げたい」とかいう覇気でやってきているようには見えなかった。

8人はこれまでわからなかったことが理解できて、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて帰って行った。

ぼくの授業システムは追試と補講の繰り返しがあって、少しだけ「習得主義」に近い。

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多忙と多忙感

多忙と多忙感とは異なる。

多忙でも多忙感を抱かない人もいるし、多忙でなくても多忙感を抱く人もいる。だからといって、あなたは忙しいのだからもっと多忙感を抱いては?というのは余計なお世話だし、あなたは「忙しい忙しい」と言っているけどたいして忙しくないでしょ!などというと喧嘩になる。

最近よく、考えることがある。みんな教師が忙しくなった忙しくなったというけれど、いったい何がどう忙しくなったのだろうか。

例えば、会議が増えたという。しかし、ぼくが新卒の頃も現在も、会議は学年会・校務部会・職員会議の三つが基本だ。その他に「運営委員会」とか「教育課程委員会」とか「学びの支援委員会」とか「学校保健委員会」とか「学年主任会」とかあるにはあるが、それは主任クラスが出る会議であって、全員が出なければならない会議ではない。すべて80年代だって90年代だって、存在した会議である。

例えば、文書提出が増えたという。確かに教務主任や生徒指導主事、校長・教頭が提出しなければならない文書は明らかに増えている。しかし、一般の教員が提出しなければならない文書なんてほとんど増えていない。なのに、「忙しい」と言っているのが教務や生指でも教頭でもなく、一般の平教員であるのはどういうわけか。

例えば、6時間授業が増えて放課後に余裕がなくなったという。しかし、70年代までは毎日6時間授業ばかりのうえに土曜日まで4時間の授業があったわけで、なのに当時の教員がそれほど多忙感に見舞われていたという話を聞かないのはなぜだろうか。

例えば、部活があって土日がないという。しかし、これも、言うまでもなく、いまに始まったことではない。

このように一つ一つつぶしていくと、実は教員は忙しくないということがわかってくる。教員は決して「多忙」ではないのだ。おそらく変化したのは「多忙感」のほうである。

全国学力・学習状況調査の結果が目の前の子どもたちに学力を保障せよと迫ってくる。しかも、学習指導要領が「英語教育」「国語教育」「理数教育」「健康の増進」と次々に学力向上路線を強いてくる。おまけに、「主催者教育」「法教育」「食育」「消費者教育」など、時代に合致した教育を求められる。教員評価制度が個々の教員を相対評価してくる。教育行政が免許更新制なんて排除の論理をかざす。家庭の事情で仕事を持ち帰ろうとしても、PCやメモリースティックが盗難に遭い、個人情報が流出したというニュースが気にかかる。いじめが起きれば、滝川や福岡の事例が思い浮かび、腰の引けた対応で落としどころを決める。反抗してくる子どもの後ろにいる保護者の顔が浮かび、子どもを成長させることよりも、保護者からのクレームが来ないことを基準に対応を決める。そのうちに給与カットで「こんな苦労するほど給料もらってないよ」という愚痴も出る……。

こうした様々なプレッシャーが、かかった時間と労力以上の「多忙感」を抱かせるのだ。

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学校教育の悪循環

国民の信頼・支持の不足→財政当局への説得力不足→条件整備の不足→教員の多忙化→教育改革への期待はずれの結果→国民の信頼・支持の不足〈『学力と階層』苅谷剛彦・朝日新聞出版・2008年12月・P284〉

苅谷さんにしてはやけに単純なサイクルを挙げたものだなあ。

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おまかせします

人間は我が儘なもので、期待が大きいとプレッシャーがかかると嘆き、期待が小さいとやる気が出ないと嘆く。

人間は我が儘なもので、好きな人に大きな期待をかけすぎてつぶしてしまい、嫌いな人に期待できないと告げてやる気をなくさせる。

果たして期待は、大きい方がいいのか、それとも小さい方がいいのか。

実はどちらもよくないのだ。大きな期待につぶされるのも、小さな期待にくさるのも、ともに驕りが要因である。人に期待しすぎるのも、人に期待しないのも、自らの驕りが言わせていることに気づかない。

その人が好きでも嫌いでも、その人を買おうが買うまいが、「あなたを信じておまかせします」と言うといい。「まかせる」と言われたとき、それが人間がもっとも力を発揮するときである。ネガティヴな感情もネガティヴな関係も好転していく、そのための大いなる一歩を踏み出すことができる。

おまかせします……なんと美しく、おくゆかしいことばだろうか。

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フォーマット

執筆依頼書は「型にはまれ」と言う。

型にはまると薄くなる。濃くすれば難しくなる。とかくこの世は書きにくい。

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多様化社会

「聖職」と呼ばれる教師がいて、「熱中先生」と呼ばれる教師がいて、「役人」と呼ばれる教師がいて、「サービス業」と呼ばれる教師がいて、「窓際」と呼ばれる教師がいて、「河原者」と呼ばれる教師がいる。

「聖職」を求める保護者がいて、「熱中先生」を求める保護者がいて、「役人」を求める保護者がいて、「サービス業」を求める保護者がいる。その求めとズレたとき、職員室は彼を「窓際」と呼び、社会は彼を「河原者」と呼ぶ。

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パーソナル・メディア

ある本を読んでいて「パーソナル・メディア」という語と出会った。携帯電話やパソコン、コンピュータ・ゲーム、テレビ、ラジオなどを総称して「パーソナル・メディア」と呼ぶそうだ。一般的にどの程度普及している言葉なのか、ぼくは知らない。ふつうの人には当然の用語なのかもしれない。でも、この語を目にして目の前が開けた感じがした。

人は「パーソナル・メディア」と対峙する時間が長くなるとともに、無意識に他人をも「パーソナル・メディア」として扱う癖がついてしまったのだ。そしてそれに慣れてくると、他人によって「パーソナル・メディア」として見られている自分をも意識するようになる。それが傷つけ合わない人間関係、空気を読み合う人間関係をつくるに至ったのだ。

たったひとつの言葉がいろいろなことを気づかせてくれることがある。語彙とはそういうものである。

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ぺいでい

ぺいでい。

周りからため息が聞こえる。ため息が始まって2年以上が過ぎた。

不謹慎というなかれ。食うや食わずのやつもいる。しかし、人は自らの物語の中にしか生きられない。不謹慎と叫ぶ理由もまたあなたの物語に過ぎない。

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迷惑

二種類の人間がいる。

休んで迷惑をかける人と、いるだけで迷惑な人と。

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昇給止

ちょっとだけ休むことを「小休止」といい、ある号俸まで行くと昇給が止まってしまうことを「昇給止」という。

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今井さん

今井さんは魔法使いだ。ぼくを楽にしてくれる。

休んでも運動してもまったく効果がなかったのに、今井さんが60分間ぼくの背筋を揉むと、ぼくの腰が楽になる。

昨日もいった。

今日も行った。

明日も行くかな?

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レール

敷かれたレールは楽だけどつまらない。自分で敷くのは楽しいけど難しい。その難しさに楽しさを見つけられた者だけが、レールを敷き続けられる。

こんな単純なことにみな気づかない。みなが気づけないのはそれを経験するための一歩を踏み出せないからだ。

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醜女信仰と純粋信仰

井上章一『美人論』(朝日文芸文庫/1995.12)によれば、修身教育は醜女賞賛・美人排斥の論理を抱いていたという。例えば、「中等教科・明治女大学」(1906)には「美人は往往、気驕り心緩みて、却って、人間高尚の徳を失ふに至るものなきにあらず……之に反して、醜女には、従順・謙遜・勤勉等、種種の才徳生じ易き傾あり。」とあり、「新定教科・女子修身書」(1911)には「容貌の美なるは幸なり。されど、其の美は、往々にして虚栄心を挑発し、彼の牛乳の樋を頭上より取落したる、イソップ童話中の少女に類する者なきを保し難し。容貌の醜なるも生来なり。されどそれは償ひ得て余あるべきものなり。」とあったという(以上10頁)。

井上はこれを受けて、「美人はダメだ。だけど、不美人には脈がある。こんな話を、教師が道徳と称して、生徒たちにおしえるわけがない」と、現代の学校ならあり得ない話と驚いてみせるが、実はこれに類する話なら現在の学校にもいくらでもある。さすがに美人・不美人、美男・醜男によって分け隔てるということはないかもしれないが、例えば、「いい大学を出たやつは勉強ばかりして青春期を過ごしたので、性格がひん曲がっている」などという悪口はその代表格である。いまだって、政治家や官僚に対する批判の根にはこの発想があるはずだし、つい最近まで「勉強ばかりできたって仕方ない。勉強ばかりしていると性格が悪くなるぞ。」と言葉にしていた教師がわんさといたではないか。いや、現実を言えば、いまだってかなりの率でいる。

美人は性格が悪く、醜女の性格には脈がある。成績のいい者は性格が悪く、成績の悪い者の性格には脈がある。言うまでもなく、この二つは同じ論理だ。当時の美人にしても、現在の秀才にしても、それを「もたぬ者」からのねたみ、そねみから社会にそのような空気が形成されたのである。当時は教科書に載り、現在は教科書に載らないのは、メディアのマス度の違いである。現在は、おそらくは当時の修身教科書よりも大きな影響力をもつであろうテレビが、毎日のようにこの発想でものを言い続けているではないか。こういうのをぼくは「ルサンチマン・ネットワーク」と呼んでいる。

さて、ぼくは1966年生まれであるが、「頭のいいやつは性格が悪い」という言説はまったく信じていない。しかし、美人・不美人の修身の言説には少々思うところがある。ぼくが子どもの頃、子どもの頃といっても高校時代くらいだったと思うが、妹の少女漫画をよく読んでいた。ぼくは子どもの頃からあまり漫画を買わない質だったので、せいぜい自分で買った漫画は江口寿史くらい。ぼくの読む漫画の9割は「なかよしコミックス」とか「マーガレットコミックス」とかで、そこに描かれているのはみな、クラスいちモテる男の子や学校いちモテる先輩に憧れる、平凡で目立たぬ女の子のシンデレラストーリーだった。そこには美人だが性格の悪いライバルの女の子が描かれ、必ず最後は憧れの王子様が人知れず主人公の平凡で目立たぬ女の子に想いを寄せていたことがわかり、主人公の女の子が涙を流しながらハッピー・エンド。そんなストーリーばかりだった。おそらく修身教育の美人排斥・醜女賞賛の空気は、80年代の半ば頃までは生きていたのではなかったか。

いまでもぼくの中には、醜女の純粋さを信ずる心持ちがどこかにある。そしてこの心持ちは、1980年頃までの日本人の共通感覚であったように思うのだ。

例えば、ぼくは子どもの頃から研ナオコが好きだった。しかし、この研ナオコという歌手、かなり特殊な芸能人である。顔がETだとかなんだとかよく言われるが、悪いのは顔だけではない。ボーカリストとしても、研ナオコは最低である。まず、音域が著しく狭い。ちょっと高音を伸ばそうとするとすぐに苦しい声になる。ファルセットもない。「夏をあきらめて」の苦しさを想い出せばすぐに理解できるはずだ。つまり、和田アキコがものすごい音域とパンチのあるボーカルで聴衆を納得させるのとは大違い。歌手としてもダメなのである。そんな研ナオコがなぜ売れたのか。おそらくそれが、美人排斥・醜女賞賛の空気ではなかったかと思うのだ。

研ナオコといえば、まず一番に思い浮かぶのが「LA-LA-LA」である。「遠い昔はこんなあたしでもあいつの話は信じ込んだ。そのお返しにあいつは愛を信じるなと教え込んだ。」というフレーズ。例えば「あばよ」。「何もあの人だけが世界中でいちばんやさしい人だとかぎるわけじゃあるまいし、たとえば隣の町ならば隣なりにやさしい男はいくらでもいるもんさ。」とか「明日も今日も留守なんて見えすく手口使われるほど嫌われたならしょうがない。笑ってあばよと気取ってみるさ。泣かないで泣かないで私の恋心。あの人はあの人はお前に似合わない」とかいうフレーズ。更には「かもめはかもめ」の「かもめはかもめ 孔雀や鳩や ましてや女にはなれない あなたの望む素直な女にははじめからなれない」とか「かもめはかもめ ひとりで空をゆくのがお似合い」とかいったフレーズ。「窓ガラス」の「あの人の友達がすまなそうに話す。あいつから見せられた彼女というのがつまらない女でとつらそうに話す。知ってるよとあたしは笑ってみせる。それよりも雨雲が気にかかるふりで、あたしは窓のガラスで涙とめる。ふられてもふられても仕方ないけれど、そんなに嫌わなくていいじゃないの。」というフレーズ。すべて醜女と純粋とをマッチングさせたフレーズである。

言うまでもなく、これらの曲はすべて中島みゆきの曲である。研ナオコのルックスと中島みゆきの感性のコラボレイトが当時の時代の空気に合致していたのだと思われてならない。研ナオコはいまなら、きっと売れない。

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採点

採点。採点。また採点。またまた採点。

後日談。ミス3つ。

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カウントダウン

あと48日…。

不謹慎なカウントダウン。

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行事黒板

職員室の行事黒板。なぜか記入するのはぼくの仕事。なんと毎月30日分もの行事を書かねばならない。行事は一日平均3つ。毎月毎月90もの行事を記入する。腰痛にはきつい。

あんなもの、なくなってしまえ。だれも見ないだろ。みんな手帳に書いてあるだろ。

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国語を語る。人とかかわる。

日文協のN先生からお手紙をいただいた。私が「日本文学」(2008年8月号)に書いたN先生への批判に対する反批判である。お手紙によれば、「日本文学」(いつ掲載されるのかを私は知らない)への投稿という形をとるらしい。

一読、「やはり…」と思った。

私は文章による〈生産的な論争〉というものを見たことがない。国語教育界に絞ってみても、「言語教育・文学教育論争」「主観・客観論争」「冬景色論争」「出口論争」「西郷・大森論争」などなど、私が参考にしてきた論争は多々あるけれど、それを追って読んでいくと、結局はお互いに罵詈雑言の嵐・雨霰となって雲散霧消していく。読後は後味の悪さだけが残る。そういうものばかりだった。結果、「論争とは不毛の代名詞である」とさえ考えるに至っている。

これが面と向かって、研究会でやりとりされるのならば少々違ってくる。それも「ことのは」が好んで行うような一日中とか二泊三日でというような研究会の場ならばである。このくらい時間があれば、双方のやりとりも何度も往復させることができ、しかも相手の顔を見ながら気を遣いながら語ることができ、更にはコンテクストを共有しながら語り合うことができる。こういう場ならば、ある程度、生産性のあるものになる可能性がある。事実、昨日までの「研究集団ことのは」合宿において私はずいぶんと田中実先生とやり合ったけれども、たいへん気持ちよく自らの課題を自覚することができ、ゆずれるところとゆずれないところを明確に分けて考えることができた。

ところが、文章での論争ということになるとそうはいかない。よく論争において「人間を批判してはいけない。論を批判せよ。」と言われる。しかしこれは、私には論理矛盾に聞こえる。論争というものは、批判対象のよって立つところ、つまりは論争相手の立つステージを覆さないことには成立し得ない。論文に書かれたことだけを対象に批判しても、それは言葉の細部の揚げ足取りに陥りやすい。そしてそれが相手に腹を立たせ、罵詈雑言の嵐へと向かっていくことになる。しかもものすごい時間と労力をかけてそういうことが行われるようになっていく。しまいにはその生産性のなさに反批判を書くことが面倒になって雲散霧消していく。そういう構造である。

N先生の私への反批判を読んでも同じことを感じた。前半は、私の批判したご自身の実践を擁護するために森有正の言説を持ち出して言い訳をする。後半は、私が論文にもしていない一発表資料に対して「検証」という用語を用いて批判を始める。既に噛み合っていない。

例えば、「しかし、こうした理念を学校教育において、しかも国語科の授業において実現させるとなると、それは至難の業であると言わねばならない。大まかに類推して、最低でも次の10段階が必要である。」という私の言を引用して、「堀は、近代小説の〈読み〉で生徒に『自己倒壊』をおこすために『10段階の技術』を最低習得させねばならないと提案している。」と書く始末である。そして「ここに堀の『〈読み〉のメカニズム』を読み取ることができる」と断罪する。私はN先生に「正気か」と問いたい。私の文章のどこに「技術」と書いてあるのか。私がこの10段階を「技術」であるといつどこで言ったのか。

ちなみに10段階とは以下である。

1)文学作品における「語り手」の存在を認識すること
2)文学作品における登場人物の行動・心象を含めたすべての物語を「語り手」が統括し自己表出している主体であるという認識をもつこと
3)文学作品における「語り手」が具体的登場人物ではなく,物語を統括している機能概念であるという感覚に慣れるとともに体感すること
4)文学作品における「語り手」の機能性において,「語り手」が〈わたしのなかの他者〉と「了解不能の《他者》」とを識別している作品にこそ価値を認めるという感覚に慣れるとともに体感すること
5)文学作品における「語り手」の機能性について,自己の環境に対する適応性に還元して思考することに慣れるとともに体感すること
6)文学作品における「語り手」の機能性を自己に還元して思考し,その体験を触媒として自己倒壊すること
7)文学作品における「語り手」の機能性を触媒として自己倒壊する体験を複数回経ることによって,文学作品の機能性を実感し体感すること
8)文学作品の機能性を実感し体感することによって,自らの「共同性」を倒壊させ「公共性」を目指す人生観を形成すること
9)文学作品の機能性を他者と交流し,「夢の読者共同体」を形成すること
10)「夢の読者共同体」の形成によって,「公共性」を目指す一人格として自らをメタ認知する主体として行動すること

読者諸氏に問いたい。この10段階は「技術」だろうか。すべて「認識」と「機能」ではないだろうか。しかも私は論文ではなく発表資料に「大まかに類推して、最低でも次の10段階が必要である。」と書いたのである。こんな田中理論の具現化の難しさを強調するために10分程度でいい加減につくったものを批判されても困る。私はいいかげんにつくったものであるからこそ、今後更なる検討を必要とするからこそ、論文としてまとめていないのである。更にN先生は私がこの発表の題材とした「オツベルと象」について自分の読みを披瀝され、その発表資料の私の「オツベルと象」授業の批判へと進む。そして最後に、「堀との論点は何か」と題して、N先生なりに整理したつもりになっている。こういう構成である。

この反批判は11頁からなるが、ここには私のフルネームが注も含めておそらく9回(馬鹿馬鹿しくてちゃんと数えていないので自信がない)出てくるが、このすべてが「堀祐嗣」と書かれている。私と直接的な付き合いのある読者はよくご存知のように、私は自他共に認める「小人」である。それくらいは自覚している。しかし、いくら相手が小人でも、批判しようという相手の氏名くらいは正しく表記すべきではないか。私は「堀裕嗣」であって「堀祐嗣」ではない。堀禎祐と堀栄美子の長男として生まれ、両親の愛情を一身に受けて育った「堀裕嗣」である。親父が何日も考え、心身ともにゆたか(裕)なあとつぎ(嗣)になって欲しいと願いを込めた、「堀裕嗣」である。

N先生。あなたには国語を語る資格も、人とかかわる資格もない。

おそらくこの文章を読んで気をお遣いになった日文協の先生のうちのどなたかがN先生にこの文章を見せることでありましよう。しかし、N先生。あなたには私への謝罪の手紙を送ろうなどとはお考えにならないようお願い申し上げます。はっきり言って、お互いに時間の浪費。私に腹を立てさせ、私にストレスを与えるだけです。縁がなかったとお思いください。

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想い出のセレナーデ

天地真理と浜田朱里。

ぼくは浜田朱里が好き。

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「研究集団ことのは」合宿2009in長沼温泉

今年で4回目を迎えた「研究集団ことのは」の合宿。今日、長沼温泉から帰宅した。

講師は須貝千里先生と田中実先生。お二方とも基本的には日文協国語教育部会の先生だが、須貝先生は教育出版中学国語教科書の中心的な編集委員、田中先生は文学作品における「語り論」の第一人者である。「研究集団ことのは」にとっては、数年後から十数年後に文学と教育の結節点をまとめ、できれば外部に提案していくための、模索の試みといえる。こんな小さな研究サークルがこのお二方を二泊三日も拘束して、合宿をもつことができる。なんとぜいたくな時間であることか。全国広しといえども、そうそうあることではない。

まずは10日。土曜日。須貝先生と人見さんが8:15に千歳空港着との連絡を受け、7:30に家を出て迎えに行く。飛行機の到着が6分ほど遅れたが、大きな遅れではない。雪の予報に心配していたのだが、今年も運が良かったようである。冬の北海道に本州から講師を呼ぼうとする場合、なんと言っても一番の懸案事項は飛行機が飛んでくれるか否かである。須貝先生と人見さんを車に乗せて、一路長沼温泉へ。

10:00開始。まずは先日、「授業づくりネットワークin函館」で提案した「HOWからWHYへ」を「ことのは」に対して再度提案。更に時間が余ったので、「いじめ」の講座も短時間で。昼休みに昼食をとっているところに田中先生が到着。新年の挨拶を交わし、今年もよろしくとお願いして、午後の濃~い研修に突入。

「『オツベルと象』の構造・徹底解明!」と題して、まずは田中幹也くんが提案。次にぼく。そして須貝先生。これで16時近く。ここから、15人で徹底してディスカッション。18時から19時の夕食のための1時間を除いて、22時までディスカッション。こういうところが、「研究集団ことのは」が俗に「虎の穴」と言われる所以。1時間半とか3時間なんていう、半端な時間では区切らない。とにかく徹底的にやる。多くの人は理解していないが、これくらいやるとやっと見えてくるものがある。そして、こんなにやってもやっぱり見えないものもある。こういう時間を重ねていくことによってのみ、〈生産性〉が生まれてくる。〈提案性〉が生まれてくる。研究とはそういうものである。22時過ぎからブレスト。今年も恒例の「からみの晋」。まあ、本人の名誉のために詳しくは語らない(笑)。去年は初参加だった友利くんが、今年は初参加の和寛くんが、「いつ堀さんと晋さんの喧嘩が始まるかとびくびくしてました」とのたまっていた。しかし、他のメンバーは慣れたもの。ただただ笑っていただけ。ちなみに誤解されると困るので書いておくが、ぼくも最初から最後まで余裕を持って笑っていたことだけは付け加えておきたい。

11日。日曜日。朝から石川晋の「国語科ワークショップ型授業」の提案。その後、高橋・對馬・友利・人見・森・本間・小木・太布・藤原が新学習指導要領の理念に基づいた国語科授業の在り方を提案。特に言語活動例の具体化を念頭に置いて。どの提案もこれまでに比べて提案性のある内容で、それぞれがそれぞれに成長していることを示していた。19時からは宴会。ぼくはこの後にダウン。若者が買い出しに行っている間に「行列の出来る…」を見ていたらそのまま朝まで寝てしまった。他の人たちは夜中の1時半頃まで盛り上がっていたそうである。そうそう。野中先生から送っていただいたお酒もお披露目。空いた。野中先生、いつもいつもありがとうございます。

12日。月曜日。成人の日。沖縄の新成人に逮捕者が出ようが、麻生内閣の支持率が更に下がろうが、ぼくらは研修。8時半から浅野・山下・森の提案とディスカッション。最後に須貝先生の新学習指導要領の問題点と展望に関する講演、そしてディスカッション。昼過ぎに終了。その後、森くん、對馬くんと札幌市内のロイホで来年の合宿の計画をたて帰宅。昨日よく寝たので、例年と違ってまったく眠くない。これもまたよい。

読者のみなさまには申し訳ないのですが、この合宿の内容は今後の「ことのは」の提案の核となっていくものなので、わざとその内容がわからないように書いています。だからこんなタイムテーブルだけの書き方になってしまうわけですね。申し訳ありません。では。

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頭に浮かんだ企画

これまで、頭に浮かんだ企画をいくつか実現させ、多くを捨てざるを得なかった。

頭に浮かんだ企画をすべて実現させられるようになるまで、十年かかった。

頭に浮かんだ企画をすべて実現させる未来は、十年前のぼくの想像を超えていた。

十年後の頭に浮かぶ企画は、いまのぼくの想像を超えているだろう。

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時間との闘い

一日中、時間との闘い。30分で言えることは何か。30分で話し合えることは何か。どのような方向性を出せば次に進めるのか。何をつかめばヨシとするのか。そしてそれはなぜか。

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睡眠の長いトンネルを抜けるとそこに腰痛があった

目覚まし時計に起こされて、約束があって仕方なく起きると、どうしようもない腰痛が襲ってきた。どうしようもない腰痛はどうしようもないのだけれど、どうしようもない腰痛以上に、既に飛行機に乗っている人たちとの約束はどうしようもない。

二つのどうしようもなさの中で、より重たいどうしようもなさのために、もう一つのどうしようもなさを我慢する。歯を磨き、顔を洗い、服を着て、鞄を持ち、車に乗り、高速を走る。10分遅れで空港に着いた。携帯で連絡をとろうと思ったら携帯を自宅に忘れていた。どうしようもなくい腰痛をさらにどうしようもなく我慢して到着ロビーまで迎えに行った。

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噛み締める

いくつかぼくの講座の感想を読み、批判がないことに寂しさを覚え、年齢が上がってくることの良さと悪さを噛み締める。

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授業づくりネットワーク2009in函館

みなさま、あけましておめでとうございます。

と言っても、正月も既に9日。1/3が過ぎようとしています。冬休みは年末が「授業づくりネットワーク2009in函館」で依頼されていた「いじめ指導」「教師に必要な授業力」という2本の講座の準備、年明けからは今年4回目を迎える「研究集団ことのは」冬合宿のための「オツベルと象」(宮澤賢治)の教材研究に明け暮れました。どちらもまずまずの出来映えで、それなりの満足感を感じている……といったところ。

今日は、「オツベルと象」の教材研究がまとまり、やっと更新の時間がとれました。

さて、私にとって冬休み恒例の行事となっている「授業づくりネットワーク」の冬の北海道大会。今年も2本の講座と1本のシンポジウムに参加するため、函館まで行ってきました。八巻さん、あべたかさん、赤坂さんなどなど、全国に名だたる実践家とともに、5日から7日まで二泊三日の日程。今年はもう十年近い付き合いになる山寺・藤原という函館の若手が事務局を担うということで、ぼくもいつもより気合いを入れて準備をしていきました。

ここで、ちょっと振り返ってみようと思います。

まず年末の準備から。今年から、すべての研究会提案をパワーポイントでつくることにしました。プリントをつくるよりも時間がかかりますが、配付資料を3~5枚程度印刷するだけなので、印刷の手間がずいぶんと軽減されます。また、研究会に参加していただく方々には申し訳ないけれど、使い回しができるという利点もあります。似たようなテーマで講座依頼をいただくことが多いですから。今回は「スクール・カースト」と「HOWからWHYへの転換」という、ここ2年ほど様々な場で語り続けてきたことを、それぞれプレゼンとしてまとめることができました。まずまず参加者にも伝えられたのではないかと自負しています。まあ、読者の皆さんにも、近いうちにお伝えする機会があるだろうと思います。なんせ函館ネットワークには札幌からの一般参加者が二人。客層はほとんど重なりませんから。ちょっとにんまりです。

5日。月曜日。函館への移動日。まず、11時に地下鉄白石駅で森くんを拾い、南郷通を通って道央道へ。高速に乗ると同時に、12月20日(土)の「第2回中学校・学級経営セミナー」のアンケート分析を始める。一講座ずつ、一人ずつ、森くんがアンケート内容を音読。それを回答者の勤続年数や教科なんかを参考にしながら、どういう意味なのか、どの提案をどのように受け止めた結果としてこの感想が出てきたのか、なんてことを議論していく。アンケートが22枚あったので、だいたい1講座につき45分程度かかる。すべてのアンケート分析が終わったのは、ちょうど函館に着いた頃。道中二人ともまったく退屈しなかった。

ホテルにチェックインして一眠り。実は昨夜は徹夜だったので、仮眠が必要だった。18時半に山寺くんに起こされて懇親会へ。刺身やホタテ焼き、寄せ鍋などつつきながら、日本一のいじられキャラ教師赤坂真二をいじり続ける。それとともに、「授業づくりネットワーク」という団体自体を赤坂氏といっしょにいじり続け、「法則化」をいじり「教育界全般」をいじって、最後には教育の本質論へ、という流れ。詳しく書くと何のことかわかってしまって顰蹙を買うので書かないが、なかなかいい時間を過ごせた。21時半にホテルに戻り、森くんにプレゼンを見せながら講座の最終確認。24時には床に就いた。

6日。火曜日。5時起床。風呂。麻雀ゲーム。朝食。大会一日目。最初は「いま必要な教師の力」というシンポジウムに登壇。八巻・赤坂・阿部・森・北嶋・石川、そしてぼく。司会は山寺くん。「いま必要な教師の力」を3つのポイントにしぼって4分間で提案せよ、とのこと。ぼくは「さぼる力」「ながされる力」「いじりいじられる力」と提案。「さぼる力」とは自分の時間を大切にしてこそ仕事の効率化が図られていくという趣旨。「ながされる力」とはソフトランディングのすすめ。どんな職場にも、歴史がある。悪いところも含めて、様々な力学がからみあっていまがある。それを急激に変革しようとすると、至る所にひずみが起こる。常に改革はソフトランディングを旨とするべし。こんな趣旨。「いじりいじられる力」とはチーム力の発揮のすすめ。仕事を機能させていこうとすれば、笑いのある職員室であることが何より尊い、という趣旨。

1時間ほどの空き時間があったので、講座のPCを準備。プロジェクタを用意したり、スピーカーをつなげたり、ついでに学校祭や合唱コンクールのビデオを見たり。午後の講座は「いじめを生まない学年経営・学級経営」。基本的に「いじめを生まない学年経営・学級経営」などありえない、という趣旨。できることは、どれだけ日常の生徒指導の中に抑止力を張り巡らせられるかということである。「いじめ」のメカニズムを説明したあと、「事実重視の生徒指導」「FMCチームワーク指導の徹底」「学校行事による空気の更新」という3点を対策として話した。

その後は、とりあえずこの日は無罪放免。森くんの講座をのぞいたり、赤坂氏の講座をのぞいたり。どれも楽しそうに進めていた。まずかったのは最後のシンポジウム。A級戦犯は石川晋。A級戦犯といってもB級もC級も存在しない。要するに石川晋の独り相撲である。学級共同体の構築に話が及んだ折、「共同体」概念のディテールにこだわり続け、会場を「いや~な感じ」にしてしまった。まあ、イベントではよくあることではあるが、あそこまでこだわる必要性がだれにもわからなかった。おそらく本人にも明確ではないはずだ。ただ、石川晋の言っていたことは間違っていたわけではない。「共同体意識」というのは、ぼくに言わせれば、けんかをしても仲違いをしても論争をしても、結局は「話せばわかる」という意識を前提として営まれていた、かつての共同幻想である。それを現在の子どもたちに学級経営で身につけさせようというのは無理がある。断絶を前提に話し合いで調整していく、思想としてもスキルとしても、いまそれが求められている。しかし、あの場では、そこまで厳密な意味で「共同体」という言葉が用いられていたのではなかった。こだわることはシンポジストにとっても参加者にとっても生産的でなかった。

19時から懇親会。森くん、佳太くん、岡山さん、太田くん、八巻さん、加藤恭子と談笑。各人のスピーチがたいへんおもしろかった。さすがに長い付き合いなので、ほとんど気を遣う必要がない。しかも、だれに何がウケるのかというツボを心得てのスピーチが続く。こんな飲み会なら毎日でもいい。二次会にいこうかどうか迷ったが、体調がおもわしくないので、ホテルに戻ることにした。そうそう。行き帰りのバスでは、ミナちゃんに手相を見てもらう。しばらく調子が良さそうとのこと。それはそれは、よかったよかった。ホテルで1時間ほどお笑い番組を見て、23時に床に就く。

7日。水曜日。7時起床。シャワー。朝食。チェックアウト。大会二日目。朝イチから「教師に必要な授業力」という講座。100人以上の参加者に語りかける全体講座である。戦後教育のおおまかな歴史(とは言っても、現在の教育状況に直接的に影響を与えているものだけに徹底的にしぼった)を振り返りながら、現在の教育状況、教師の傾向に足りないものについて、「HOWからWHYへの転換」をキーワードに話す。どの程度伝わったのかは心許ないのだが、まあ、ああいう形の講座ではあれが精一杯である。その後、石川晋と30分の対話型セッション。お互いによく知っている仲なので、話ははずむ。参加者もそれなりに楽しんでいるようには見えた。しかし、企画として、同じ時間をQ&Aとして使った場合と比べてその機能度はどうだっただろうか。特に、この対話ではある程度具体的な話が出たので、その方法論をもう少し突っ込んで聴いてみたいという参加者はいたのではないか。そんな気がする。

1時間ほど、森くんと太田くんが講座をやっている部屋の廊下で、石川晋や加藤恭子とおしゃべり。今後のネットワークの展開などについて。森くんの講座が終わったところで、事務局に挨拶をして帰路に就く。帰りの話題は児童・生徒の変容について。学力や特別活動への取り組み、親子関係の変容、暴力や性の問題に至るまで、とてもここには書けないような内容について話し合う。19時帰宅。

さて、今回のネットワークは、いろいろ思うところがあった。一つは、自分の講演・講座にパワーポイントがどの程度有効に機能するかを試す意味。一つは、「スクール・カースト」や「理論と実践の関係」といった理念的なことが、自分の講座でどの程度伝えられるかを試す意味。一つは、40歳も過ぎたので、研究会参加のときにも睡眠をじっくりとってみて、帰宅後どの程度の疲れが残るのかを試す意味。一つは、これまでかかわってきた若手たちがどの程度の運営ができるのかを見極める意味。以上の4点を意識して臨んだ大会だった。どれもまずまず及第点といったところである。

一つだけ言いたいことは、山寺・藤原は自立したので、もう手を貸す必要はなくなったな、と実感したことである。自分のかかわってきた若手の中で、ここまで具体的な動きを組織した者が出たのは初めてである。しかもまずまずの大会運営で、特に文句らしい文句もない。それは「自立」と言っていい。しかし、その「自立」の意味を彼らはわかっているだろうか。彼らも読んでいるだろうから、ここに書くことにするが、それは彼らのイベントに私が力を貸さなくなるということを意味する。山寺・藤原へ。今回が最初で最後だったのだよ。だって、「自立」したんだもの……。これで来年からは冬休みの前半があく。

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オツベル

六寸のビフテキ?

ぞうきんほどあるオムレツ?

だからどうした。たいもんじゃない。

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HOWからWHYへの転換

「どのように思考」をいくら続けても答えは出ない。「どのように」は「なぜ」と「なに」が明確なとき、初めて模索されるものだからだ。

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コミュニケーション能力

教師にも生徒にも、そして日本国民全体に「コミュニケーション能力」が不足しているといわれ、必要だといわれている。でも、「コミュニケーション能力」とは何なのか、明快に応えてくれる人がなかなかいない。

森口朗は『いじめの構造』(新潮新書)で明快に応えてくれた。それは「自己主張力」と「共感力」と「同調力」という三つの力の総合力である、と。

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アンケート

アンケートほど自己満足の解釈を施せるものはない。これほど拡大解釈の許されるメディアもない。主催者に都合のいい「切り捨て」と「切り上げ」でなんとでもいえる。

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ダ・カーポ

楽曲を最初からもう一度繰り返して演奏せよ、の意。

ダ・カーポが必要だ。なのに人はリセットしようとして失敗を重ねる。

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三日目

年賀状は面倒くさい。いま楽をして、10日後の寒中見舞いはもっと面倒くさい。こうして人とのつながりが切れていく。

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二日目

年賀状が面倒くさい。こうして人との関係が切れていく。

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元旦

あけましてもおめでたくない。

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